「ジェ、ジェイ君! 追いかけて‼」
柚子の慌てた言葉に、ジェイ君はうつむくだけだった。
「ど、どうしたのジェイ君⁉ きっと瞳、混乱してるだけだから。誤解を──」
「俺に、追いかける資格はない」
そう言われて、二人は思わず黙ってしまった。
何か、自分たちの知らない重い事情が二人にあることを、なんとなく理解できたのだ。
「で、でも……どうしていきなり……」
「たぶん、確信したんだろうね。行方不明になっていた調査隊員とジェイ君が別人だと。おそらく、死体でも見つけたんじゃないかな」
統島が三人に写真を見せた。
「禍玉の発掘調査隊の写真だよ。ここに写っているのが、瞳ちゃんの母親。そしてこれが、その婚約者だ。オレも瞳ちゃんも、この人物を彼だと勘違いしていたんだよ」
柚子とミウは、渡された写真をじっと見つめた。
「これ……おかしくない?」
ふいに、柚子がそんなことをつぶやいた。
「何がおかしいんだ? オレも瞳ちゃんも確認したけど、変なものは何も写っていない」
「だってこれ、二年前って書いてあるよ」
その写真には、端に小さく年月が書かれてあった。
日付は、確かに二年前のものだ。
「調査隊の斬殺事件は“二年前に起きた事件”だ。整合性は取れてるだろ」
「いやいや、おかしいって! だって瞳は、生まれてこのかた、父親に会ったことがないんだよ?」
統島は、思わず固まった。
「……え?」
「う~ん。ミウ、よくわかんない。どういうこと?」
「瞳が物心ついた時から、瞳の父親は亡くなってたってこと。だからこの写真の人物が瞳の父親のはずがないのよ」
「あ、そっか! じゃあ、さっき瞳が言ってたのは……?」
「瞳も混乱してたのよ。だから、この日付を見落としちゃった。たぶん、この写真の人は瞳の母親の再婚相手だったんじゃないかな。だから……だからよくわからないけど、ジェイ君は何も悪くないってこと!」
統島は、じっと写真を見つめていたかと思うと、突然瞳が駆けだした方向へと走り出した。
「え? ちょ、ちょっと、統島さん‼」
柚子達の声も聞かず、統島は三人の視界から消えてしまった。
「わ、私達も行こう!」
柚子達が走り出そうとする。
しかし、ジェイ君はうつむいたまま動かなかった。
「俺はいい」
その言葉に、二人は立ち止まった。
「さっきの言葉で思い出した。たとえ瞳の父親を殺したわけじゃないとしても。俺は……ここにいちゃいけない存在だったんだ」
「なに言ってるの? ジェイ君はどこにいてもいいよ。ミウが保証する」
ジェイ君は首を振った。
「前に、ミウは俺のことを、あのオオトカゲとは違うと言ってくれた。だが、本当は同じなんだ。オオトカゲとも、市松人形とも、俺は同じだ。誰かを傷つけることでしか、自分を表現できない。三人と一緒にいて。そこが、あまりにも居心地が良くて、忘れていた。俺は世界の最も汚い部分でしか生きていけない。だがら瞳達は、そんな汚い部分には、決して立ち入っちゃいけないんだ。三人がいる場所は聖域で、どこまでも純粋で明るくて……。だから、俺のような存在は──」
「勝手にきれいごとを押し付けないで‼」
柚子の突然の叫びに、ジェイ君は思わず黙った。
「私達は、別にきれいでもなんでもない! ジェイ君が勝手にそう思ってるだけでしょ⁉ そんなの、ママとやってること同じだよ!」
興奮し、肩で息をしていた柚子は、自分を落ち着かせるように深呼吸すると、まっすぐにジェイ君を見つめた。
「ジェイ君は、ただ言い訳が欲しいだけ。そうやってここに留まる理由が欲しいだけ。そんなの、ただ逃げてるだけじゃん! ……何があったとか、よく分かんないけどさ。ジェイ君はこのままでいいの? 瞳と仲直りしたくないの? ちゃんと自分の気持ちを話さなくちゃいけないって、ジェイ君が私に教えてくれたことでしょ?」
ジェイ君の目が、大きく見開いた。
「ええと……、ミウ、よくわかんないけどさ。そういう場所にいるジェイ君が、ミウ達といることって、ジェイ君にしかできないことだと思うの。だから……難しいこと考える必要ないよ。瞳が許してくれなかったら、ミウ達も説得するしさ。それでもダメだったら……ジェイ君の話を聞いてあげる! ジェイ君が、ミウ達にしてくれたみたいに!」
ミウが、にっこりと笑った。
二人を見比べ、ジェイ君はぼそりと言った。
「……俺は、過ちをいくつも犯してきた。それでもいいのか?」
「失敗ならミウの方がたくさんしてるよ!」
「ここにいる資格がない。それでもいいのか?」
「資格なんて、そんなもの必要ない。だって私達四人は……親友でしょ?」
微笑みかける二人を見て、ジェイ君はゆっくりとうつむいた。
今まで、ずっと疑念でしかなかったものが、確信に変わる。
自分はきっと、これを望んでいたのだ。
殺戮の毎日の中で、嘆きと悲しみの咆哮の中で、ただ、誰かにありがとうと言われ、自分に微笑みかけてくれることを。
ジェイ君は力強くうなずいた。
「分かった。もう逃げない。ちゃんと瞳と話して、……そして、みんなでこの湖から脱出しよう」
柚子は頬を緩ませ、拳を突きだした。
ミウも、黙ってそれに倣う。
ジェイ君は二人を見回してから、突き出された二人の拳に、自分の拳をぶつけた。
◇◇◇
瞳は息を荒くしながら、木の幹に手をついた。
先程から、頭痛が酷い。
何かを考える度に、頭が割れるようだ。
滴るように地面へ落ちる大量の汗が、今の自分の異常な状態を示していた。
「……信じてたのに」
一緒にいたいと言ってくれたジェイ君に裏切られた。
柚子も、ミウも、いずれ自分を裏切るに違いない。
二人にふさわしくない自分は、いずれ二人から離れなければならなくなる。
自分はただ一人になりたくなかっただけ。
そのために、ずっとずっとがんばってきたのに。
みんな、自分の側からいなくなる。
柚子も、ミウも、お母さんも。みんなみんな、いなくなる。
「……嫌だよ」
ぽろぽろと涙を流しながら、瞳はつぶやいた。
「もう、一人は嫌だ……」
瞳が膝をついた、その時だった。
『かわいそうに』
ふいに声が聞こえてきて、思わず瞳は振り返った。
「誰⁉」
『あんなに誰かを求めていたのに。あんなに必死にみんなを守っていたのに。結局、お前のそばには誰もいない。お前は永遠に孤独なんだよ』
「やめて……。もうやめて‼」
瞳は耳をふさぎ、その場にうずくまった。
涙を流し、子供のように身体を震わせながら。
『私が側にいるよ』
その声に、瞳の震えは止まった。
「……え?」
『私はずっとお前の側にいる。お前が誰であろうと、何をしようと、ずっと側にいてあげる。私だけは、お前の味方だから』
「私の……味方……」
ゆっくりと、瞳は立ち上がった。
どこからともなく聞こえる声の主を探して、辺りを見回す。
『そうだよ。だからほら。私のことは、ママとお呼び』
「……マ……マ……」
その時、瞳の目の前に白い煙のようなものが現れた。
その老婆の形をした煙は、笑いながら瞳の身体の中へと入っていった。
◇◇◇
「ジェイ君! 本当にこっちで合ってるの⁉」
「瞳かどうかは分からないが、誰かが一か所に留まっている」
三人は林の中を小走りに歩いていた。
ジェイ君だけで瞳のところへ行くという案もあったが、いざという時の宥め役は必要だろうということで、結局三人で向かうことになったのだ。
しばらく歩くと、林の中にある、だだっ広い空間に出た。
そこに誰かが立っていることに、三人はすぐに気付いた。
「……統島さん?」
すぐに彼だと気付いて声をかけるが、返事がない。
統島は立ってはいるが、うなだれていて、まるで動かなかった。
それがどういう状況なのかは、少し近づけばすぐに分かった。
統島の肩に、幹から生える枝が突き刺さり、宙づりになっていたのだ。
「統島さん‼」
三人は慌てて駆け寄った。
彼は大量に出血し、青い顔をして目を瞑っている。
「……まだ生きている」
木から解放して地面に寝かせると、ジェイ君は鼓動を確認してから言った。
その言葉に、柚子達は、ほっと息をつく。
「でも、一体誰が。もしかして……」
嫌な予感が、三人の頭に過ぎった。
突然、統島の手が柚子の服を掴んだ。
「きゃっ! な、なに⁉」
「……ひ……ちゃ……。の……だ……」
何かを懸命に伝えようとしているが、途切れ途切れで、まるで意味が分からなかった。
「とにかく、この男をコテージまで運──」
その時、突然ジェイ君に頭痛が走った。
「ど、どうしたの?」
思わず頭を抱えて膝を落とすジェイ君に、ミウが心配そうに声をかける。
その間、ジェイ君の頭の中では、今まで見たこともなかった様々な記憶が交錯していた。
「……瞳が危ない」
ジェイ君がぼそりとつぶやき、身を翻そうとした時だった。
突然、その巨体が吹き飛んだ。
何本もの木をへし折り、ジェイ君は地面を転がった。
二人が唖然として動けない中、何かが地面を踏みしめる音が聞こえた。
ゆっくりと、何かが歩いて来る。
二人は、ごくりと息を飲んだ。
月の光に照らされた地面に、何者かの足が見える。
闇の中から、ゆっくりとその全貌を現したのは、二人がよく知る人物だった。
「瞳! 無事……だっ……た……?」
柚子の声が、途中で消えた。
ミウが思わず、口元を押さえる。
彼女に生じている異変に、二人はいち早く気付いていた。
「私は無事よ。二人とも」
そう言って、瞳はにこりと笑った。
服は血塗れで、顔にも血痕が付着しているのに、まるでそれに気付いていないかのように。
二人は怯えた目で、血に塗れた瞳を見つめていた。
「ああ、これ? 違う違う。私の血じゃないわ。これは統島さんの血」
腕についた血痕を舌でなめとり、瞳はにやりと笑った。
「ムカつくこと言うものだから、つい、ね。安心して? 二人には痛い思いはさせない。一瞬で殺してあげるから」
二人には、瞳が何を言っているのか分からなかった。
動けないでいる二人を見て、まるでご馳走を前にする肉食動物のように、瞳は目をぎらつかせた。
「私を一人にする奴なんて、もういらない。だから……私が全員、呪ってあげる」
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