翌朝、日が昇り始める頃。
俺とリーアはオルニの町の外、国境から離れる側の街道にいた。
俺の隣には見上げるほど大きな体躯の魔狼が一匹。誰あろう、昨晩山の中で酒席を共にしたジャコモである。
昨晩、「友人の神獣を紹介しよう」と言い出したことは記憶に新しい。紹介だけならまだしも、彼は現地まで案内してくれるというのだ。
「ジャコモさん、わざわざ俺に同行してくれなくても……しかも従魔の仮契約まで結ぶなんて」
申し訳なさを身体いっぱいに表現しながら俺が言うと、ジャコモは気にする風でもなしに、俺の着ぐるみの頭につんと鼻先をくっつけた。
「いいのいいの。あいつ、気難しいやつだからさ。俺の紹介で来た、なんて誰が伝えても、絶対に信用しないんだ」
「アンブロースさん、人間不信だもんねー。気分を害したら大暴れするし」
リーアもにこにこ笑いながら、ジャコモの毛皮に指を入れていた。彼女が発した人名に、俺ははたと動きを止める。
アンブロース。何となく、ヤコビニ王国に入った後で聞いた覚えがある。有名だったような気もする。
「アンブロース……アンブロース……どこかで聞いたことがある名前だな」
「南クザーロ郡の東の方に、ピスコボって森があるのは知ってるか? そこの護り手をしている雷獣だよ」
「へっ!?」
俺が記憶の糸を手繰り寄せていると、ジャコモが目を細めながら助け舟を出してきた。
その言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げた。上げるしかなかった。ようやく思い出したのだ、その魔物の事を。
「ピスコボ森林のサンダービーストの王……いや、ちょっと待ってください、相当な暴れん坊として有名な奴じゃないですか!?」
ピスコボ森林。ヤコビニ王国の南東部に広がる広大な森だ。よく落雷が起こることで知られるその森は、神獣の一種であるサンダービーストの住まう森として、国内外でも名を知られている。
サンダービーストは獰猛で気まぐれ、一度怒らせたら辺り一帯を黒焦げにするまで止まらない、と恐れられる生き物だ。人を喰らうことはしないからいいが、邪魔者はなんであれ一片の容赦もなく焼き尽くす。
『雷獣王』の異名を取るアンブロースはその中でも、特に獰猛で暴れん坊、なおかつ群れでも抜きんでた実力を持つとして、近隣の村々で恐れられている存在なのだ。以前に森の傍にあるピスコの村に立ち寄った時、村長から「右目に三本の切り傷を持つ雷獣がアンブロースだ、やつに手を出したら死ぬ」ときつく言われていた。
そんな相手が、軽い調子で紹介できる友人だとは。よくよくこの若い魔狼も規格外である。
「何度か討伐依頼が出されては、そのたびに結構な損害を冒険者側に出してるからなー。アンブロースもそろそろいい歳だし、森でくすぶってるよりはジュリオさんに引き取ってもらった方がいいかなってさ」
そんな調子で、まるで近所の友達の話をするかのように、ジャコモは話す。というか、何度も討伐依頼を出されて、そのたびに冒険者側に損害を出して、かつ生き残っているとか、規格外にも程がある。神獣怖い。
俺はもう、ドン引きを禁じ得ない。
「えぇ……」
「ま、俺もいるから大丈夫だよ。単独で行くよりは話もしやすいって。ほら、仮契約結んじゃおうぜ」
俺の肩にその大きな頭を乗せてすりよりながら、ジャコモは俺にやるべきことを促した。
調教士が魔物と結ぶ従魔契約には、本契約と仮契約の二種類がある。本格的にあちこちに連れ回し、ずっとそばに置いておくために結ぶ本契約と違い、仮契約は一時的に共闘するために結ぶためのものだ。
神獣の中には自ら人間に協力する姿勢を取る者もいるが、大半は契約を以て従わせ、人間に協力させるものだ。魔物の側も、従魔契約が結ばれているかいないかで、同行する人間の力を見定めるものが多い。
ジャコモは別に、従魔契約を結ばなくたって俺に協力してくれるだろうが、契約を結ばないと人の住む村に一緒に立ち入れないし、アンブロースに俺の力量を見定めさせることが出来ないのだ。
「あたし、調教士の人の契約結ぶところ見るの初めてー」
「俺だって結ぶの初めてだよ……講習受けたのつい一昨日だし……」
わくわくしながら尻尾を振るリーアに、俺は力なく言葉を返す。
実際、調教士の講習を受けて、正式に着ぐるみ士と調教士の二重職業になったのが一昨日の話。正式に魔物相手に契約を行使するのは、これが初めてだ。
緊張しながら、俺はジャコモと正面から向かい合う。
「じゃ、やります」
「よろしく」
短く言葉を交わし合って、俺は右手を前に突き出した。手のひらをジャコモの喉元に向けるようにしながら、詠唱文句を紡ぐ。
「主たる我、汝と一時の契約をここに結ぶ……我が手を離すその時まで、我は汝の友、汝は我の友……いざや我ら、共に遥かなる旅路を歩まん!!」
最後の一句まで発すれば、俺の手とジャコモの首が光で結ばれて、その光が俺の手から離れるや、しゅるりと首輪のように彼に巻き付いた。それを確認した俺が、安堵の息を吐いて手を降ろす。
「よし……これで契約は結ばれたはずだ」
「ん、いいよ。こっちも契約印を確認した。これで暫くの間、俺はジュリオさんの従魔ってわけだ」
安心したように胸を撫で下ろす俺に笑いかけるジャコモ。その首には確かに、従魔契約をするにあたって刻まれる契約印が描かれている。
この印が、魔物が調教士の支配下にいる証だ。これは仮契約の印だから線がところどころ途切れているが、本契約なら一つながりの線になる。
ともあれ、これで俺とジャコモは一心同体、一蓮托生というわけだ。そんな彼がにっこり笑って、その場に低く伏せる。
「よし、それじゃ契約も無事に結ばれたことだし、ピスコボの森まで行こう。ジュリオさん、リーア、背中乗って」
「わーい、お兄ちゃんに乗せてもらうの久しぶりー!」
「えっ、いいですよそんな、俺だってフェンリルの足は持ってるんだし」
俺とリーアを背中に乗せる構えのジャコモに、リーアが嬉々として背中によじ登る。対して俺は困惑していた。
いくらフェンリルとはいえ、俺とリーアの二人分の体重がかかるわけで。それなら俺だけでも乗らずに、並走して走ればいいのでは、とも思ったのだが。
ジャコモはふるふると首を振った。
「むしろ背中に乗ってくれないとこっちが困るんだよ。いくら足の速さが同じだからって、同じように障害物乗り越えたりは出来ないだろ。ジュリオさん、まだ魔狼転身に慣れてないんだし」
「う……確かに」
彼の言葉に、何も言い返せない俺だ。
南クザーロ郡は山がちな地形で、岩が転がる土地も多い。魔狼なら軽々越えられる岩も、人間は避けるほかない、というケースもあることだろう。魔狼の姿になれないわけではないが、なった上で長時間駆ける、というのは骨だ。
加えて俺はこの近隣に土地勘があるわけではない。ジャコモに乗せてもらって、案内してもらった方が効率的なはずだ。
「さ、分かったら乗って乗って。昼前には森に着いちゃいたいからさ」
そう言いながら、尻尾をばさりと振って俺を促すジャコモだ。リーアも早く早く、と俺が乗ってくるのを待っている。
ここまで来たら断りようもない。彼の肩に手をかけて自分の身体を持ち上げる。足を持ち上げ、リーアの前、ジャコモの背中に跨った。
と、一息に彼が立ち上がる。そして人間二人を乗せているとは思えない超スピードで、彼は街道を一気に駆けだした。
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