「はぁっ!!」
「グォォォ……!!」
ナタリアのロングソードが光り輝きながら、群青色の竜の首元を切り裂く。
竜は鮮血をまき散らしながら後方に仰け反り、そのままどう、と草地の上に倒れ込んだ。傷口からあふれ出した血が、どんどんと地面に広がって下草を血で染めていく。
動かなくなった竜の下顎を剣先でつついたナタリアが、喜びの声を上げた。
「よっし、殺した!」
「よし、お疲れさん」
「お疲れ様でした」
イバンもベニアミンも、口々に労いの言葉をナタリアへと向ける。
ここはグラツィアーノ帝国北ニェッキ郡の南部に広がるボルレッリ丘陵。たくさんの竜が住み着くことで知られるここで、「白き天剣」はある一頭の嵐竜の討伐に来ていた。
丘陵の竜の中でも特に血気盛んで、頻繁に北ニェッキ郡を行く冒険者や商人を襲っていた厄介者だ。それを、彼女らは単独で討伐を成し遂げたのである。
レティシアが安心したように息を吐きながら言った。
「これでクエストクリアですね」
「すごいですわ……単独のパーティーで、Sランクのドラゴン討伐を成し遂げてしまうなんて。さすがは『天剣の勇者』ですわね」
マリサが感動したようにナタリアを持ち上げると、彼女も自信ありげに胸を張った。
「ま、勇者だからね。さて、素材回収素材回収」
が、すぐさま荷物の中から素材回収用のナイフを取り出して、ストームドラゴンに歩み寄っていく。率先して素材回収を始めたナタリアの姿に、レティシアが目を大きく見開きながら口を開いた。
「ナタリアさん、変わりましたね」
「そうですね、前は自分から回収用のナイフを握るなんて、考えもしませんでしたが」
ベニアミンも感心するやら驚くやら、何とも言えない表情をしながら彼女に答える。
「あたしは勇者なんだから」とは、かつてのナタリアの常套句でもあった。別にその言葉を発する回数が減ったわけではないが、かつてのナタリアはこの言葉を盾に、あらゆる面倒ごとを他のメンバーに押し付けてきたのだ。
「荒ぶる獅子」のフランコ・マロッコロやジョズエ・インギレッリなど、「白き天剣」を追われるまで雑務を押し付けられ、それを嫌がっていた元メンバーは多い。文句を言いつつも押し付けられた雑務をやり続けていたのは、イバンやジュリオくらいなものだ。
ストームドラゴンの舌を切り取ったナタリアが、振り返りながら言う。
「マリサが言うんだもの、『自分で素材回収をすれば、それだけ魔物の肉体の弱いところを自分で知ることが出来る』って」
ナタリアの言葉に、イバンもベニアミンも目を見開いた。
魔物の素材を回収することは、冒険者の必須スキルであり、冒険者に最低限要求される行動だ。特にE級やD級の冒険者は依頼報酬だけではとても生活が出来ず、突発クエストに関われることもまず無いため、魔物の素材を回収して下取りしてもらわないとやっていけない。
さらに死んだ魔物の肉体にナイフを入れる行為は、魔物の身体の構造を身をもって理解することに繋がる。その結果、どの魔物は身体のどの部位が弱く、どの部位を狙って攻撃すれば的確にダメージを与えられるか、知ることが出来るのだ。
だからS級の冒険者にまでなる頃には、魔物の素材を回収する行為に面倒くささなど感じないようになっており、どんな冒険者も率先して回収用のナイフを手にして魔物を解体するのだ。
そんな当たり前のことをおろそかにしてきたナタリアに、マリサが微笑みを絶やさないまま言葉をかける。
「はい。回収をするということは、魔物の身体をつぶさに観察するということですわ。強くなるのに、これほど効率的な作業もありませんでしょう?」
冒険者学校の先生のように話すマリサに、イバンも腕を組みながらうなずいた。彼自身、前々からナタリアに口うるさく言って来たことでもある。
「確かにな。魔物の弱点を身を以って知る、と言うのは大事なことだ。アルヴァロ先生も口を酸っぱくして話していたことだが」
「そうですね……だからでしょうか、ナタリアさんのレベルの上がり方」
イバンの言葉にうなずきながら話すレティシアが、ストームドラゴンの瞳をくり抜くナタリアの頭上を見ながら零す。グラツィアーノ帝国に入った当初は43だったナタリアのレベルは、今や49まで上がっている。他の四人と比べても、飛び抜けてレベルの上がり方が大きかった。
何とも言えない顔をするレティシアに、ベニアミンが肩をすくめながら言った。
「まぁ、効果が目に見えて現れているんだから、いいじゃないですか。勇者としてレベルが高いことは、有難いことですし」
「そ、そうですね」
楽観的に話すベニアミンに、苦笑を返すレティシアだ。彼女としては心配なのだろう、今までこんなに順調に、ナタリアが力をつけてきたことは無いからだ。
S級冒険者の認定試験に合格し、S級として遜色ない経歴の持ち主であるナタリアだが、いろんなところで手を抜いてきたがために、そのレベルは他のS級と比べて低い。それがここに来て一気に力をつけてきたのだ。増長しないとも限らない。
と、そんなレティシアの内心に気付く様子もなく、ナタリアがナイフを片手に後ろを振り返る。
「マリサ、イバン、ちょっといい? これの腹を裂きたいんだけど、一人じゃやりづらくて」
「ああ、分かりました」
「ああ」
ナタリアに呼ばれて、マリサとイバンがそれぞれストームドラゴンの身体を押さえに行く。ドラゴンの腹部は他と比べて柔らかいとは言え、その身体は細かい鱗に覆われている。どうしたって、ナイフは入れにくいものだ。
二人がストームドラゴンの身体を押さえつけ、腹部に張りを作る。その状態であばらの下に、ナタリアがナイフを突き刺した。
「よっ……こい、しょっ!」
そのナイフに力をこめてぐっと引っ張れば、腹部が切り裂かれて内臓があらわになる。それまでの戦闘で腹部には血が溜まっていたのだろう。どばっと生臭い血が溢れ出し、ナタリアの全身に竜の血がかかった。
その様に、離れて見ていたレティシアとベニアミンはぞっとする表情をした。
「うわぁ……血が……」
「うっぷ。何度嗅いでも慣れませんね、このにおいは」
二人の言葉を聞きながらも、ナタリアは解体の手を止めない。それどころかストームドラゴンの腹の中に頭と手を突っ込んで、次々に内臓を取り出している。もう、全身が血と臓物の欠片にまみれて大変なことになっていた。
その様子を見ながら、イバンは何とも言えない表情をしていた。
「……」
眉間にしわを寄せて険しい表情をしているイバンに、マリサが不思議そうな顔をしつつ問いかける。
「イバンさん?」
「いや……何でもない」
その言葉に小さく顔をそむけながらも、イバンは表情を変えなかった。
このメンバーの中で、イバンはナタリアとの付き合いが最も長い。パーティー在籍年数の問題だけではない、「ピエトリ学舎」で共に学んだ仲でもあるから、ナタリアの性格は特に熟知している。
だからこそ、彼は今目の前で起きていることが特に信じられないでいた。
「(こういう、血にまみれる仕事は、今までは全部ジュリオの役目だった……あいつは着ぐるみ洗浄のスキルがあるから、着ぐるみを着て素材回収をしていれば、どれだけ血にまみれても一瞬で綺麗に出来た)」
そう、こういう素材回収をナタリアが今までやりたがらなかった理由は、単に面倒だからと言うわけではない。身に付けている着ぐるみを、どれだけ血でドロドロにしても一瞬で綺麗に出来る、ジュリオがいたからだ。
ジュリオが「白き天剣」で長くやってこれたのには、この理由もあった。見た目の暑苦しさに我慢ならなくなるまでは、子供の相手を安心して任せられるし、素材を回収させれば手間ではないしと役立っていた彼なのだ。
そのジュリオが、今はもういない。だからイバンは素材回収に関しては、自分にお鉢が回ってくると思っていたのに、これだ。
「(ナタリアにはそういうスキルは無い。それに血や汚れが付いたらすぐに川を探して洗うくらいに潔癖だ……だが、今はどうだ?)」
マリサが加入して、彼女の来歴を聞いたあの日から。ナタリアは人が変わったかのように、魔物の血でまみれることを嫌がらなくなった。と言うよりむしろ、自ら好んで血を浴びているようにも見える。
本当に、人が変わったかのように行動が変わったのだ。
「マリサ」
「はい?」
だからイバンは、内心怪しむのを止められないままに、マリサに声をかけた。返事を返してくる彼女は、いつものようにうっすらと笑っている。
その表情に、胸の奥がちくりと痛む。眉間にしわが寄らないよう注意しながら、イバンは質問をぶつけていった。
「いったい、どうやってナタリアに言い聞かせたんだ。今まで俺が何度言っても、ちっともあいつは聞かなかったのに」
心の内に溜まった疑問を投げかけていくと、困ったように笑いながらマリサは首をかしげ、そして口を開いた。
「ふふふ。きっとナタリアさんは、イバンさんから言われると意固地になってしまうのでしょう。ブラマーニ王国を旅立つ前からのお付き合いなのでしょう? 素直に受け入れられないのも仕方ありませんわ」
「……そうか」
その言葉に、イバンはうっすら目を細める。そう言われれば、確かにそうだ。
ナタリアとはもうかれこれ、5年は行動を共にしている。他のメンバーが1年未満の付き合いであることを考えると圧倒的だ。それは、ナタリアだって意見を素直に聞き入れたくない気持ちにもなる。
「よっし、取り終わったー! これで報酬がっぽりね!」
再び何とも言えない表情に戻って、視線を正面に戻したイバンの前に、ストームドラゴンの心臓を掲げた、全身を竜の血で汚したナタリアの姿があった。
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