「ねえ霧生、これからどうするの?」
いきなり式神の話をすれば、怪しく思われてしまう。今回一番避けたいのは、疑われることである。
「まずは傷を治す。話はそれからだ」
そういう返しを求めているのではない。コイツは毎回こんな話をしているのか? めんどくさ過ぎると実衣は感じた。
「そんなの温泉の湯でもかければ一発じゃない? そんなに深い傷じゃないでしょう」
「確かにね。明日朝風呂に入ったら治療は完璧だ。んで月曜日には学校に復帰できる」
「オーバーな。入院してるわけじゃないのに」
「だが、学校には俺たちの知らない召喚師がまだいるようだぜ。それを先に探さなくちゃあな。ソイツがいなければ海百合に逃げられずに済んだのに。ああ、思い出すだけで腹が立つぜ」
「まあ散歩で落ち着こう。歩けば気分も変わる。今の霧生にはピッタリ!」
二人は旅館の裏口から外に出て、近くの森林公園に向かった。その間も実衣は霧生と会話したが、不自然な返事や発問は口からは出ない。
(これが[フィル]のチカラ。馬鹿丸出しの霧生に一切怪しまれてない。お陰で知りたいことは半分以上はわかっちゃった。おまけに要たちが知ってなさそうなことも!)
伝説の式神。あのイギリス人はどうやら、海百合に内緒で独自に調査をしていたらしい。要がそれを知っているかは不明だが、もし自分の手にできれば、要の元からの部下である苗字に『藤』を持つ者たちとも対等な立場を築ける可能性が出てくる。実衣は実を言うと、要や堤に頭を下げること自体が不満であった。海百合ならばもっと不愉快だ。だが[フィル]は式神のチカラの差までは埋められないので、文句を言わず従ってきた。
(要や堤や海百合の最終的な目的が何なのかは、どうでもいいし興味もない。でも私は私の目的を達成するだけ。私の目指す世界には、霧生のような能無し馬鹿の居場所はない!)
「おや! そんなところに蝶々が止まってるよ」
「え?」
一瞬、実衣の全身が硬直した。[フィル]を霧生に見られたのだ…。
だが硬直は、本当に一瞬だけだ。式神と気づいていない霧生にはそれは、ただの蝶にしか見えないからだ。
体を反転させると、蝶は飛んでいく。
「あちゃー。逃げられちゃったな。あれは何て種だろう? 珍しい模様があったけど…」
(いいぞ、[フィル]! 霧生は蝶が式神であることに気づいていない。これなら霧生の目を盗んで自分の元に戻ってこれる!)
だが焦りからか、実衣は肝心なことを忘れてしまっていた。
「そんなの興味ない。放っておけばいいでしょう。知ったところで金にすらならな…」
(しまったしまったしまったしまった! [フィル]が私の体から離れたということは、芽衣との能力差が開いてしまう!)
素の自分を、自分から見せてしまった。慌てて口を手で塞ぐ。
「………どうした、芽衣?」
霧生は今の態度をかなり怪しんでいる。
「………」
「……? おいおい、言ってくれないと何考えてるかわかんないぜ?」
「………。ち、蝶って毒、あるのかな? 私のどこに止まってた?」
自分でも訳のわからないことを口走った。とりあえず毒のせいにしておけば何とかなる気がしたのだ。
「毒? 毒蛾とは違って毒蝶は聞いたことはないけどな…。心配なら!」
霧生は[リバース]を召喚した。そしてその辺の石を数個、カマキリに変えた。そのカマキリを、実衣の背中にくっつけた。残りは霧生たちの周りを飛び回る。
「さっきのが毒持ってるっていうなら、カマキリに食べてもらおう。完璧な防御だよ」
(うげーっ。蝶は綺麗だからいいけど、他の虫は無理無理無理無理!)
その時の実衣の表情が霧生に伝わってしまったようで、
「なんだ何だ、その顔は? 芽衣は虫、平気だろう? この前も教室に侵入した手のひらサイズのクモを素手で掴んで校庭に逃がしてたじゃないか」
(そんな設定知らねぇよ! 余計なことするなよお前も! クソクソクソクソ! これじゃあ[フィル]が戻って来られないじゃないか!)
だが本音は死んでも言えないので、
「あ、ありがとう。背中に止まってたんじゃ、皮膚にはついてないから大丈夫そうだね」
そう言うのが精一杯だった。
[フィル]がいなくなってしまったので、当然ながら会話はさっきほど続かない。
「どうした、芽衣? 急にテンション低くなってるが?」
(そりゃあ下がるに決まってんだろが! 私はお前とは今日初めて会うし話もするんだ。平常心を保たせたいなら変に語りかけんなよ!)
「だ、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。疲れてるんだきっと。家の手伝いをしてたから」
すると今度は霧生は心配そうな眼差しで、
「高校生に過労させるのかい? それは見過ごせねえな」
(うるせえ! 見なかったことにしとけ、このクズクズクズクズ!)
「でも芽衣は実家を継ぐことが将来の夢だろう?」
(あんな旅館、どーでもいーわ! 今すぐ潰れた方が世のため人のためになる)
「もしよかったら俺が、相談に乗るよ? 芽衣のためなら何枚でも脱ぐぜ!」
(黙れ黙れ黙れ黙れ! もう引っ込んでろよっ! 顔も見たくない!)
「どうしたんだよ、芽衣? さっきから様子が変だぞ?」
(もう、無理無理無理無理…! さっさと死んどけよこの野郎!)
実衣がとった行動。それは奇行と言っていいものであった。
「うわあああああああああ、うううああああああああーーっ! ああああああああああーーー! えおおおおおああああああおああああああああ!」
大声で叫ぶと、一目散に旅館に走って逃げた。
驚いた霧生は、尻餅をついた。
「はあ、は? な、何だ今の?」
旅館の従業員用出入り口に駆け込んだ実衣を、芽衣は見ていた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「芽衣には関係ないでしょ? 一々聞かないで」
姉妹間の仲は、お世辞にも良いとは言い難い。芽衣の方には歩み寄ろうとする姿勢があるのだが、それがわざわざ仲良くしてやろうという風に実衣には見えるので、気にくわないのだ。
実衣は自室に戻った。数分後、[フィル]も戻って来た。
「参ったね…。これからどうしようか、[フィル]?」
[フィル]は喋れる式神だ。そしてよく相談することもあるくらいに仲が良い。
「霧生のデカタを伺うのはやめよう。さっきのでかなり怪しまれた。でも解決しないワケにはいかないから、ここは要たちとソウダンするのもあり。まだ実衣ってバレたワケじゃないから、上手くいけば騙し通せるカノウセイも残ってる」
「そうか、まあしょうがない…。一度要たちのところに行くよ」
厨房から適当な一升瓶を持ち出すと、それを届けるためと口実を作って要がいる客室に向かった。
だが現実はそこまで甘くない。
霧生は実衣の後を追いかけていた。旅館の前まで来たのはいいが、その先の足取りがわからない。すると、
「あれ、霧生じゃん? そんなに焦ってどうしたの? こんな夜に散歩? 周りにはコンビニしかないよ?」
と言うので霧生は、
「いやいや。芽衣こそどうしたんだよ? いきなり奇声を上げたと思ったら、スタコラサッサと逃げちゃって…」
「あひ? 今なんて?」
話が噛み合わないのだ。
芽衣はもしやと思い、
「まさか、妹にまで手を出したの?」
「い、妹?」
ここで二人はそれぞれの事情を話した。
「楠、実衣………。そっくりな妹がいたとは…! してやられた!」
「まさか実衣が、霧生を騙そうとするなんて…。しかも私のフリをして…」
そして二人は、同じ考えにたどり着くのであった。
「懲らしめないといけないね、これは!」
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