翌日。再び三家にて話し合いが行われていた。
「武田との和議を模索するのなら、北信濃の領界を決めねばなりますまい」
直江景綱の言葉に、義信が頷いた。
元々、上杉との諍いの発端は北信濃の領有権を巡る争いにある。
どちらがどこまで北信濃を持つか。
これを決めなくては和議が進まず、同盟の話も踏み込めないと言えた。
「当家からは申すことはないな。現状追認でいいだろう」
義信の申し出に、案の定、直江景綱の表情が強張った。
「……お待ちくだされ。此度の和議を持ちかけたのは他ならぬ武田様……であれば、まずは武田様が歩み寄るのが筋というものではありませぬか?」
直江景綱の言い分にも説得力があった。
あくまで、今回の話は武田が持ち掛けた以上、上杉は受ける立場に他ならない。
であれば、武田が譲歩するのが当然。
それが上杉側の認識であった。
「なるほど、お主の言い分も一理ある」
「では……」
「だが呑めん」
直江景綱が目を剥いた。
「当家は上杉と北条の和議のため、上野の領地も差し出した。……それなのに、北信濃も上杉が奪うのでは、いささか取りすぎであろう」
「上野は当家と北条の和議のお話……。此度の上杉武田の和議には関係ございますまい……。第一、我らも重臣の子息を出すと申したではありませぬか」
「それでも、だ。我らが上杉と北条の和議に骨を折ったことには変わりあるまい……。それとも、直江殿は先の話し合いをなかったことにして、北条との和議を蒸し返されるおつもりか?」
直江景綱が押し黙る。
これには先ほどまで蚊帳の外だった板部岡江雪斎が反応した。
「それは聞き捨てなりませんなあ。先の話はすでに殿にお話しし、当家も上杉と和議を結ぶことで話が進んでおります。それを今さら蒸し返されては、こちらも困ってしまいますなぁ」
板部岡江雪斎の援護もあり、直江景綱の顔が渋る。
北条との和睦交渉で武田が口を挟んだのは、北条に貸しを作るためだったか……。
「……ですが、北信濃から春日山までは目と鼻の先。武田様が北信濃を手放さぬ限り、和議は実現しますまい」
「では、北信濃二郡を上杉家に割譲し、海津城を破却する。……これならいかがか?」
北信濃全域ではないものの、一応は北信濃の土地が手に入るのだ。
結果として武田の勢力を上越から遠ざけることはできる。
また、海津城がなくなれば、万が一武田と敵対した時に北信濃の制圧が容易になるだろう。
……落とし所としては妥当なところか。
「……いいでしょう。加えて、越中ほか北陸はこちらの領分とし、武田様は一切の手出し無用としていただきたい」
これまで武田と上杉で争う中で、飛騨や越中は両家の緩衝地帯となっていた。
たびたび武田と上杉の代理戦争が行なわれてきたが、武田が飛騨を獲ったため、必然的に次の代理戦争の舞台は越中ということになりかねない。
武田の北陸撤退ということは、こうした代理戦争を降りて、越中ほか能登や加賀も上杉の領域としたい思惑があった。
義信は少し考えて、
「それは構わんが、それでは上杉殿も困ると思うぞ」
「……どういうことですかな?」
「当家が一向宗に影響力を持つことは知っていよう?」
直江景綱が頷く。
武田信玄の正室、三条夫人は本願寺顕如の正室、如春尼の実の姉である。
そのため、信玄と顕如は義兄弟の間柄であった。
「当家が北陸に不可侵となれば、いかにして一向宗と話をつけるおつもりか?」
「武田殿に頼らずとも、公方様なり朝廷に頼み申すことができましょう」
「はたして、そんな悠長なことをしている余裕がありますかな?」
「……何が言いたいのですか?」
「同盟ならずとも、和議が成った暁には、当家はすぐに上洛できる。その時、上杉殿はいかがなさるおつもりか。よもや、『一向宗と和議を結ぶべく交渉していたため、上洛には手を貸せぬ』とでも申すつもりか。
それに、こちらは北陸に手出しできずとも、一向宗の総本山である石山本願寺に掛け合うことができる。……この意味がわからぬわけではあるまい」
直江景綱が押し黙る。
そんなことをしては、幕府再興した際に上杉の影響力を幕府に残せなくなってしまう。
上洛か。北陸の覇権か。
悩んだ末、直江景綱が義信を睨みつけた。
「……わかった。北陸の不可侵は取り下げよう。……ただし、武田家が越中を領有しないこと。これだけは譲れぬ」
越中まで武田家に奪われては、上杉は南と西が武田家と接することになってしまう。
そうなれば、上杉家の本拠地である上越が武田家に脅かされる恐れがあった。
武田との和睦の条件に、北信濃二郡の割譲と海津城の破却、越中の非領有。
……落とし所としては上出来だ。
「あいわかった。その条件で和議を呑もう」
こうして、武田と上杉の和議が成立するのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!