冒険者ギルドの建物を出て、さて昼食でも、と市場の方に足を向けようとしたところで。ちょうど斜向かいの商店から出てきた人物を見て、リーアが声を上げた。
「あっ、パパだ!」
「おやリーア、それにジュリオ君。こんにちは」
誰あろう、ルチアーノだ。買い物をしていたのだろう、手には蔓を編んだ袋を持って、中には酒瓶や干し肉が入れられている。
それにしても、基本的に酒を飲むことがオルニの町を訪れる主な目的の彼が、こんな時間から町にいるとは予想外だ。まだ酒場が開く時間ではない。
「ルチアーノさん、どうしたんですか。こんな時間から町にいるなんて」
俺が目を見開きつつ問いかければ、ルチアーノは手にした袋を軽く持ち上げながら笑った。
「リーアの姉が帰省していてね、一緒に飲むためのお酒を買いに来たんだ。よかったら今夜、二人も来るかい?」
「えっ、ほんと!? どのお姉ちゃん!?」
「え……いいんですか、俺、普通の冒険者ですけど」
彼の言葉に、リーアの尻尾がピンと立った。帰省ということは、普段は別の場所で暮らしているのだろう。しかし魔物も、独り立ちしたり帰省したりするのか。変な感じだ。
だがそれはそれとして、俺はつい先日まで魔物と敵対する側の冒険者だったわけで。そんな俺が人慣れしているとはいえ魔物の家庭にお呼ばれするなんて、いいのだろうか。
しかし、不安を見せる俺に対してルチアーノはゆるゆると頭を振った。
「心配しなくていいよ、サーラ……あ、リーアの姉のことなんだけど、ギュードリン自治区に住んでいるんだ。だから冒険者の皆とも普通に接するよ」
「えっ……あそこ、とんでもない強さの魔物がひしめき合う場所だって聞きますけど……いやでも、ルチアーノさんの娘さんならそうか……」
彼の言葉に、僅かに身を引く俺だ。
ギュードリン自治区はその名の通り、先代魔王にしてX級冒険者、『神魔王』ギュードリンの収める領地だ。彼女の居城とその城の周辺に広がる城下町には、彼女に付き従う魔物や、人魔共存を謳う彼女に賛同した魔物が、文明的な暮らしを営んでいる。
冒険者の間では有名なのだ。彼女の自治区に暮らす魔物はとても強い、同種の魔物よりランクが一段階は上がる、と。
明らかに慄いた俺に、苦笑を向けてくるルチアーノである。
「母さんが手慰みに指導しているらしいから、必然的にね。ともあれ、どうする?」
彼の言葉に、俺はちらと隣のリーアを見る。
リーアは間違いなく行きたがるだろう、姉との久しぶりの再会だ。ギュードリン自治区はヤコビニ王国から遠く離れているし。
そして、自治区に住む魔物なら、俺を前にしても攻撃する意思は見せてこないだろう。よほどの戦闘狂でなければ、だが。
俺は覚悟を決めた。兄にあたる目の前の男に、小さく頭を下げる。
「じゃあ、その、お邪魔しても、いいですか」
「うん、大歓迎。じゃ、陽が沈む頃にオルネラ山側の門までおいで、迎えに来るから」
そして陽が沈む頃。門の外でルチアーノと合流して、オルネラ山を登っていき、西側の山腹、木々が程よく開けた場所にて。
俺とリーアがそこに立ち入る頃には、既に宴会が開かれていた。
リーアの母と思しき巨狼がその巨体で囲いを作るようにしながら寝そべり、その内側で人化転身したリーアの兄弟姉妹たちがどんちゃん騒ぎをしている。
俺が呆気に取られている間もなく、俺はその輪の中に引きずり込まれ。あれよあれよという間に話の輪に加わらされていた。
「いっやー、父さんもリーアも物好きだよねぇ。着ぐるみ士に自分の力渡して? 血族にも加えて?」
「え、えっと、その、はい、なんか、すみません」
俺の隣に座って肩を抱き、頬を赤らめながらアップルワインを傾ける気さくなこの狼人こそ、帰省してきたサーラだ。
当然、彼女の種族もリーアと同じく魔狼。だがそのステータスは、並の冒険者では傷一筋すら付けられないだろう高いものだ。ほんと、なんでこんな強力な魔物が平気な顔してこんな町の近くにいるんだろう。
恐縮しきりの俺に絡んでくるサーラを見ながら、アップルジュースを飲みつつリーアが首を傾げている。
「お姉ちゃん、もう酔っちゃった?」
「サーラ、ほどほどにしなさい。ジュリオ君困ってるじゃないか」
ルチアーノが干し肉を噛みちぎりながらたしなめるが、サーラは気に留める様子もない。ばしばしと俺の背中を叩きながら絡み続けてくる。痛い。
「いいのいいの、こんだけいい男がアタシの叔父になったんでしょ? 歓迎しなきゃ損じゃないのよさ」
「は、はぁ……」
その余りにも気さくな振る舞いに、俺は少々引いていた。
別に、ウザ絡みされていることが嫌なわけではない。初対面の相手だというのにここまで親密に接してくることに、慣れていないだけだ。
と、俺の顔を不意にじっと見つめてきたサーラが、にんまりと笑う。
「それにしても、ふーん、おばあちゃんと遜色ないくらいのステータスは持ってるんだ? ただの人間だったわりにはやるねぇ、ちゃんと鍛えてたんでしょ?」
「まぁ、はい……一応勇者を擁するパーティーにはいたので……」
俺が視線を逸らしながら頬をかくと、サーラが大げさにのけぞってこちらに爪の尖った指先を向けてきた。
「勇者! まだまだいるんだねぇ。おばあちゃんが魔王だった頃にも、何人もお城にやって来ては返り討ちにあわせてたって聞くけど」
「やっぱり、ギュードリンの『あらゆる勇者を退けた』伝説って、マジなんですね……」
彼女の発言に、息を吐きつつコップに入れたワインを飲む俺だ。
神魔王ギュードリンは歴史上唯一、自ら魔王の位を辞するまで、誰にも討伐されずに生き残った魔王だ。その能力の高さは歴代最強、全盛期の頃は文字通り敵なしだったらしい。
ルチアーノがにっこり笑いながら、俺の言葉にうなずいてくる。
「そう。母さんが現役の頃はそれはそれは強くてね。どんな勇者も相手にならなかった。だからこそ、魔王の位を辞したとも言えてね」
その発言に、ワインを飲む手を止める俺だ。
魔物は基本的に強い者に従う。魔王がそれだけ強いなら、情勢は安定していたことだろう。俺だって、彼女の在位期間が「神魔王時代」として歴史書に載っていることくらい知っている。
「だからこそ、なんですか? 魔王が強いことって、魔物にとってはいいことじゃ」
「程々に強ければね。でも母さんは強すぎた。その時期で最高の力を持つ冒険者を束ねても倒せないくらいには、ね。それは、魔王という立場上、あんまり良くない」
俺の言葉に肩を竦めながら、ルチアーノは苦笑を零した。
確かに、「神魔王時代」は安定した、平和ないい時代だった。しかし冒険者にとってみれば、「魔王討伐」という最大級の栄誉を間違いなく得られない、悲しみに満ちた時代でもあった。
別にギュードリンに挑まなかった冒険者が居なかったわけではない。いたが、彼女の圧倒的な強さに、軽くあしらわれて返されていたのだ。ある程度傷を負わせることが出来た冒険者に、ギュードリン自身が褒美を与えていたほどだ。
「あとはまぁ、おばあちゃんは優しい人だからねー。敗北した勇者を、総じて殺さずに送り返したことは知ってるんでしょ?」
「あー……らしいですよね。退位後に人間社会と友好協定を結ぶくらいですし」
俺にもたれながら言葉を発するサーラに、そっと頷く俺だ。
ギュードリンが人間社会と共存し、いい距離感を保ちながらやり取りを出来ている理由に、彼女の性根が関わっていることは間違いなくある。
魔物を大事にして、人間も大事にするのが彼女だ。だから必要以上の殺戮は好まなかった。今の魔王である獄王イデオンとは対照的である。
今の魔王は悪しき者だ。そして先代の魔王は良き者であった。これが、冒険者がこぞって魔王討伐にまい進する理由だ。
「そう。じゃ、その辺の話も含めて、『どうして私が魔王の位を継がなかったのか』も、話をしようか」
そう言いながら、ルチアーノが俺達の方に向き直る。そうして彼は、静かな語り口で話を始めた。
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