「それじゃあみんな。ピンチを無事切り抜けられたことを祝して、かんぱーい‼」
「「「かんぱーい‼」」」
瞳の掛け声で、全員がコップを掲げた。
コテージの中は、これまでの戦いを象徴するようにボロボロだった。
一度吹き飛ばされたドアは軋みが酷いし、床下収納があったキッチンも、もはや使い物にならない。
人形との戦いでぽっかりと空いた穴は、ジェイ君の突貫作業によって塞がれてはいるものの、時々隙間風が吹き込んでくる。
しかし全員の顔は晴れやかで、ある種の達成感に満ちていた。
用意されたささやかなおつまみにも、自然と手が伸びる。
無論、飲んでいるのはアルコール飲料ではなく、ただのジュースだ。
「オレは無性に酔いたい気分だよ」
「まあまあ! 女子三人に囲まれてるんだから、それで良しとしなきゃ!」
瞳はそう言って、統島の背中をばしりと叩いた。
彼女はずいぶんとテンションが高かった。
「……子供三人と化け物一人の間違いだろ」
「あ! ジェイ君のこと化け物って言った! 酷い奴だ!」
「酷い奴だ‼ そんな奴はおつまみ没収だ!」
柚子とミウにお菓子を没収され、統島はため息をついた。
「君もこの二人の子守は大変だろうね」
きゃっきゃと笑い合う二人を見ながら、統島は言った。
「そんな風に思ったことはないわ。私も、二人にはいつも助けられてる」
「君と彼女達では重みが違うよ。あの市松人形を、『かごめかごめ』で撃退した時なんかが象徴的だ。あの時、あの人形に殺人鬼の能力を明かした何者かの情報はまったくなかった。その人物の正体によっては、人形が君の名前を知っている可能性も十分あったはずだ」
瞳は何も言わなかった。
「『かごめかごめ』を選んだのは、最悪、真後ろになった自分だけが死ぬことになるから、だろ? 君のその自己犠牲の精神は、一体どこからくるのか。理解に苦しむよ」
「……私はただ、一人になりたくないだけ。誰だって、一人は嫌だわ。あなたもそうでしょ?」
「そんなこと……」
瞳の、どこか空虚な目を見て、統島は言葉を濁した。
それを見て、瞳は思わず苦笑する。
「……ありがとう。気を遣ってくれて。でも私はだいじょうぶだから」
「は? いや、オレはただ──」
「ちょっと~。二人で何話してるのよ~」
突然、柚子とミウが乱入してきた。
「ミウね! 今から得意技披露するから、統島さんも来て! カンフー映画を見て覚えた必殺技なんだよ‼」
「いや待て。それ、オレにかける気満々じゃ……ぐわあっ‼」
「おおーっと! ここで柚子選手も乱入~‼」
三人がフローリングの上をごろごろと転がっているのを見て、瞳はくすくすと笑った。
ふと、コテージにジェイ君がいないことに気付き、瞳は外へ出た。
コテージへと続く階段を降りたところで、ジェイ君は空を見上げながら立っていた。
「うるさくしてごめんなさい。迷惑だった?」
ジェイ君は顔を瞳に向け、それから再び空を見上げた。
「別に嫌いじゃない。どうすればいいか分からないだけで」
瞳は苦笑した。
ジェイ君の隣に立ち、瞳も空を見上げる。
「綺麗」
星々の瞬きを見ながら、思わずそう口にした。
「この場所で、唯一気に入っている」
その言外に含んだ意味を、瞳は考えざるを得なかった。
そしてだからこそ、するりと言葉が滑り出た。
「私ね。もうここから出ようと思うの」
ジェイ君は、ゆっくりと瞳を見つめた。
「調べものは済んだのか?」
「ううん。お父さんについて調べに来たんだけど、まだ全然。でも……もういいかなって」
瞳はジェイ君の大きな指を掴み、心臓に手を当てた。
ドキドキと鼓動するのを押さえ込み、躊躇する自分を鞭打って、口を開く。
「ねぇジェイ君!」
突然大声をあげるので、ジェイ君はびくりとした。
「あ、あの……さ。私達が帰る時……ジェイ君も、一緒に……来ない?」
ジェイ君は固まって動かなかった。
彼が驚いていることを、なんとなく瞳は理解できた。
「え、ええと、なんていうか……わ、私、独り立ちしようと思うの! お母さんが病気なのって、もしかしたら私が負担になってるのかなって、ずっと思ってて。もちろん、何かあった時のために頻繁に顔は見せるつもり。でも、暮らすのは別の家にしようかなって。そ、それでね……。もしよかったら、ジェイ君も……一緒に、住まないかなって」
瞳は慌てて付け加えた。
「ほ、ほら! 一人だと家賃高いから! 柚子に言ったら色々仕事見つけてくれると思うし、二人でルームシェアしたら、全然いけるなって思って。も、もちろん嫌ならいいよ⁉ もしも……もしも、ジェイ君がいいのならって……ただ、それだけ」
瞳は返答を待った。
心臓が破裂しそうなくらいに鳴っている。
まるで祈るように、ぎゅっと拳を作った。
「すまない」
ジェイ君のその一言に、しばらく呼吸ができなかった。
「あ……ご、ごめんね。嫌だったよね。いきなり、この前会ったばかりの女の子と、一緒に暮らすなんて……」
「そうじゃない。そうじゃないが……なんというか……。瞳が、そういう風に言ってくれるのは、すごくうれしい。もしもそういう暮らしができるなら……。よく、分からないが……、たぶん、楽しいんだろうと、思う。だが……」
ジェイ君は首を振った。
「できないんだ。俺はこの場所から離れられない」
「じゃあ探そう! ジェイ君がここから出られる方法‼」
瞳が身を乗り出すように言うので、ジェイ君は思わず尻込みした。
「どっちにせよ、私達もここから出る方法を探さなきゃいけないし。きっとその過程で、ジェイ君が自由になる方法も見つけられると思うんだ。だって私達、二つも呪いをたおしたんだよ? 絶対どうにかなる!」
捲し立てるように言い終えると、しばらくしてから、ジェイ君は「ありがとう」と言った。
その言葉に、瞳は思わず顔をほころばせる。
そしてにわかに顔を赤くし、うつむいた。
「あ、あの……。もし、ね。もしも、方法が見つかって、一緒に住むってなったら……その、…………って、呼んでもいい?」
「もう一度言ってくれ。よく聞こえなかった」
「う、ううん! なんでもないの‼ え、えっと……ちょ、ちょっと夜風に当たってくるね!」
瞳はそう言って、林の中へと走った。
走って、夜風に顔を直接当てて、それでも顔の火照りは取れなかった。
それどころかどんどん熱くなる頬を、瞳は思わず両手で触る。
「もう! あともうちょっとだったのに!」
立ち止まり、思わずそんなことを愚痴る。
しかし、すぐにその顔には笑みが浮かんだ。
「……でも、言いたい。ちゃんと呼びたい。ジェイ君のこと……お父さんって」
想像しただけで、頭が沸騰するほど熱くなる。
「だ、だめだ。こんな顔じゃ帰れない……」
せめてもう少し頭を冷やそうと、林の中を歩いていた時だった。
「きゃっ!」
何かにつまずいて転んだ。
大した怪我はしなかったが、膝を少し擦ってしまった。
「いたたた。なによこれ……」
瞳が立ち上がり、自分が引っ掛けたものを確認する。
それは白くて細長く、棒のように土から突き出ていた。
「ひっ!」
それは人間の骨だった。
思わず飛びのき、逃げようと背を向ける。
が、ぴたりと止まった。
骨の合間から見えた服の裾に、見覚えがあったのだ。
瞳はくるりと振り返った。
じっと、服を観察する。
やっぱり、見覚えがある。
どこで見たのかは覚えていないが、確かにそれを見たことがあった。
瞳は近くにあったシャベルで、その骨を掘り起こした。
しばらく一心不乱にシャベルを動かし、ようやく骨の全容が明らかになる。
それはバラバラにされた人間の骨だった。
当然服もバラバラで、元の形がどういうものなのかは、判別が難しい。
しかし瞳はそれを見て、はっきりと思い出した。
これは、統島に見せられた写真に写っていた服だ。
長身で、顔をマジックのペンで塗りつぶされていた、母親の婚約者の……。
ふと視線を落とすと、その指には指輪がはめてあった。
その指輪を、瞳は見たことがある。
それは、母親がつけていた指輪と同じものだった。
瞳は思わずシャベルを落とした。
この死体がどのようにしてバラバラになったのか。専門家ではない瞳にはよく分からない。
分からないが、嫌でも連想させられた。
人の身体をバラバラにする鋭利な刃物……。そう、たとえばマチェットのような……。
「っ‼」
瞳は翻し、コテージへと駆け戻った。
そんなはずない。
走りながら、瞳は何度もそんなことを思った。
絶対に違う。そんなこと、あるはずがない。
しかし、その“違う”が何の根拠もないことを、誰よりも瞳自身が知っていた。
初めてトタン小屋に足を踏み入れた時の悪寒。
壁に立てかけられた武器に、ほんのりと脂がのっていたこと。
水道で流し損ねていた血痕。
それらが、むしろ自分の予感を後押ししていることに、瞳自身が気付いていた。
それでも……。
そう願う瞳の気持ちはしかし、ただの願いでしかなかった。
コテージに着くと、そこにはジェイ君がいた。
瞳の様子を見て、心配そうにこちらへ歩み寄る。
「どうかしたのか? もしかしてまた──」
「来ないで‼」
思わず、瞳は叫んだ。
その声に、コテージの中にいた三人も、外へ出てきた。
ジェイ君は、どうすればいいのか分からず、そこに立ち止まっていた。
「……ねぇ、ジェイ君。どうしてジェイ君は、お母さんのことを知ってるの?」
ジェイ君は黙っていた。
ごまかしているのではなく、ただ分からないだけだと理解できていても、瞳にはそれが苛立たしかった。
「私、ずっと勘違いしてた。お母さんのことを欲してるってことは、それだけ大切に思ってるってことだって。でも、違う。逆の場合だってある。“自分が仕留め損ねた唯一の獲物”だから。だから……ジェイ君は……」
瞳は思わず唾を飲み込んだ。
これ以上、言葉を紡ぐのは嫌だった。
胃が痙攣して、吐き気すらしてくる。
それでも、瞳は口を開いた。
「ジェイ君……。ずっと前に、禍玉の発掘調査に来た人たちがいたでしょ? ……ジェイ君が、彼らを殺したの?」
「……それは」
「ジェイ君がお父さんを殺したの⁉」
ジェイ君は何も言わなかった。
瞳の目に涙が溜まり、ぽろぽろとこぼれ始めた。
「……信じてたのに」
思わず出た言葉が理不尽なものであると、もはや瞳には思えなかった。
「ジェイ君が、きっと私のお父さんだって……。なのに……こんな……」
瞳は涙を拭い、暗い林の中を駆けて行った。
そんな瞳を、ジェイ君は、ただ黙って見つめることしかできなかった。
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