上杉家との同盟の手筈が整うと、信玄の六男にして義信の弟である信貞が越後に送られた。
謙信の前に通されると、信貞が頭を下げる。
「それがし、武田信貞にございます」
「お主が甲斐の虎の子か」
謙信が信貞をじっと見据え、不意に口元が緩んだ。
「……良い眼をしている。まだ若いが、よい将となることだろう」
「もったいなきお言葉にございます」
「時に、お主には姉上の娘と婚儀を交わし、我が一門に入ってもらうこととなる。
それすなわち武田を捨て、上杉に魂を捧げ、越後に骨を埋めるということ……。汝にその覚悟はあるか?」
信貞の背筋に冷や汗が伝う。
生半可な答えでは、上杉謙信は納得がいかないだろう。
考えた末、信貞が声を絞り出した。
「……お望みとあらば、父より賜りし“信”の字を捨てる覚悟にございます」
偏諱を捨てるということは、実家とは縁を切り、絶縁関係になると宣言しているに等しい。
信貞の決意表明に感じ入ったのか、上杉謙信がじっと見据える。
「……よかろう。汝の覚悟に敬意を評し、景虎の名を与える。……これよりは上杉景虎と名乗るがよい」
これには直江景綱や柿崎景家が息を呑んだ。
(景虎は殿の初名……)
(それを与えるとは……)
実の甥である景勝をさしおいて景虎の名を与えるのは、異例の厚遇であった。
「上杉景虎の名に恥じぬ振る舞い、期待しておるぞ」
「ははっ」
こうして、武田信貞──改め、上杉景虎が上杉一門に加わるのだった。
一方、北条家の元にも上杉から報告が届いていた。
「景勝殿が北条の姫を娶ったとのこと」
「これにて三国同盟と相成りましたな」
どこか安堵する北条家臣たち。
かくいう氏政も上杉との同盟が成立し、胸を撫で下ろしていた。
「北と西の守りは固まった……。関東平定も見えてきたぞ……!」
武田、上杉、北条で三国同盟が締結されると、義信が重臣たちを招集した。
「機は熟した。……これより西上作戦を始めるぞ」
待ちに待った上洛に、家臣たちが色めき立った。
「ついにか……」
「この時をどれほど待ち望んでいたことか……」
家臣たちを無視して、義信が地図を広げた。
「織田領には三方から攻め込む。飛騨からは上杉殿が。東美濃の岩村城からは父上が。東海道からは私が攻める」
「しかし、油断はできませぬぞ。我らが同盟を結んでいる間に、信長は六角家の南近江を獲得しました。南近江からも軍を動員し、さらに織田の同盟国である浅井も動けるようになります。敵方の国力は、既に当家を凌いでおりましょう」
上杉や朝倉から援軍を貰える手筈は整えたが、それでも武田、織田単体での国力は劣っている。
援軍によってどうにか兵数の不利は覆せるものの、援軍に頼らざるを得ない以上、過信は禁物と言えた。
義信の口元がふっと緩む。
「兵数や武器で劣るのなら、策を弄するまでのことだ」
「策、にございますか?」
永禄12年(1569)11月。
武田家の西上作戦が始まるのだった。
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