ジェミト森林を進む「白き天剣」。その間にも、パーティーリーダーであるはずの勇者ナタリアは、捕縛と沈黙を解かれないまま、イバンに無造作に担がれて運ばれていた。
開きっぱなしの口からはよだれがボタボタ垂れていて、完全に形無しである。
「……! ……!!」
それでもナタリアは、なんとかイバンに抱えあげられている状況から脱しようと、動かない身体を震わせ、出ない声を出そうとしていた。しかしそんなことなどお構いなしに、イバンは森の中をずんずん進んでいく。
そして、ピスコボ森林から大きく離れ、そろそろ森の木々が途切れるだろうか、という頃合いで。マリサがそっと声をかけた。
「イバンさん、そろそろよろしいですか?」
「こちらも。もう十分離れたかと思います」
ベニアミンも一緒になって声をかける。二人の申し出に、イバンはこくりとうなずいた。
「ああ。だがベニアミン、顔以外の捕縛はまだ解くなよ」
「了解しました」
同意しながらも容赦のないイバンの言葉に、ナタリアがぐっと動きを止める。
そして粛々と、マリサが沈黙を、ベニアミンが顔部分の捕縛を解除すると、ようやく発声が自由になったナタリアが大きく息を吐き出した。
「……っぶは!! うぁー、もう何なのよ、あれ!!」
「ナタリアさん、あの、大丈夫ですか……?」
声を取り戻して早々に、先程目の当たりにしたものへの悪態をつき始めるナタリアに、おずおずとレティシアが声をかける。
顔を動かすのは自由になったが、首を向けることはまだできない。せいぜい、目だけを動かしてにらみつけるくらいだ。鋭い視線をぐるりと動かしながら、ナタリアが叫ぶ。
「大丈夫だけど、ベニアミン! さっさと解きなさいよ、この捕縛!」
「ダメです」
命令するかのような言葉を叩きつけるナタリアだが、ベニアミンの返事はそっけない。その言葉にナタリアがぎりりと奥歯を噛んだ。これではまるで、敵国の捕虜か、捕らえられた犯罪者と扱いが大差ない。
捕縛をいったん全身にかけて維持し、その後顔部分だけ解除して話させるやり方は、尋問の一般的な手法だ。しかし相手は勇者、魔王陣営がやるならまだしも、冒険者側がやるようなことではない。
イバンに抱えられたままで、もう一度ナタリアが腕から抜け出そうともがく。
「なんでよ! 別にあたしは逃げ出したりなんか――」
「ナタリア、よく聞け」
もがきながら文句を垂れるナタリア。しかしその言葉をさえぎって、イバンが冷たい視線を向けた。
立ち止まり、手近な木にナタリアの身体をもたれさせて、それを四人で取り囲む。レティシアは困惑顔だが、残り三人は冷静だ。見下すような目をして、イバンが言う。
「お前、さっきは本当に、冗談抜きで殺されるところだったんだからな?」
「僕とマリサさんが止めていなければ、死んでましたよ、貴女」
ベニアミンも、今回ばかりは呆れ顔を隠そうとしない。普段は温和で礼儀正しい彼の厳しい言葉に、ナタリアが言葉に詰まる。それでも、反抗するように彼女は口を開いた。
「何を根拠に、そんな……」
「ナタリアさん」
納得しかねるナタリアの言葉を遮ったのはマリサだった。感情の無い顔をして、彼女の頭上に目を向ける。
「貴女のレベル、今いくつですか?」
一見すれば分かるようなことを、改めて問いかけるマリサ。それに目を見開きながらも、むくれながらナタリアは答えた。
「よ、42だけど」
「イバンさんは?」
「俺は55だな、全国冒険者闘技大会で優勝した時の経験値もあるから」
次いでマリサが声をかけるのはイバンだ。彼は「白き天剣」の所属メンバーで、最もレベルが高い。さすがは並み居る強豪をすべて打倒し、冒険者の頂点に君臨したことのある戦士だ。
それにこくりと頷いて、マリサは改めてナタリアに顔を向けた。
「ですよね。では、ナタリアさんが斬りかかろうとした、あの狼人の方。レベルは?」
それを問われ、ぐっと言葉に詰まるナタリアだ。
あの狼人の拳闘士、リーア。彼女のレベルも異常に高かった。その数値は、ナタリアも覚えている。
「……ひゃ、143、だったけど」
「はい。元が魔物とはいえ三倍以上の差がありますよね? イバンさんですら一人では厳しいでしょうに、貴女のレベルでかなうと思いますか?」
そう言って、マリサはつい、とナタリアのあごに触れた。そっと指を喉元に這わせるようにしながら、冷徹な目を向ける。
初めから、万に一つも勝ち目がないのだ、先程のナタリアの暴挙は。
イバンが腕を組みながら、静かな口調で呼びかける。
「冒険者が一対一で死なずに相手を出来る魔物のレベルは、自分のレベルの二倍以下まで、が通説だ。多対一でようやく、二倍レベルの相手に安心して挑めるくらいになる。それ以上の相手に挑みかかって、無事でいられる保証はない……お前も、よく知っていると思うが」
「そ……そうだけど! でも……」
あんなことを言われて、黙っているなんてあり得ない。
そう抗弁しようとするナタリアだが、うまく言葉が出てこない。頭のどこかで、分かってしまったのかもしれない。
あんな相手を殺すどころか、傷を付けることすら、自分には無理だと。
そこに追い打ちをかけるように、ベニアミンが頭を振りながら言った。
「それだけじゃありません、あの少女の後ろには、レベル200以上の神獣が二頭もいたんだ。ジュリオの話したあの言葉は、どうしようもないほど事実です」
「お前が何百何千と斬っても、俺の毛一本も斬れない」。
彼のその言葉を思い返しながら、ナタリアは歯噛みした。うつむきたいが、捕縛がまだかかっている。うつむくことすら出来ない。
「冒険者のX級は、一般にレベルが三桁に達したら認定資格を得られる。アルヴァロ先生は今現在でも人類最強と言われているが、それでもレベル129だ。今の先生でも、アンブロースと一対一で渡り合えるかどうかだろう」
視線をどこか遠くに投げかけながら、イバンは淡々と告げた。
アルヴァロ・ピエトリが人類という括りにおいて最強なのは、冒険者を引退してからも並々ならぬ鍛錬を継続しているからだ。生徒を教える傍ら、早朝から深夜まで鍛錬に明け暮れている。
その経験値たるや、「肉体の衰えが無ければ神魔王に傷をつけることも出来よう」と評されるほど。もっとも、ギュードリン自身がアルヴァロを気に入って、今でも彼と定期的に一対一で真剣試合を行っており、その度にアルヴァロは一筋か二筋傷をつけて帰ってくるので、全くの過小評価なのだが。
そのアルヴァロですら、アンブロースと相対して死なずに戦闘を終えられるだろう、というくらいなのだ。ナタリアでは九割九分、一瞬で叩き潰されて終わりだろう。
「ジュリオはそれより強いんだ。お前じゃ到底無理だよ」
「く……!!」
ダメ押しとばかりに、イバンが現実を突き付けてくる。もうナタリアは、自分の仲間を直視することも出来なかった。
自分じゃ勝てない。かつて仲間だった者に。自分の仲間でなくなった途端に、人外の力を手にした顔馴染みに。
苦しげな声を漏らすナタリアを見ながら、マリサがそっと笑みを浮かべる。
「まあまあ、イバンさん、その辺にしておきましょう。彼らが獄王の側でないことが分かったことは、喜ばしいじゃありませんか」
彼女の言葉を聞いて、イバンがこくりとうなずいた。確かに、これでジュリオがイデオンの配下に付くことを選んでいたら、イデオン撃破は文字通り不可能だっただろう。
「ん……確かにな。ジュリオたちが魔王討伐の障害になることが無いというだけでも、気は楽だ」
「そ、そうですよね……あんな、恐ろしい力を持つ魔物を、相手取ることが無い、と分かっただけでも……」
四人の話を黙って聞いていたレティシアも、おずおずと声を発した。それを聞いたナタリアが、再び視線を落とす。
彼女の様子を見たイバンが、ベニアミンへと視線を投げた。
「もういいだろう、ベニアミン」
「はい」
短く答えた彼が、さっと手をかざすと。ナタリアの身体が糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。捕縛が解除されたのだ。
ゆらりと立ち上がるナタリアに、イバンが肩を貸す。そのまま、彼女らは森の外に向かって歩き出した。
ゆっくりと足を進めながら、憔悴した表情でナタリアがこぼす。
「……イバン」
「なんだ」
短い呼びかけに、イバンも短く返して。
そして消え入るような小さな声で、彼女は言った。
「ごめん」
「何がだ」
確かに謝ったナタリアに、しかしイバンはそっけない返事だ。
その言葉に、いくらか覇気を取り戻したナタリアが、うめくようにして返す。
「面倒かけた……あたしが、もっと強ければ、こんなことには」
もっと強ければ。もっと自分に力があれば。
そう述懐するナタリアの頭を、イバンがもう片方の手でポンと叩いた。
「お前は、体を鍛えるより、心を鍛える方が先だろうな。その方が、レベルアップは早いだろうよ」
「……うん」
その、厳しくも優しい言葉に、ナタリアは小さくうなずいて。
後ろからついてくる三人も、その様子を見てほっと胸をなでおろした。
これで、少しは自分を顧みてくれるとよいのだが。
「さあ、グイドの町に戻って報告するぞ。まだまだやるべきことは沢山あるんだ」
そう声を上げるイバンに従って、ナタリアは町に向けて歩いていく。
強大な力を目の当たりにして、打ちのめされてもなお、ナタリアの目には微かな光が点っていた。
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