アルヴァロとギュードリンから話を聞く中で、俺はふと、前から気になっていたことについてギュードリンへと問いかけた。
「ギュードリンさんの統治していた頃って、人間と魔物がお互いに争わなかった時代だって聞きましたけど、実際のところ、どうだったんですか?」
つまり、「平和な時代」だと言われていた、ギュードリンが魔王に君臨していた47年間。近年でも稀に見るくらいの長期政権を、統治する側はどう見ていたのか。何気に気になっていたのだ。
俺の顔を見たギュードリンが、僅かに目を細めて言う。
「ん。今ではそういう風に言われるけれど、さすがに人間と魔物が末端に至るまで仲良しこよし、ってわけじゃあなかった。自然に生まれ出る魔物は本能で人間と敵対することも多いし、人間も生きていく上で魔物を傷つけなきゃならないこともある。人間の冒険者の仕事は、どうしたって無くならなかったもんだ」
そう話しながら、前代の魔王は深くため息をついた。
曰く、神獣とか獣人とかの理性的な魔物は、ギュードリンの言うこともよく聞いて人間と仲良くしていたのだが、一般的な魔物は本能で動くことも多く、なかなか通達が行き渡らなかったり、伝わっても従ってもらえなかったりしたのだそうだ。
実際、魔物と一口に言っても色々なタイプがある。人間のように頭で考える生き物もいれば、考えることが苦手で本能に従って動く生き物もたくさんいる。こればかりは、一概には言えないものだ。
「人間と魔物がぶつかり合うことを、ゼロには出来ない。私はファン・エーステレンを継いで、その事実を嫌というほど思い知らされた。だから、私と私の子供たち、後虎院の面々に関しては、人間と融和的にいるようにしよう、と決めたのさ」
そう話しながら、苦笑するギュードリンだ。彼女もなかなか思い通りに行かなくて、苦労を重ねてきたのだろう。アルヴァロもため息交じりに言葉を零す。
「そうじゃのう。そういう政策を取った貴様が、過去最強の魔王として君臨したというのも、なかなか皮肉なもんじゃが」
「過去最強だからこそ、この政策をとってもクーデターを起こされなかったんだよ、アルヴァロ……いや、ちょっと違うか。クーデターを起こされても軽々と退けた、だね」
彼の言葉にゆるゆると首を振るギュードリンが、頭をかきながらそう発した。その言葉に、肩を落としながら俺は聞き返す。
「やっぱり、何と言うか……ギュードリンさんの政策に異議を唱える魔物も、居たんですね」
予想はしていた。今の魔王であるイデオンが、ギュードリンの在位時から反抗していて、王座についた途端に全く反対方向の政策を取り始めた時点で。
人魔共存を謳い、それを類稀なる手腕で一部においてだけでも成し遂げた彼女。反発を受けるのも当然といえば当然だ。肩をすくめたギュードリンが苦笑する。
「一定数どころの騒ぎじゃないくらい居たよ。ユングヴァーの頃までは普通に人間と敵対する道を取っていたのが、私の代になって急に人間と仲良くしましょうなんて、簡単に受け入れられるもんじゃない。だけど私があまりにも強いから、王座転覆を考えることすらバカバカしい。そういう話さ」
彼女の話を聞くに、これまでにも人間に融和的な態度を取る魔物はいたらしい。何名かについては歴史にも名を残している。しかし、魔王として王座に就き、魔王軍全体の方針として人類との融和を謳ったのは、彼女が初なのだ。
そして彼女はとてつもなく強かった。それはもう、これまでの魔王が何だったんだというくらいに強かった。曰く、二代前の魔王ユングヴァーの治世が始まる頃から、優しすぎる最強の魔物として君臨していたらしい。
アルヴァロが俺に視線を向けながら説明を続ける。
「ギュードリンの政策は、確かに人間にも益のあるものじゃった。おかげで魔法技術は格段に発展したし、魔物の生み出す素材を用いた工芸品も多く生産された。それまでは実用性重視で、美しさなど二の次じゃったからな。彼女の薫陶を受けた魔物が人間社会に加わり、国家発展に寄与したケースも多い」
昔を懐かしむように話しながら、彼は自分の大剣に手を付けた。その柄には骨を加工した精緻な彫刻が麻紐で括り付けられている。この骨彫刻も、魔物からもたらされた芸術の一つだそうだ。
例えば獣人系の魔物の中には、骨や石を素材にしてそれに彫刻を施し、素晴らしい芸術作品を作り上げる者がいる。その彫刻には特殊な魔法で強化した石ノミが使われ、金属製のノミを使って掘るのとは違った風合いが、人間の間でも人気が高い。
そうした芸術品も、ギュードリンの在位中に人間社会に広まったのだ。それまでは殺した魔物から素材と一緒に回収されるしか方法がなかったのが、魔物との交易で手に入るようになったのだから。
その大剣をソファに立てかけるようにしながら、アルヴァロがゆるゆると頭を振る。
「じゃが、ギュードリンがあまりにも強すぎるせいで、各国の『勇者』認定の仕組みはほとんど形骸化しておった。何しろ魔王を討伐するという、人類最高の栄誉が手の届かないものになってしまったのじゃからな。魔王だけではない、後虎院についてもそうじゃ。彼らは政治的にも重要な存在になっとったからな」
そう話しながら彼が視線を隣に向けると、向けられたギュードリンもこくりとうなずいた。
彼女の直接の配下である当時の後虎院は、全員が今も存命だ。ブラマーニ王国にも当時後虎院の一人だった獅子の獣人、『金眼』のラスムス・ファン・ベイエレンが住んでいて、王都の冒険者ギルドに勤めながら冒険者をサポートしている。俺も何度か話したが、とても感じの良い人だった。
そういう魔物が魔王軍のトップにいるとなれば、それは人間にとってはいいことだが。冒険者にとってはそうとも言えない。アルヴァロがため息をつく。
「結果、何が起こったか。冒険者ギルドの力が弱まり、無法者が続出したんじゃよ。何しろギルドに依頼が舞い込んでくるような魔物は魔王に反目した者共、魔王の力を削ぐにはつながらん、ということでな」
「はぁ……」
その言葉にため息をつくしかない俺だ。
確かに人間に害をなす魔物は、魔王軍の本質から外れた魔物。魔王軍に対してのダメージはそこまででもない。そういう魔物ばかりを退治しても、どこか気が抜けてしまうのが事実だ。
ギュードリンもこきりと首を鳴らしながら眉を下げる。
「魔物の側も、いいことばかりじゃなくてね。魔物の出現率が、私の統治期間は明らかに下がっていた。ま、殺されて数が減ることが少なくなってたから、当然なんだけどさ」
「おばあちゃんの時代、魔物にとっていいことばかりと思っていたけど、そうじゃなかったんだねー」
座って話を聞いていたリーアが、驚いたように声を上げた。彼女からしたらとても意外だろう。今の時代に置いても人間と仲良くしていて、親もそれを良しとしている一家だ。
リーアに頷いてみせながら、ギュードリンがさらりと髪をかきあげた。
「そういうもんだよ、リーア。今の時代にも昔の時代にも、それぞれいいところ、悪いところがあるもんさ。今の時代も強硬派の魔物にとってはいい時代だろうしね」
そこまで言うと、急に彼女がパンパンと自分の頬を両手で挟んだ。そのまま勢いよくソファーから立ち上がる。そして、俺を見下ろしながら彼女は指をこちらに突きつけてきた。
「うーん、よし! 難しい話してたら身体を動かしたくなってきちまった。ジュリオ君、折角だから一戦交えようか」
「え……」
その言葉に、俺は目を丸くする。リーアも、アンブロースも、ティルザも同様に目を見開いた。
今、彼女は「一戦交えようか」と言ったのか? 俺と?
「えぇっ!?」
予想外の事態に、俺はすっとんきょうな声を上げる。
まさか、世界最強の魔王、神魔王ギュードリンと直接拳を交えるだなんて。それをギュードリンの側から誘われるなんて。
あまりの事態に目を白黒させる俺の手を、彼女はにこやかに笑いながら掴んで、ぐいと引っ張ったのだった。
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