義信が武田家の新たな当主に就任すると、領内各地を結ぶ街道の敷設が始まった。
これまでは戦時に敵に利用されるのを防ぐべく、道の整備はわざと怠っていたのだが、武田家が大きくなった以上、そうも言ってられない事情があった。
大きな領土があるということは、それだけ素早い連絡網が必要ということであり、兵の迅速な手配が求められていた。
かくいう信玄も、義信に命じられ街道の敷設から橋架を行なっていた。
「まったく、ご隠居様をこき使われるとは、お館様も人使いが荒い……。そうは思いませぬか」
家臣が愚痴をこぼすと、信玄が笑った。
「さてな……。しかし、今ならば父上の気持ちがわかる気がする……。頼もしき後継者に跡を継がせるというのは、こうも心が軽くなるものなのだな……」
疲労を見せる家臣たちを尻目に、信玄は街道の敷設に務めるのだった。
領地の統治を進める傍ら、義信は織田信長の治める美濃、尾張を手中に収めるべく、侵攻計画を練り上げていた。
武田領の甲信東海と濃尾の入った地図を広げると、長坂昌国が信濃から美濃へ指をなぞった。
「織田領へ攻めるのなら、中山道を抜け、信濃衆を連れて美濃へ侵攻するのがよろしいかと」
「山道が多くなっては、兵糧の補給に難が出よう。……その点、東海道を抜ければ平地が続くゆえ、軍の展開もたやすく、兵站の維持も容易になろうというもの……」
真田昌幸が反対すると、曽根虎盛が難しい顔をした。
「待て。東海道を抜けるとあらば、桶狭間を通ることになろう。……かの地は義元公がお討ち死にされた地……。いささか縁起が悪いのではないか?」
ああでもない、こうでもないと議論する家臣たちを尻目に、筆頭家老の飯富虎昌が義信の様子をうかがった。
「お館様、いかがなさいますか」
「中山道を通れば信濃、上野から迅速に兵を送ることができるが、山道が多い。
東海道を通れば、三河、遠江、駿河、甲斐から兵を送りやすく、平地が多いため行軍が容易だな」
「では、東海道ということに……」
「いや、両方採用しよう」
義信の決定に飯富虎昌が目を剥いた。
「り、両方、にございますか……!?」
「しかし、軍を二つに割いては、織田方に兵数で劣ってしまいましょう」
「第一、二つの行軍路を用いるのでは、兵站を維持するのも容易ではありますまい」
中山道と東海道。どちらの道も採用するのなら、単純に二回分の遠征の用意をしなくてはならない。
さらには兵を分けることになるため、織田軍に各個撃破される恐れがあった。
義信が家臣たちを見回し、
「……誰が二つに分けると言った?」
家臣たちに動揺が走った。
主要街道である中山道と東海道以外に、侵攻路などあるはずがない。
あるとすれば駿河水軍を用いて海から上陸するくらいだが、その場合は伊勢湾を根城にする熊野水軍を倒し、兵站が寸断される危険を背負って軍を進めなければならないだろう。
そんな危険を冒すくらいなら、素直に東海道を通った方がいい。
それが家臣たちの共通認識だった。
「東海道、中山道、そして──」
義信が美濃の北を指さした。
「──飛騨。この3ヶ所から美濃に侵攻する」
義信の言葉に家臣たちが異を唱えた。
「お待ちください! 飛騨から攻めるとなれば、中山道を通る以上に兵站の維持が難しくなりましょう!」
「長坂殿のおっしゃる通りです! さらにこちらの兵を割かねばならない分、織田につけ入る隙を与えてしまいましょう!」
「問題ない。そのために街道の整備を進めてきたのだ」
義信の命令で領内各地の街道を整備していたおかげで、領内で素早く軍を展開できるようになっていた。
同じように、飛騨にも街道を整備すれば、同様に迅速な行軍ができるかもしれない。
だが、うまくいくだろうか……。
家臣たちが顔を見合わせる中、義信が静かに立ち上がった。
「では、飛騨を獲りにいくぞ」
永禄12年(1569年)5月。義信率いる武田軍1万が飛騨に向けて出陣するのだった。
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