イェ=ムーに太陽と月が生まれた話。
『《視るもの》イーサーと、《夜の王》となった梟』
イーサーは光であり、炎である。その光と熱は世界を覆う。
イーサーは《視るもの》であり、同時に《盲目の神》でもある。イーサーの五体はイェ=ムーにはなく、神の領域で憂鬱と溜息を友として瞑想に耽り続けている。イェ=ムーに存するのは、かの神の、比類無き感性と洞察を宿す二つの炯眼である。神の領域に存するイーサーの両瞼の奥には、岩窟にも似た虚ろな眼窩が闇を抱いているのみである。
イーサーが眼を失ったのはこういうわけである。
原初のイェ=ムーには夜しかなかった。《五柱の大神》より世の一切の監視を命ぜられたイーサーが光なきイェ=ムーの、大空の玉座に腰を下ろした時、その耐え難いまでの輝きと灼熱のため、イェ=ムーの多くの生き物が苦しんで言った。
「おお、イーサーよ。輝ける神よ。どうかその身をお隠し下さい。我らの肉体は神々のように堅牢ではなく、我らの心は神々のように壮健ではありません。神の熱は耐え難く、神の光は我らの心を不安に陥れます。イーサーよ。大いなる宿命を授けられし神よ。どうかその身をお隠し下さい」
生き物たちが苦しむのを知り、慈悲深きイーサーは驚いて天空の玉座から立ち退き、神の世界に隠れた。地上には夜と平穏が戻ったが、イーサーの心は穏やかではなくなった。《五柱の大神》より託された使命たるイェ=ムーの監視を果たせざれば、イーサーにイーサーたる資格はない。思案し、悩み抜いた末、遂にイーサーは自らの右の眼球を引き抜いた。
「お前は私の、イェ=ムーにおける顕現である。視よ」
そう言うやイーサーは右眼をイェ=ムーの大空へ投げた。眼球は天空の玉座に納まり、イーサーの分身としてイェ=ムーの監視を請け負った。イーサーより分かたれた眼球の熱と光は神そのものには遥か及ばず、生き物たちが苦しむことはなかった。眼は心地よき光と熱を世界に与え、天空の玉座に君臨し続けた。多くの生き物たちがイーサーの右眼を讃えた。
だがある時、一羽の梟がイーサーの右眼のもとへと飛んで来て、こう言った。
「偉大なる監視者、イェ=ムーの一切の証人、イーサーの顕現よ。私達は闇を愛するものです。どうか、その身をお隠し下さい。あなたの光と熱は私達から闇の活気を奪い、営みを奪い、私達がイェ=ムーに溢れる様々な快楽を享受することの妨げとなっています。イーサーの顕現よ、我らイェ=ムーに生きるすべてのものに快楽を享受する権利があるというのならば、我らの願いをお聞き届け下さい」
梟の声を聞いて、慈悲深きイーサーの右眼は答えた。
「ならば我はこれより、イェ=ムーの大地の彼方へと沈もう。お前達に、充分に闇の快楽を享受し得る時を与えよう。その時が過ぎたならばまた空へと昇り、光を求める生き物達の時を作ることとしよう」
それからというもの、イーサーの右眼はイェ=ムーの天空と大地の周囲を回るようになった。こうして一日の中に、昼と夜が生まれた。
しかし、イェ=ムーの夜を視ることが出来なくなったことにより、神の領域に住まうイーサーの心は再び穏やかではなくなった。思案に暮れ、悩み抜いた末、イーサーは遂に残った左の眼球を引き抜いた。そして《誕生》と《成長》と《死》の兄弟神達に命じて、その眼に呪いを与えた。これらの神々の呪いによってイーサーの左眼は神の熱を失い、イェ=ムーに存在するすべての生き物達のように、《誕生》と《成長》、そして《老い》と《死》を繰り返すようになった。
「お前はイェ=ムーの夜における、私の顕現である。視よ」
こうして、右眼とは対極に位置する玉座に納まったイーサーの左眼は熱を発さず、消滅と再生を繰り返しながらイェ=ムーの夜を見守ることとなった。
またイーサーは神に闇を求めた梟の勇気を称えて、かの気高き生き物を《夜の王》とし、それに相応しい権威と叡知、そして十六ある夜の中でただ一日、左眼が完全に消滅してしまうその夜に、左眼の代行者となってイェ=ムーを監視する使命を与えた。
これらの由縁をもって、イェ=ムーは今の姿を得た。そしてイーサーの左眼が空にない夜には、《夜の王》である梟が闇の中を音もなく跳び回り、生けるもの、そうでないものを等しく見回るのである。
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