オルニの町を出発した翌日、太陽が徐々に傾きだした頃。
俺たち三頭はようやく、ヤコビニ王国の中心地、国土のほぼ中央に位置する王都ジャンピエロの城壁の前に到着した。
「着いた……!」
最後は少し小走りになったので、俺もリーアも少々息が荒い。舌を垂らしてはふはふと呼吸をする横で、アンブロースが涼しい表情で城壁を見上げた。
「ここが、ヤコビニ王国の首都、ジャンピエロか」
「すごーい、おっきーい!」
リーアが輝かしい目をして、初めて見る石造りの城壁を見上げている。
オルニの町は門こそ設置されているものの、城壁までは組んでいなかった。本格的な城郭都市を見るのは、彼女はこれが初めてのはずだ。
と、城壁の外で警備をしていた衛兵が俺たちに気付いた。二人、こちらに槍を構えながら駆けてくる。
「そこの三頭、止まれ!」
「ここから先は王都ジャンピエロの領域だ、魔物の侵入は冒険者の従魔以外許可されていない!」
その言葉を聞いて、俺は肝の冷える思いがした。
やってしまった。今の俺はどこからどう見ても魔狼ではないか。問答無用で攻撃されなかっただけよかったというものだ。
「あっ……しまった、この姿のままならそりゃそうか」
「うかつだぞジュリオ、魔狼の姿のまま王都に入れるとでも思っていたのか」
「ごめんね兵士さんたち、ちょっと待ってね!」
さも当然のように人間語で会話をして、さらには衛兵に呼びかけて、俺たちは手近な茂みに身を隠した。人化変身するのに人目に付く城壁前ではよろしくない。
とはいえ、それ以前の段階で衛兵たちには衝撃が走ったようで、目を大きく見開きながらこちらをねめつけている。
「しゃ、喋った……」
「お前たち、一体……」
その反応にどう返したものかと悩みながら、俺は人化転身を発動して着ぐるみをまとった。隣でリーアも人化し、アンブロースは小獣転身を発動する。
そうして狼の着ぐるみ、狼人の少女、俺の肩に乗る小さなサンダービースト、という出で立ちになって、茂みから外に出た俺たちだ。
「お待たせしました」
「これで大丈夫だよね!」
「「ひぃっ!?」」
ぺこりと頭を下げる俺を見て、衛兵たちは揃ってすくみ上がった。手にしていた槍を、二人揃って地面に落とす始末だ。
当然だ。直接変身する姿を見せていないとはいえ、状況証拠がこれ以上ないほど揃っている。あのウルフが俺であり、リーアであることは、疑いようもない。
肩をすくめながら、俺は腰のベルトに入れていたディアマンタイト製のタグを見せる。
「南クザーロ郡支部所属、Bランクパーティーの『双子の狼』です。こっちのサンダービーストは俺の従魔です」
「あたしたち、冒険者のタグもちゃんと持ってるのよ」
「町の中ではこうして小さくなっているゆえ、心配は無用だ」
二人して冒険者のタグを見せて、アンブロースがあごを持ち上げ首元の従魔の紋様を見せると、衛兵は揃って背筋をびしりと伸ばした。手を城門の入り口の方に向けるが、その手が、というか身体全体が、がくがくと震えている。
「りょ、りょ、了解しました」
「ど、どうぞお入りください……よい一日を……」
震えた声で、俺達を町の中に迎え入れる衛兵。なんだか申し訳ない気分になって、ぺこりと頭を下げながら俺達はジャンピエロの町の中に入った。
門の内側に立っている衛兵たちも、ぎょっとした表情でこちらを見たが、敢えて気にしない。気にしたら負けだ。
「狼の姿だと長距離移動が楽だから、つい人化するのを忘れてそのまま町に入っちゃいそうになるな」
「忘れるでないぞ、私は従魔の紋が刻まれているからいいが、貴様らは一見したらただの野生の魔物なのだからな」
ぺろりと着ぐるみの頭の中で舌を出す俺に、アンブロースが肩の上から冷たい眼差しを向けてくる。全くだ、返す言葉も無い。
いくら俺もリーアも冒険者のタグを持っているからと言ったって、魔物の姿のままで冒険者だと見抜けという方が無理な話なのだ。
小さく肩をすくめる俺の隣で、リーアがこてんと首を傾げる。
「ねージュリオ」
「なんだ、リーア?」
声をかけられ、そちらに頭を向ける俺へと、彼女は随分不思議そうな顔をして、俺に問いかけてきた。
「あの兵士さんたち、あたし達のことすごく怖がってたね?」
その言葉に、俺もアンブロースも揃って目を見開いた。
何を今更、という話ではある。しかし彼女は俺の仲間になるまで、オルニの町とオルネラ山以外の場所に行ったことが無かったのだ。
オルニの町人はルングマールの存在があるから、彼の子供達が目の前で変身したとして何も思わなかっただろうが、例外中の例外だ。
アンブロースが涼しい顔をして鼻を鳴らす。
「それはそうだろう、町の衛兵とて無能ではない」
「まぁ、当然だと思うよ。魔狼の姿を見せているし、直接変身したところを見せてなくても、状況的に俺らだって分かっちゃうだろうしな」
俺もアンブロースに同調しながらそっと頭を掻いた。まだまだ人間社会のルールに明るくない彼女に、俺は優しく言い聞かせる。
「人化転身が出来る魔物って、基本的にSランク以上の強力なやつだからさ。人間に変身するところを見せたり変身したってことが分かると、みんな警戒するんだよ。
こいつは人間の見た目をしているけれど、中身は人間とは違う生き物だぞ、ってのが分かっちゃうからな」
説明しながら、俺はもう一度肩をすくめた。
人化転身を使える魔物の恐ろしいところは、人間にそれと気付かせずに人の営みの場に入っていけることだ。人化して町に入り、人化を解いて暴れ回る魔物が、過去にはたくさんいた。
だから世界各地の冒険者ギルドでは、町に入られてもそれだと分かるように、魔物の存在を常に監視しているのだ。
それもあって、今のご時世で人化して町に来る魔物は人間に友好的なものばかり。それでも衛兵に要らぬ心配をかけないよう、人化した状態で街におもむき、街を出るまで人化は解かない、がならわしだ。
「Xランクになるとそうでもないが、魔物というのは得てして、ちょっとのことで気分が変わる生き物だからな。我慢する気がない者も多い。故に、人化した魔物だと分かれば、大概の人間は恐れるのだ」
アンブロースがそう話しながら、ゆるゆると頭を振る。彼女も彼女で気まぐれな性格だ、身につまされるところはあるのだろう。
彼女の発言に苦笑して、俺はリーアの頭に優しく触れた。大きな三角耳がピコンと伏せられる。
「まあ、あの衛兵たちだけは俺たちが魔物であることを把握しただろうし、王都警備隊には情報が行くかもしれないが、一般の市民にはそういう情報が回らないから、気にしなくていいぞ。いつも通りに接すればいいさ」
そう話しながら、俺はリーアの頭をくしゃりと撫でた。
歩くうちに俺たちは、街の外縁部、緩衝地帯の空き地を抜けてジャンピエロの町の市街地へと入っていた。街道沿いには市民の家々が建ち、子供たちがにぎやかに遊んでいる。
俺の姿を認めた子供たちが、瞳を輝かせてこちらを指差した。
「きぐるみさん!」
「きぐるみさんだ!」
「ははは、よーしよし、皆元気だなー!」
嬉々として子供たちを構い始める俺の肩から、アンブロースが離れてリーアの肩へと移る。賢明だ、彼女に子供が手を出したら面倒なことになる。
こうした子供たちの相手は、俺の得意とするところだ。今までナタリア目当てに群がってくる子供たちの相手を、一手に引き受けていた経験は伊達ではない。そうでなくても子供は可愛いものだ。
飛びつかれても楽しげに笑って相手をする俺の背中に、リーアとアンブロースの声がかかる。
「ジュリオ、すごいねー。ほんとに子供に大人気」
「勇者パーティーの一員という下駄を脱いでもこれなのだ。こやつ自身の魅力の為せる業だろうよ」
そんな評価を背中で聞きながら、俺は子供たちに向かって両手を高く上げてみせる。お得意の猛獣のポーズだ。
「よーし行くぞ、がおー!」
「わーっ!」
「あははは!」
覆い被さるように上から吠える俺を見て、子供達のテンションはますます上がる。楽しそうに笑いながら身を引いて、縮こまる。
そんな姿を見ながら、アンブロースがくすくすと笑った。
「ふっふ、存外、あの勇者は大きな魚を逃したのかもしれんな?」
「だねー」
リーアも同調して、微笑ましそうに表情を緩める。
しばらく、ジャンピエロの街道には楽しげな笑い声が響いていた。
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