ピスコボ森林に踏み入ってからは、俺とリーア、ジャコモの「魔狼王の威厳」スキルのおかげで森に住む魔物に襲われることもなく、和やかなものだった。
一人いるだけで魔獣系の魔物に強烈な支配力を発揮するのに、それが三人。もはや結界でも張ったかのように、魔物が寄ってこなかった。
なので他の冒険者も随分と気楽なようで、かつて「白き天剣」で俺と同僚だった、「荒ぶる獅子」の弓使いのフランコ・マロッコロと、罠師のジョズエ・インギッレリが、からからと笑いながら俺の肩を叩く。
「はっはっは、それじゃアレか、とうとうジュリオも姫様にへそを曲げられちまったのか」
「しかし、『ブラマーニ王国一の着ぐるみ士』ジュリオでさえも、姫様がダメな時はダメなもんなんだなぁ」
そう話しながら、俺の着ぐるみをコンコン小突いてくる彼らだ。
ちなみに「姫様」とは、誰あろうナタリアのことである。別に王族の出でもないのだが、あまりにも傍若無人な振る舞いに、からかい混じりにそう呼ぶのだ。
俺の前方を行くルドヴィカが、心底から呆れた様子でため息をつく。
「まったく、ナタリア君のワガママ勇者ぶりにも呆れたものだ。しかし、それがきっかけでジュリオ君は『西の魔狼王』に見初められ、血族に迎えられたというのだから、人生何が起こるか分からんものだ」
「はい、まったくです……」
彼女の言葉に、俺は肩をすくめながら着ぐるみの頭の中で苦笑した。
「幸福と不幸は撚った縄のようにやってくる」なんて言葉があるが、全くその通りだ。人生、どんなことがどう繋がるか分かったものではない。
そんな感じで和やかに森を進む中、リーアは不思議そうに傍らを歩くジャコモに声をかけた。
「ねえねえお兄ちゃん、さっきからお姉さんが言ってる『にしのまろーおー』って、パパのこと?」
その言葉に、ジャコモは一瞬目を見開いたが、すぐさま自身の妹にうなずいた。
「そうさ。リーアは『北』と『東』の魔狼王には、会ったことがなかったよな?」
「うん、知らなーい」
ジャコモの問いかけに、あっけらかんとリーアは答える。確かに、まだ彼女は三歳だ。オルネラ山とオルニの町以外の場所に行くのも、きっとこれが初めてなのだろう。
そんな幼さ全開の彼女をちらりと見て、ルドヴィカは俺へと視線を投げてきた。
「ジュリオ君、言動とステータスからもしやと思っていたが、彼女は」
「娘ですよ、『西の魔狼王』の」
それと一緒に投げられる問いかけ。それに対して、素直に事実を答える俺だ。
正直、今更隠したところで何もメリットはない。そもそもジャコモが魔狼の姿をさらしてここにいるのだ。
そして俺の答えは、彼女を納得させるのに十分なものであったらしい。こくりと大きく頷いた。
「ははあ、それでか。末の娘が随分才気煥発だと聞いていたが、それなら納得だ」
「俺のこの着ぐるみも、彼女由来のものなんです。力が分かたれていても、あれなんで」
そう言いながら、くいと右手をリーアの方に向ける俺。言わんとすることは当然、リーアのレベルその他のステータスだ。
冒険者は一目見れば、その冒険者の名前、ランク、レベル、職業が分かる。つまり俺達三人の人外ステータスは、この集団の中でとっくに明らかになっているのだ。
そんな文字通り化け物なリーアへと、ルドヴィカが優しい口調で声をかける。
「リーア君、『魔狼王』の称号を持つ者は、現在この世に三人いる。それが即ち『北』のシグヴァルド、『東』のラシュロフ、そして『西』のルングマールだ。ジュリオ君も、公式に認められればそこに加わるのだろうがな」
「ルングマール?」
ルドヴィカのていねいな説明に、リーアがきょとんと首を傾げる。まあ、彼女にとっては馴染みが無いのも当然だ。
傍につくジャコモが、リーアの肩にそっと顔を寄せながら補足する。
「魔物様式に名付けられた、親父の本名だよ。ルチアーノは人間達の中で生きていくために使っている、あだ名みたいなものさ。親父とおふくろは俺達に、『人間に親しんで生きて欲しい』って、人間様式で名前を付けたけどな」
「知らなかったー」
二人の説明に、リーアは殊更に驚いた顔をした。自分と同じように人間様式の名前を持ち、その名前で町の人から呼ばれている姿を見ているから、もう一つ名前があるとは思わなかったのだろう。
だが、俺達冒険者側からしたら、彼はルングマールの名前の方が有名だ。人間と親しく、土地の人間を守る魔狼王ルングマール。まさかあんな形で対面するとは、俺自身思っていなかったけれど。
フランコとジョズエも加わって、リーアに情勢の説明をし始めた。
「神魔王ギュードリンの子供たちは、世界中にちらばっているのさ。その誰もがXランクの、強大な神獣だ」
「獄王イデオンから請われて、傘下に入ったものもいるけどな……タルクィーニ氷山の氷龍女帝ドーガなんて、その筆頭として有名だし」
「おじさんやおばさん達で、イデオンの配下に付いた人がいるの?」
ジョズエの言葉に、リーアが驚きに目を見張った。
神魔王ギュードリンの人魔共存と、獄王イデオンの魔物優位は、全く相反する思想だ。ギュードリンの子供が寝返ったと知って、驚かないはずはない。
ルドヴィカが小さく肩をすくめながら、リーアの問いに言葉を返した。
「神魔王の威光は未だ健在なれど、獄王には現魔王という強大な権力と、資金力があるからな。莫大な褒賞と地位を約束して、神魔王陣営の魔物を引き入れようと躍起になっているのだ」
「そうなんだよなぁ。アンブロースだって、如何にジャコモさんの友人と言っても……」
俺もそうぼやきつつ、これから会おうとしている雷獣に思いを馳せるが、俺の漏らした言葉に返答を返したのはジャコモだった。
「いいや、そうはならなかった。あいつはイデオンが魔王に即位して五年経った今も、中立を貫いている」
「えっ?」
その言葉に、その場の数名がきょとんとした。
サンダービーストは雷を操る強力な神獣だ。おまけに群れの結束も固く、上位者には徹底的に従う。獄王としても味方に入れたい陣営のはずだ。
俺達の頭に浮かんだ疑問符に、ジャコモは森の木々の隙間から見える空を見上げて尻尾を振った。先程から鳴り続けている雷は、森の中心部に近づくにつれより激しくなっている。
「言ったろ、人間不信で、気難しい奴だって。イデオンのことも信用してないんだよ……ほら、聞こえてきた」
そう言いながら、彼がゆっくり足を止める。それに伴って他の面々も足を止めると。
確かに、聞こえてきた。森の奥の方から、底冷えのする荒々しい声が。
「……誰だ……俺の森を、踏み荒らす奴は……!」
「来やがった……!」
「へ、こうでこそよ」
その声に、その場の全員が一斉に武器に手をかけた。フランコとジョズエがともに口角を持ち上げる。
いよいよサンダービーストの首領、『雷獣王』アンブロースとご対面だ。冒険者として、気持ちが高ぶらないはずはない。
先程までの和やかな空気が一発で消し飛ぶ中、ジャコモがゆっくりと前に進み出た。
「とりあえず、俺から声をかける。だけどあんまり期待するなよ」
「分かっている」
ルドヴィカに声をかければ、彼女も短く返す。元々俺達は、彼に用事があって来たのだ。友人として声をかけるのは必要だろう。
しかして、ジャコモが魔獣語で声を張り上げる。
「アンブロース、俺だ!!」
その言葉が森に響くや、雷鳴の音が一瞬だけ途切れた。強い風が木々を揺らす音が、耳に届く。
少しして、アンブロースの元の思われる魔獣語が、森の奥から返ってきた。
「その声、魔力……我が友、ジャコモだな?」
「ああそうだ、ジャコモだ! 今日はお前に――」
それに対してジャコモが言葉を返そうとした、次の瞬間。
「なら何故人間どもをぞろぞろと引き連れている!!」
盛大な怒声と共に、俺達のすぐそばに雷が幾筋も落ちた。森の中だというのに木々を避けて、俺達の足元を激しく揺らす。
「わっ!?」
「あークソ、やっぱし勘付きやがったアイツ」
使う言葉を人間語に切り替えたジャコモが悪態をついた。その口元は牙が剥き出しになり、すっかり戦闘態勢だ。
気付けば周囲の木々もざわざわとざわめき、激しく揺れている。明らかに、風によるものではない。何かが俺達の周囲にいる。
長剣を抜き放ったルドヴィカがすっと目を細める。
「当然の流れだな……友を名乗る神獣が人間と共に森に踏み入った。その神獣が騙られたものでなく、本人のものであれば」
「どういうつもりだ、と怒る……か。そりゃ、当人からしてみたらそうもなりますよね」
俺もリーアも、もう安穏とはしていられない。アンブロースはやる気だ。話を聞いてはくれそうにない。
冒険者が全員で周囲に目を配る中、ルドヴィカが傍らのジャコモに声をかけた。
「ジャコモ」
「言わんとすることは分かるよ、勇者ルドヴィカ」
その一言で意図を汲み取った彼が、ゆるゆると頭を振る。
「だけどな、アイツの命があれば、たとえ魔王が居ようとその喉笛を食い千切る。それがサンダービーストだ」
「ふっ、つまりジュリオ君一行がいることも、雷獣連中は織り込み済みというわけか」
そうして返って来た言葉に、ルドヴィカがうっすらと笑った。
魔王が居ようと、魔狼王が居ようと、『雷獣王』アンブロースの言葉一つで森中のサンダービーストが敵になる。そういう生き物だ。
気付けば何十頭ものサンダービーストが、地面で、木の上で、俺達を睨みつけている。完全に包囲網を形成されていた。
そして俺達の正面、輪が切れているそこに、奥からのしのしと重たい足音が響いてくる。
「そうとも、忌々しい勇者どもめ……我が友や魔狼王までも味方に取り込んで、俺を葬ろうと目論んだのだろうが、そうはいかん」
そうして姿を見せる、とてつもなく巨大な、猫かイタチを思わせる黄金の毛皮をした生き物。
毛皮は細かく逆立ち、その毛の先からバチバチと雷光をほとばしらせている。
くるみ色の瞳は鋭く吊り上がり、俺達を真正面から睨みつけていた。
「こ、これが……」
「『雷獣王』アンブロースか……!」
これこそが、『雷獣王』アンブロース。俺が引き合わされようとしていた神獣。
そのアンブロースが目の前にいて、明確な敵意を持って俺達に接していた。
「今、俺は極限に虫の居所が悪い……その骸、この森諸共消し炭になると思え!!」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!