「魔王の位は、基本的には生き残った魔物同士の話し合いで、誰に渡すかを決める。母さんもそのようにして、先々代魔王のユングヴァーが勇者に倒された時、協議の末で魔王位を継いだ」
月が空に昇り、静寂がオルネラ山を包む中、ルチアーノの声だけが静かに響く。
薪の爆ぜる音はしない。ここにいるのは狼のみ、わざわざ灯りをともさずとも全てがよく見える。
俺? 着ぐるみを着れば何の問題もない。頭は飲み食いの邪魔になるから外しているが。
「しかし、母さんが退位する時はそうじゃなかった。魔王の補佐機関である後虎院の全員、そして魔王である母さん自身で、誰を次の魔王に据えるかを話し合ったんだ」
数年前のことを懐かしむように目を細めながら、彼は長く息を吐いて夜空を見上げた。
ギュードリンが退位し、後釜にイデオンが収まったのが、今から五年前のこと。思えばその五年の間に、随分世界は殺伐としたものだ。人間と魔物が手を取り合う平和な時代から、互いが互いに刃を向ける血生臭い時代になるまで、時間はかからなかった。
「あぁ……そう言えばギュードリンの時代は、後虎院の全員が生き残ったんでしたっけ……」
そんな風に思案にふけりながら、俺はぼんやりと吐き出した。
魔王の直属の補佐機関である後虎院は、魔王の文字通りの側近だ。普通の魔王なら悪辣な人員で固め、冒険者たちが真っ先に首を取りに行き、魔王撃破を為す頃には一人たりとも生き残らない、配置されたら不遇とも取れる立場だ。
それがギュードリンの治世の頃は、ギュードリン以上の穏健派が勢揃いし、時には人間の国家と外交をし、時には酒宴を催して各国の貴族を招きと、人間以上に政治にまい進。ついに一人の欠員も出すことなく、在職者全員が殺されずに済んだのである。
異例も異例だ。異例尽くしで魔物たちも、さぞ戸惑ったことだろう。
俺の言葉を受けて、ルチアーノが苦笑を零しながらうなずく。
「そう。まあだからと言って、他の魔物がイデオンが魔王の位に就くことを表立って批判することもないんだけどね。魔物って、基本的に強い者の言葉には従うから……それでも、『イデオン本人ではなく、ギュードリンの決定に従う』という声はあるけれど」
彼の発言に、リーアもサーラも、さらにはもう一人同席しているリーアのすぐ上の兄ジャコモも、こくこくとうなずいていた。
強い者の言葉に従う。イデオンが強いのは無論だが、ギュードリンの強さがそれに劣るかと言ったら、多分イデオン以外の全員が首を横に振るだろう。彼女の現状を鑑みても、彼女の影響力が未だ強いことは間違いない。
だが、そうだとしても。ルチアーノが話を切り出す時に言った言葉と、どうしても繋がらない。
「それが、ルチアーノさんが魔王の位を継がなかったことと、どう関係するんですか? 強さで言えば、ルチアーノさんだって……」
膝の上に置いた拳をぐっと握りながら、俺が身を乗り出す。
すると彼は困ったように笑いながら頬を掻き、そして口を開いた。
「まあね。私を魔王に推す声は、後虎院の面々から特に強く上がった。人間と友好的だし、政治力もあるし、なにより強い。でも、母さんが言ったんだよね。『だからこそあの子は次代の魔王にはふさわしくない』って」
その言葉に、俺は肩の力が抜ける思いがした。
ルチアーノが、魔物として比類なき力を持っていることは、俺自身がよく分かっている。彼から譲り受けた力はほんの一部だ。それでも俺を、名実ともに最強に至らしめている。
加えて、オルニの人々はおろか、一流の冒険者とも親しく出来るその人柄。力を持つ者としてのオーラ、気迫。施政者として、これほど理想的な人物もいない。
その彼が、自分の母親から「ふさわしくない」と断じられるとは。世の中は不条理だ。
「そんな……」
思わず言葉を漏らす俺。と、隣に座っていたジャコモが、すんと鼻を鳴らしながら口を開いた。
「でもさ、ジュリオさんはどう思う? 父さんが魔王になったとしたら、人間の冒険者は喜んだかな」
彼の言葉に、俺は僅かにうつむく。
オルニの人々にとって、ルチアーノはよき隣人であり、友人であり、尊敬の対象のはずだ。そんな彼が魔王の座に収まったら。
俺はゆるゆると頭を振るので精一杯だった。
「……どうでしょう。ギュードリン同様、倒せない魔王として君臨したんじゃないでしょうか。南クザーロ郡の人は特に、隣人だから、倒したくなくなりそうですし」
「だよな? この間まで飲み友達だった父さんが、いきなり人間の敵になりました、なんて話、普通なら受け入れられないだろ」
俺の発した言葉に、ジャコモもうんうんとうなずく。
魔王になるとはそういうことだ。いかに限られた地域では尊敬を集めていたとしても、世界全体から見たら人間の敵だ。どれだけ善人だとしても、打ち倒される宿命を背負う者だ。
ルチアーノが力なく肩を竦めながら口を開く。
「母さんもそこを危惧したから、私を魔王には推薦しなかった。その点、イデオンは母さんの方針に反対していたし、実力も相応にあった。人類と勇者の敵である魔王には、相応しいってね」
「ねー。だからおばあちゃんの時代の後虎院だった人、ほとんど辞めちゃったんでしょ。せっかくいい時代になったのにって」
彼の言葉にうなずきながら、言葉を重ねるのはリーアだった。
なるほど、道理だ。せっかく生き残って職務を全うして、個人的に親しい友人も出来たであろう先代の後虎院のメンバーが、再び殺し殺されの時代になったのを悲しまないはずはない。
イデオンにとっても穏健派な魔物を側近に据えたくはないだろうし、退陣は双方ともに願ってもない話だったのだろう。実際継続して後虎院に残っているのは、「白の賢龍」の異名を取り、元々はイデオンの上司だったオーヴェのみだ。
「それに、強硬派のガス抜きの意味合いもあったんだ。共存派の魔王が続けば、表向きは平和だけれど、内部に不満は溜まっていく。人間に敵対的な魔王と言う存在は、人間にも魔物にも、それなりに益のあるものなんだ。共存派は我関せず、人間と適度な距離を保って生きて行けばいいしね」
「はー……」
さらにそこに言葉を重ねるルチアーノ。それに俺はため息をつくほかない。
実際、ルチアーノの一家はこの山の中で、人間と適度な距離を保って暮らしている。必要なら人化転身して町に降りたりもするし、逆に人間が彼らを頼って山に登ってくることもあると聞く。グラツィアーノ帝国とヤコビニ王国を行き来する商人は、決まってこの一家の力を借りるとか。
サーラが空になった木のカップをガンガンと、傍の切り株に叩きつけながら口を開いた。
「そうそう。別に今の魔王軍がどうなろうと、あたしの気にするところじゃないしね。あたしはおばあちゃんたちと知り合いの人間が元気なら、それでいいし」
「俺も。今の魔王軍がうちの山に踏み込んで来たら、全力で叩き潰すしな」
ジャコモも尻尾をふさりと振りつつ深い溜め息を吐く。この両名が今の魔王をどう思っているか、この態度が雄弁に語っている。
「なんて言うか、魔物も、大変なんですね……」
「ねー」
なんとも言い難い思いに、俺が額を押さえると、すっかり他人事なリーアが同調してうなずいた。
ルチアーノの昔話は終わって宴もたけなわ、そろそろお開きになろうか、というところでサーラが俺に唐突に絡んでくる。
「ほんとそうよ。あ、あんたほら、ランクが上がって越境できるようになったら、ギュードリン自治区来なさいよ! おばあちゃんに紹介したげるから!」
「いいねー姉ちゃん。あ、ジュリオさんさ、神獣の友達を紹介できるけど、しようか?」
「ひぇ……」
一緒になってジャコモもくいっと親指をどこかに向けつつ笑う。どこを指しているんだ、どこを。
この先の目的が出来そうな反面、絶対にとんでもないスケールの事態が起こることが予想できて、引きつった笑いを浮かべるしかない俺だった。
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