「そういうの、社会じゃ通用しねーから!」
輝力、という概念がある。
さまざまな技量の水準(レベル)を表す指標で、炎を操る『炎輝力』から剣技を評ずる『剣輝力』まで多分野の技能を正しく比較できるよう数値化したものだ。
一般に輝力一〇〇を超えていればその道の達人とされる。いちギルドを率いる器と云われたりもするわけだが……。では輝力さえ高ければ全て上手くいくかといえばそう簡単でもない。輝力がいくらか高かったところで、人間が群れて暮らす生き物である限りもっと重要なものが他にある。
『社会性』である。
生まれつきの才能が必要で替えの効かない祓魔の力、『聖輝力』だけは特別だが、それを持っていないなら社会で人と関わって生きるチカラが結局大事なのだ。
「ほら、反省の気持ちを示してみろ。な?」
先輩のキンメルの一言で荷物持ちをすることになった俺は、ダンジョン近くの街へと向かう大手ギルド『獅子の鬣』攻略隊の一番後ろを歩いていた。キンメルが勝手に引き受けたものも合わせて五人ぶんの荷物を持たされた理由はひとつ。
一番上の先輩より先にパンを食ったから。
別に誰のものを盗ったわけではない。たとえ食べる時間がなくなることが分かっていても先輩より先に食事に手を付けるのはご法度というのが『社会のルール』らしい。
「ユーリよぉ、お前もさぁ三年目だろ? いいかげん社会のマナーとかルールってもんをさぁ」
俺に荷物をもたせて身軽な先輩はといえば、さっきから延々と喋り続けている。とりあえず相槌を続けているが、本当にこの人もこんな下積みを乗り越えたんだろうか。それにしてはえらく腕周りが細い気がするんだが……。
先輩の昔語りに付き合いながら日が傾きだした頃に隊列がようやく止まった。
「ここをキャンプ地とする! 野営の準備が済んだ班長からチェックリストを記入して報告に来い!」
声を上げている赤髪の男がうちのギルドのギルド長。斧輝力は一三六と聞いている。大柄な体の向こうには遠目に街が見えているが、三十人を超える隊では宿をとるだけで手間も金も大きい。街の近くで野営が基本だ。
「ユーリ、お前何してんだ」
「食事の用意ですが」
分担はある程度決まっており俺の担当は料理だ。それを知らないはずもないのに聞いてきた先輩の担当はテントのはずだが。
「つまりテントは?」
「それは先輩の担当では」
「あーあーそう。あーそういうこと言う。俺はどうかと思うけどね」
俺はどうかと思う、という表現を先輩はよく使う。俺が常識や社会のルールに反したことを言った時に出ている、らしい。
「……テントも俺がやっておきます」
「あっそ」
「では、先輩は?」
「はぁ? チェックリスト埋めてギルド長に持ってくに決まってんだろうが。てめぇのチンタラした仕事のぶん、俺が気を回して先に出してやるんだから黙ってさっさとやれ!」
俺が全てをやっている間に、すでに終わったことにして報告に行くことで早さを装う。何の意味があるのか、昨日は『一番に出したほうが印象が良さそうだから』と言っていた。たぶんそれが本音なんだろう。
「団長が『刺激が足りない』って言うから俺がいいアイデアを考えようって頑張ってんのに、気が利かねえんだから……」
テントを貼り、鍋を火にかけ、干し肉と香草を刻む。味見しつつ岩塩を削っていたら不意に周囲がざわめきだしたので顔を上げると、どうやら街路を別の馬車隊が通りがかったようだ。いつの間にか戻ってきたらしい先輩も街路の方をじっと見ている。
その視線の先には十字を描いた旗印を掲げる隊列。旗には『Fine』の文字。
「聖女フィーネ様の祓魔隊だ……」
先輩が、なぜかわざわざ呟いた。
聖女。
悪霊を払う力『聖輝力』を持つ人々の、その頂点に君臨する人。
この世界には『悪霊』と呼ばれる存在がいる。死んだ人間に取り憑けば意のままに操り、生きた人間に取り憑けば体を蝕み、時に人から人へと伝染り広がってゆく人類の敵。『悪霊』と呼ばれるだけあって目には見えても剣は効かず、そのための力を天から授かった人間だけが討ち祓うことができる。
その力を持つのが聖職者であり、その力こそ聖輝力だ。
中でも、稀に悪霊が成長して人間のような肉体と知恵を手に入れることがあり、そういう存在を『魔族』という。一国を滅ぼすほどの力を持つこともある魔族を倒すには強い力を持つ聖職者が必要で、実際に魔族祓いを成し遂げた者は『聖女』――男性なら『聖人』だがなぜかほとんどが女性だ――と呼ばれる。
街に向かうのあの一体の中心にいるのも、そんな聖女様のひとり。
「俺たちはあの方の警備を任されたんだからな? 国を滅ぼす悪霊を祓う、そんな国の最重要人物とも言える方の警備をするってことがどれだけ大変なことかお前には分からないだろうけどまずは……」
その後も延々と社会とは、組織とはについて語るキンメル先輩。だが俺は祓魔隊の去り際、ちらっと見えた横顔でそんなことはどうでもよくなった。
金の長髪に、少し幼さの残るあの風貌。俺は知っていた。その顔を知っていた。
「あいつ、あのフィーネか……?」
フィーネなんてよくある名前だから偶然だと思っていたが、あの横顔は間違いない。
同じ村で育った二歳下の幼馴染、フィーネ・アルバス。
俺がギルドで三年下積みをやっている間に、幼馴染は国の英雄になっていた。
◆◆◆
そんな事実を知っても朝は来る。翌日、聖女たちがダンジョンに入る前に行われる俺たち『獅子の鬣』の仕事が始まった。
『攻略隊』と言っても、杭打ち係なんだが。
聖女がダンジョン化した墓場に入る前に、一般人や獣、聖女を狙う悪党が近づかないよう周りに柵を立てるための部隊がうちの『攻略隊』だ。
どんな仕事であれ攻略隊と銘打って世間に触れ回ると、まるで聖女といっしょに攻略したように噂が広まる。そういう目的らしいが何の意味があるんだろう。
「おい、まだか」
「今終わりました」
大手ギルドの『獅子の鬣』ですらそんな仕事なのが聖女の凄さということなのかもしれない。ともあれ先輩のぶんまで終わらせた俺は、柵の高さが不揃いで見栄えが悪いという指摘を受けてやり直しているうちに一日を終えた。
さすがに二人分を二回、計四人分の仕事を終わらせたとあってもう日が落ちそうだ。
「終わったってお前、それは三日ぶんの……終わってるな」
「三日?」
「い、いやなんでもない。じゃあ引き上げるぞ。ただしユーリ、お前にはパンを先に食った罰がある」
この人の、いや『獅子の鬣』の特徴と言えばいいんだろうか。一度の失敗をすると他の誰かが大きな失敗をするまで何日でも何週間でも言い続ける。そうすることで立場を作っていくのも処世術という、らしい。
「荷物持ちがその罰だったのでは?」
「っかーー!! お前ほんっと分かってねえな! あれはお前が『お詫びにやらせていただいた』ものなの! 罰は別! みじんも反省してねえな!」
パンひとつにここまで真剣になれるのは素直にすごいと思う。
「分かりました」
「分かりましたってお前……。まあいいや、ちょっとついてこい」
「はい?」
先輩は今しがた俺が立てた柵を乗り越えて悪霊がひしめいているはずの墓場に入っていく。うっすらと漂うのは、悪霊を遠ざけるという聖水の香りか。
「先輩、聖水なんて高価なものをどうやって……?」
「いいから黙ってついてこい」
ズンズンと奥まで進むうち、俺にも分かるほどに空気が重く淀んでいくのが分かる。こんな場所にいったい何の用事があるんだ。
「着いたぞ。ほら、あそこをよーーく見てみろ」
言われた通りに指差す先を見つめる。
直後、首筋にチクリと何かが刺さる感触。
「え……?」
世界が反転した。
いや、俺の体が倒れたんだ。痛みはない。動けもしない。
これは、麻痺毒。
「こん、な……」
「あれ、なんで喋れるんだ? しばらくは息をするのもやっとのはずなのに……。まあいいや、じゃあがんばって帰ってこいよ」
悪霊ひしめく危険な墓場から帰ってくる、それが罰だ。そう付け加えてキンメルは踵を返した。聖水の効果が切れる前に安全圏まで逃げるつもりだろう。
これが罰? こんなことが?
「麻痺毒まで打つのは俺だって心苦しいんだけどなー。でもお前は嘘つきで社会のルールも分かってないからな。ズルできないようにしないとしょうがないんだ。恨んで悪霊になるなよ?」
「ぐ……」
「なんだ反抗的な目だな? 俺なんか間違ったこと言ってるか? お前が悪いんだろ? じゃ、がんばって帰ってこいよ? どこまで帰れるかで団長たち賭けが始まってっから!」
賭け。
そういえばさっき言っていた、団長が刺激を欲しがっていると。
「そういう、ことか……!」
キンメルが俺のことを団長にどれだけ悪く伝えていたかは想像に難くない。反抗的で協調性のない役立たず、ということにでもされているのだろうか。だから都合よく使われた。
役立たずを処分しつつエンターテイメントを提供する。
自分の覚えをめでたくする、そのために。
ギルドに入ってから疑問に思うことはたくさんあった。理不尽に感じることは数え切れないほど経験した。
それでも、それが社会で生きるということだと自分に言い聞かせて。真面目に、逆らわず、一生懸命にやってきたけれど。
ただの機嫌取りのために切り捨てられる。それが社会? それが常識?
そんなもののために俺は三年も――。
「……だ」
「あん?」
「俺の、生還、に、全、財産だ……!」
「は? お前も賭けんの? ちょうどいいや。お前の部屋に残ってるもん、これで堂々といただけるぜ」
賭けの証文なのか落ちていた薄汚い板に何かパッパと書き付けて、先輩は俺に投げてよこした。
「じゃあなー」
先輩の背中が墓石の向こうに消える。追いかけようとしてはみるが体は鉛で固められたように動かない。
黄昏の空が夜空になるまでそうしていただろうか。ようやく体が少し動かせるかと思ったところで、ズン、と。それまで以上の重さを全身に感じた。
体を包む黒い霧状の何か。
キィィィィ、と悲鳴のような薄くも甲高い音。
「悪霊……!」
この黒い霧が『悪霊』。人に取り憑き、弱らせ、濃いものや上級なものであれば死に至らしめる。そんな存在が隠れていた岩陰や土の下から続々と湧き出していた。
「まだ、まだ……!」
体のどうにか動く部分をかき集めると、どうにか少しずつ前に進めた。
俺の故郷は悪霊の多い土地柄だった。先輩は何か大げさに考えていたようだが、このくらいの濃さなら重症化する前に距離をとればなんでもないことは分かっている。
体を引きずり少しずつでも移動する。目指す方向は出口ではなく反対の中心部だ。
出口を目指してはいけない。このスピードでは脱出は間に合わないし、賭けが始まっているなら自分の賭けたポイントで止まるように参加者たちが罠を張っている可能性もある。そんなものにかかってしまえば本当に助からない。
だから反対方向で悪霊の少ない場所を見つけ、麻痺毒が完全に抜けるまで待つ。それが生き延びるための最善手だ。
そうだ。生き延びる。
こんなことで終わってたまるか。生きて帰って、この証文を奴らに突きつけてやる。そして、そうだ、フィーネとの約束を……!
前に進もうとする意思とは裏腹に、動いたことで巡りが強くなった麻痺毒とまとわりつく悪霊が動きを鈍らせる。このままじゃいけない。いけないと分かっていても、体は動かない。
これは、もう――。
「――天の意思に奉る」
不意の、声。どこからかの声にまとわりついていた悪霊の動きが鈍った。
「限りある生命に安寧を。故なき生命に安眠を」
これは、聖職者が悪霊を祓う時の……。
「聖女フィーネの名を以て、祓い給え!!」
聖職者の悪霊祓い――浄化と呼ばれる――というのは『薄める』とか『溶かす』に近い印象を受けるのが普通だ。黒い力の塊が光を浴びて空気に溶けていくような、それが浄化だ。
「消し飛んだ……?」
フィーネの浄化はそんなものじゃなかった。光を浴びた悪霊は爆裂魔法を食らった風船のごとく空気中に消し飛び、今や影も形もない。
「ユーくん、大丈夫ですか?」
光の残滓が漂う中、なお輝く金の髪をなびかせて立つ幼馴染は、たしかに英雄になっていた。
本作をお読みくださりありがとうございます、ラノベ作家の黄波戸井ショウリです。
こう書いてキワドイショウリと読みます。
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