「ゥン……グルル……」
朝日が差し込むピスコ村の宿屋の個室。ベッドの中で丸くなる俺は、顔にかかる陽光にぐっと目を細めた。
喉からは魔獣の喉を鳴らす音が聞こえる。やはり、言葉を発するにあたってベースに来るのは魔獣語らしい。魔物だものな。
毛布をはねのけ、ぐっと両腕を伸ばした。ベッドから這い出した俺は、立ち上がって右手を喉に当てる。
「ガゥ……ア、ア、ア」
魔獣語の発声はオーケー。声を出す分には問題なしだ。
さて、次だ。咳払いをしながら、明確に意識して声を出す。
「コホン……あ、あ、あ。お、は、よ、う、ご、ざい、ます……んっ」
朝の挨拶の文言、発したのは人間語だ。しゃがれもなく、淀みもない人間語を喉からひねり出せたことに、思わずガッツポーズをする。
やっと、やっと人間語を取り戻した。
「よっしゃ!」
嬉しさを自分一人の場面で、全身で表現する。やはり、今まで出来なかったことが出来るようになるのは嬉しいことだ。
と、そんなことをやっていたらドアをノックする音が聞こえる。扉を開けば、そこには起きたばかりのリーアが居た。
「ジュリオ、おはよー」
「おはよう、リーア」
いつものように朝の挨拶をしてくるリーアに、微笑みながら俺も挨拶を返す。人間語で発せられた俺の声に、彼女の表情がパッと明るくなった。
「あ、人間語しゃべれるようになってる! よかったねー」
「ああ、やっとだ。よかった……それはいいんだが、人間の姿にはいつ戻れるんだ、俺」
ホッとしながらも、俺は自分の長い口吻に触れた。
昨日からずっと、俺は獣人の姿で過ごしている。宿の風呂はそのまま使わせてもらえたから身体はさっぱりしているが、やはり全身毛むくじゃらだと、いろいろと不便だ。
首をかしげる俺に、リーアが小さく笑いながら返してくる。
「人間語をしゃべれるようになったなら、もう戻れるはずよ。一度人化転身を解いて、もう一度転身すれば大丈夫」
「あぁ、なるほど……」
彼女曰く、魔獣語しかしゃべれない期間を脱したからと言って、自動的に人間準拠の姿に人化転身が切り替わるわけではないようで、一度それをやり直すことが必要になるんだそうだ。
人化転身で全くの人間に戻ることについては、元の人間の肉体を知っている俺なら出来るらしい。リーアが狼人止まりなのは、それが無いからだとか。
とはいえ、宿の部屋の中で魔狼の姿に戻るわけにもいかない。実際に人間に戻れるのは、もう少し先だ。
「あ、ちなみにね」
と、リーアが笑みを浮かべながら俺の前でくるりと回る。
するとどうだ、尻尾のふさふさ感とピンと立った耳はそのままに、リーアの全身が銀色の獣毛で覆われた。顔と足の骨格まで変わり、獣人のそれになる。
「わっ!?」
「中途半端に人化して、自分の好きな時に獣人になることも出来るの。出来るようになっておくと便利よ」
「そんなことも出来るのか、人化転身……」
自由自在に変身してのけるリーアに、俺は呆気に取られた。
人化転身が完全に行かないと獣人になるのは自分の身体で経験しているが、意図的にそうなることも出来るとは。
まだまだ、スキルの訓練が必要そうだ。
「さ、行きましょ。朝ごはん食べなきゃ」
そう言って、獣人姿のままでリーアが俺の手を引く。
普段と違って全身もっふもふ、愛らしさ満点の姿になったリーアに、宿屋の娘さんが歓喜の悲鳴を上げたことは、一応記しておく。
朝食を取って、アンブロースと合流して、俺達は再び植林の仕事に取り掛かった。
今日は朝から作業にかかれているから、進捗も早い。昨日で要領もつかんだから効率もいい。結果、昼飯を食べた後くらいには、もうほとんどの作業が終わる頃を迎えていた。
「ようやく、終わりが見えてきたというところか?」
「ああ、あとはあっち……ジェミト森林との際の辺りを植林すれば終わりだ」
苗を入れた荷車を引きながらアンブロースが言えば、俺も前方、これから植林を行う最後の区画を指さす。
グラツィアーノ帝国との国境付近、ジェミト森林との区切りになっている辺りに苗を植えれば、仕事はとりあえず終わりだ。今朝の時点では冒険者ギルドの出張所に伝書鷹は来ていなかったので、まだ俺達パーティーの昇進は議論中なんだろう。
「しかし、存外真面目に細々した仕事もするのだな。ジュリオ。お前はX級という高みにいるのだから、小さな仕事など他に任せて、大いに冒険すればよかろうものを」
本人もこの植林の手伝いはまんざらでもないだろうに、そんなことを言いながら彼女はくすくすと笑みをこぼした。
その言葉に、俺も小さく笑う。本当に我ながら、小さな仕事も文句を言わずやっているものだと思う。しかし、冒険者である以上、そうもいかないわけで。
「X級だから、S級だからって、偉ぶっていたらいい仕事は出来ないだろう。自分がやるべき仕事に、大きいも小さいもないんだから」
「真面目だねー、ジュリオ」
俺の発した答えに、俺の隣を行くリーアが感心したように声を上げた。
彼女の発言に、アンブロースがゆさりと尻尾を揺らす。
「全くだ。その真面目で実直、真っすぐで偉ぶらないところが好感が持てる。ルングマールの奴が気に入るのも、道理というやつだ」
そう話しながら、立ち止まって荷車の後部を地面へと下ろすアンブロースだ。
彼女の下ろしたそこから木の苗をいくつか下ろしながら、俺は彼女へとふとした疑問を投げかける。
「そういえば、アンブロースはジャコモさんとどういう経緯で友達になったんだ? 話を聞く限りでは、接点とかあまりなさそうなものなのに」
正直、ルングマールとアンブロースが友達なのは分かる。同じ「王」として住民に崇められている存在だし。しかし、一介のウルフたるジャコモとの接点は、一見しては見えない。
俺が身を屈めつつ問いかけると、こちらを振り返りながら彼女はふっと笑った。
「ああ、ルングマール経由でな。あれはリーアが生まれる、だいぶ前の話だったか……彼がこの森に遊びに来た時に、子供らを連れていてな。その際にやつと意気投合したのだ」
「へー……ん?」
彼女の言葉に返事をかけながら、俺が身を起こして、さあ作業に入ろうか、としたその時。
俺は敷地の向こう、ジェミト森林の方を見て動きを止めた。早速地面に穴を掘り始めていたリーアが、首を傾げつつこちらを見る。
「どうしたの?」
「あっちの森……何か、人みたいなのがいなかったか?」
俺の言葉に、リーアもアンブロースも目を見張った。リーアなど先程まで獣人の姿でいたのに、すぐにちゃんと人化転身して狼人の姿になったほどだ。
信じられない、と言いたげな声でアンブロースが口を開く。
「ヒトだと? 馬鹿な、そうそうヒトが立ち入るような森ではないぞ」
「冒険者かもしれない。何か、向こうの森に異変が起こったとか……」
「シッ、こっちに来てるみたい」
俺が言葉を返すのを遮るように、森の向こうをにらむリーアが声を上げた。
彼女の声を聞いて耳を澄ませれば、確かに、下草を踏む音と一緒に、女性とみられる声が聞こえてくる。
「ほんとだって、間違いないわよ。見てみなさいよ、あんなに向こうが明るい……」
「げっ」
「あっ」
その声に、物言いに、俺は身を強張らせた。
聞き覚えがある。ものすごく。声色も口調も、つい最近までしょっちゅう聞いていたあいつのものだ。
同じく数日前にその声を聞いていたはずのリーアも、小さく声を上げる。やはり思い当たる節があるらしい。
ただ一頭、その人物に尋ね当たらないアンブロースが、困惑顔で俺達二人を見た。
「どうした、ジュリオ、リーアまで。あの声の主がどうかしたのか」
「あのねー」
「リーア、いい」
説明しようとするリーアを、俺は手で遮る。
何故なら。
「あいつら、もう出てくる」
草を踏む音だけじゃない、手でかき分けるような音も聞こえている。その音はどんどん大きくなって、もうすぐ近くまで来ていた。
そして、木々の間から彼女が姿を見せる。
「ほら見なさいよこんなにひら……は?」
「あれ?」
「あ……」
「えっ……」
当然のように先頭にいて、当然のように後方の仲間に声をかけていた彼女が、俺、というより俺の着ぐるみを見て、すっとんきょうな声を上げた。
それと共に、彼女の後ろから姿を見せた三人も、俺を目の当たりにして目を見開いている。もう一人いるが、こちらも同様だ。
そして、見知らぬ顔の一人を除く四人全員が、揃って俺の名を呼んだ。
「ジュリオ?」
「……『白き天剣』」
そう、ジェミト森林側の木々の間を抜けて、こちら側に踏み込んできたのは。
ナタリア、イバン、レティシア、ベニアミン、そしてもう一人、俺の知らない顔の女性冒険者。
Sランクパーティー「白き天剣」だったのだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!