「お召し物で分からないの!? その方は王族よ!」
「……!」
俺は王族など見たことがないが、腕の中にいる少女の服装は確かに町娘のそれとは違っていた。高貴な身分だということは間違いない。
「命の価値を考えなさい!! その命はとてつもなく『重い』のよ!」
「ぐ……!」
命に王族も平民もないなんていうのは子供の論理だ。
一人の王族の死は政治の混乱を生み何百何千、時に何万という国民の死にすらつながることがある。この少女は、この命は、絶対に守らないといけない命だ。
シアさんの小さな体では少女を担いで走るのは困難。となれば残る選択肢は俺しかいない。
「あんたしかいないの! お願い!!」
「……了解!」
そうするしかないのなら、そうするしかない。これ以上の議論は時間を浪費するだけだ。
俺は少女を肩に担ぎ上げて繁華街の方向を見定める。いったん宿まで戻って隊のメンバーに事情を説明し、武器を揃えて――。
「そんなこと、やってられるか!」
最速でシアさんを助けに行く。そう胸に決めて、俺は駆け出した。
◆◆◆
命の価値は人によって違う。どんな綺麗事を並べようが、重い命と軽い命は厳然として存在する。
そのことを私、シア・ルミノールは知っている。この身をもって知っている。
「さーて」
不出来な新入りを見送り、一度大きく息をつく。悲鳴を聞いた時はせいぜい野犬か酔っぱらいでも現れたのだろうと思っていたら、まさか猪頭の大男とは。
何よりまさか悲鳴の主が王族にゆかりの方とは。
「どなたかまでは存じ上げないけど、引くわけにはいかなくなったねー」
棍を握りしめ、小さく独りごちる。
私の生まれたルミノール家はもともと商家だったという。五代前の当主が爵位を買って貴族の仲間入りをして、富と権力の両方を手に入れた裕福な一門、『だった』。
私の親の代が政争で意地を通し、負け組になったのがケチのつきはじめ。それが私が五歳の時で、十年たった今では日々の糧にも事欠く貧乏一家だ。私がさして才能もないのに聖職者になった、その理由も最初は家族の食い扶持を稼ぐためでしかなかった。
だから私は命の価値の変わることを知っている。
自分のそれが下がり続けるのを、何もできないまま見て育った女だから。『身命を賭して』と聖職者の誓いを口にした日の、貴族連中の嘲笑うような目は今も忘れない。お前の命にどれほどの価値があるのかと吐かれたことは一生忘れられない。
それでも。いや、だからこそ。
あの少女の命の重さを私は理解できる。栄えある聖女フィーネ様の下に身を置く者として彼女の死を容認はできない。
値崩れしきったこの命、使うなら今だ。
「持ってくなら私のやっすい命だけにしておきなさい、豚野郎!」
地面を蹴る。進む向きは、正面。
小兵が大柄な敵を相手取るには機動力を生かして側面や背後に回り込むのが基本だ。相手がまともな人間であったなら、だが。
「猪の頭に、人間をワインボトルみたいに投げる腕力! 少なくとも『まともな』人間じゃないわよね!」
あの筋肉ダルマに後ろから殴りかかってもきっと効かない。決定打を欠いた私はいつか捉えられ、そしてその一撃で私の命は終わる。グチャグチャのドロドロの、酔っぱらいが吐いたゲロみたいになって私の一生は終わる。
だったら。
「一撃に賭けるしかないっての!!」
作戦はシンプル。全力で助走をつけて全体重で目を突く。目玉を貫き脳を潰して殺す。
この軽い命の、それでも全ての重さをこの一突きに込める。ただ一心に棍を突き出す。
気づいた相手が棍棒を振りかぶるが、私のほうが速い。
「はぁぁぁぁぁ!」
棍を突き出すと同時、足に微弱な爆発系魔法・破裂撃<ラプチャー>を発動して加速した。
「南方式操棍術……」
棍の先端が右の目玉に食い込む感覚。硬い。濁った角膜すら人間のそれとは比較にならないほど硬い。それでも私の全霊を込めた一撃は鉄球のようなそれをブチリと打ち破る。
「<閃穿牙>!!」
『届いた』感覚に手が痺れる。この感触は肉のそれではない。
棍の先端が頭蓋骨の裏側へ到達したという確かな手応えが両腕に伝わってくる。殺った。
「ッラァ!!」
相手の腹に蹴りを入れて棍を引き抜く。猪頭の大男はゆっくりと、しかし確実に後ろ向きに倒れてゆく。得体の知れない敵ではあったが、いかな生物といえど脳を破壊されて立っていることなどできない。
「か、勝った……? 勝てたの……?」
ひとり呟くと同時、地面をズンと鳴らして大男が仰向けに倒れた。
「……はは、はーっはっは! 勝った! 勝てた! うぅ、勝てたぁ……! ふ、ふん、こんなに楽勝なら、あいつに逃げさせることもなか……ありませんでしたわね! むしろ先輩の勇姿を見せつけて差し上げるべきでしたわ!」
遅れてやってきた膝の震えをごまかすように大きく笑う。判断の速さ、行動の正確さ、そして棍の技の冴え。そのいずれも申し分なかったはずだ。さらに救った相手は王族である。
これなら、もしかしたら。没落したルミノール家にも未来があるかもしれない。家族みんなの命の価値を高めることが、あるいは……!
「はは、は……?」
未来、希望、夢。そんな方向に向かっていた思考が、ずず、と黒く塗りつぶされるのを感じた。
「は……?」
動いている。
脳を潰したはずの体が動いている。動くはずのない肉が動いている。死んだばかりの死体がビクビク痙攣することがあるのは知っているから、あるいはそれかとも思ったが。
「立っ、た……?」
どろり、と。右目の嵌っていた穴からこぼれ落ちた灰色のペーストは、きっと脳なのだろう。ならば私の一撃はたしかに脳を壊していた。
それでも。それなのに。そんなはずないのに。
猪頭の大男は、何事もなかったかのように立ち上がった。
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