父の葬儀は遺言通りにごく質素なものにした。喪に服す期間も短いものになるだろう。
弔問に訪れた他門派の重鎮たちとのあいさつもそこそこに、継山は自室へと戻った。あとの対応は〈桃花〉師範代の李慧に任せてある。
葬儀の規模や継山の態度から、彰国三十六派の頂点と呼ばれる還界派の権勢もこんなものか、と各門派から噂されるかもしれない。だが新掌門となった高継山にはどうでもいいことだった。
(わたしは父とは違う。優先すべき大事を見誤ったりはしない)
葬儀のあと、自室に数人の男たちが集められた。
それぞれが卓を囲んで椅子に座る。一番奥の席には継山。その左右には弟の賢威と綜覇。正面には壮年の武人ふうの男。背後には顔立ちの整った若い男が直立し、その男は座ろうとしなかった。
継山から見て左奥の席には洪永。〈百面〉の任務中ではないので、いつもの被り物はしていない。
右奥の席。そこには白の着物を着た書生ふうの男。膝の上に書物を広げ、何やらにたにたと笑っている。それが妙に癇にさわる。
「まずは掌門への無事就任、おめでとうございます。ああ、正式な就任の儀はまだ先になるでしょうが、ぼくはそれに出席できそうもないので。いまのうちに祝辞を述べさせていただきました」
名は施暈。こちらを見もせず、しかもその皮肉を込めたような言い方。ますます癇にさわる。
不気味なことに、この男は継山が幼い頃からまったく容姿が変わっていない。
道術のおかげだと公言しているが、はたしてそんなことが可能なのだろうか。洪永などは特に怪しみ、その動向を常に警戒している。
「滅妖の同志がこうして集まるのは何年ぶりかな。まあ、こんなときにぐらいしか直接会うことはないからな。お互いに有意義な時間としたいものだ」
正面の男。北威討寇大使にして〈迅騎〉隊長・張冷起。この男は還界派に在籍していたとき、〈百面〉の一員だった。
朝廷に妖鬼が潜んでいるという情報をつかみ、仕官までしてその事実を確かめようとしていたのだが本人の思惑通りにはいかず、この石州という地方に異動させられたのだった。
馬賊たちの戦いではうまく還界派と連携できるので、そのことについては良いとも悪いとも言えなかった。しかし、滅妖の任務からは洪永や施暈よりも遠ざかっていることは否定できない。
継山自身も滅妖の任務に直接かかわることはなかった。父からその概要を聞くのがほとんどだった。掌門となったいまなら、〈百面〉や施暈から妖鬼に関する情報が直接入ってくる。
とりあえず今日の会合での発言権は施暈にありそうだった。生前、父はこの男の情報を最も信頼していた。それも当然だと思う。妖鬼に対し、圧倒的な威力を誇る仙器の情報はこの男がもたらしたものだ。
継山は慎重に言葉を選び、施暈に質問した。
「施暈どの。報告では〈百面〉と共に陳盛の屋敷を襲撃したそうですが。あなた自身が現場に赴くというのは、めずらしいのでは?」
施暈はようやく書物を閉じて顔を上げる。
「施暈で結構ですよ。この滅妖の同志……新たなる盟主は、あなたなのですから。ええと、陳盛の件でしたね。あれは相手側が相当警戒していましたからね。あの場にいる全員を調べるとなると、やはり術での支援が必要だと思ったのですよ」
「結局、妖鬼は陳盛ただ一人でした。都の本宅も別働隊が調べましたが、家族の中にも妖鬼はいませんでした」
補足説明したのは洪永。施暈が溜息まじりに首を振る。
「ということは全員殺したのですね? いやはや、わたしに任せてもらえばそんなことをせずに済んだのに」
「本宅と別宅を同時に襲撃しなければ、どちらかに逃げられる可能性がある。家族や使用人全員を捕らえている暇もない。貴様のように殺さずに妖鬼かどうかを見破れる者はいないからな」
洪永は施暈と目を合わせようともしなかった。
「やはり朝廷の人間に妖鬼が紛れているな。しかしわからん。馬賊どもが鳳都の、しかも宮城にまで潜入したとは考えられんが」
冷起が顎の髭をしごきながら疑問を投げかける。継山も頷き、洪永に説明を求めた。
「陳盛を含めた四人の高官は、地方に視察に訪れた際に馬賊に拉致され、身代金を払ったことで解放された経験があります。恐らくはそのときに……」
「妖化か……厄介だな。とにかく、朝廷の人間が妖鬼と化すのはまずい。下手に手が出せんからな」
難しい顔をして言う冷起に対し、施暈の手厳しい指摘が飛ぶ。
「だからこそ〈百面〉のような隠密行動を得意とする集団がいるのです。誰かさんは中央に潜入したつもりが、地方に飛ばされるはめに遭っていますし」
「ははは、そのことはもう勘弁してくれ。まあ、武官として有能過ぎるのも問題だな。だがおれがこの石州に赴任して以来、馬賊どもの跳梁はだいぶ減ったのだぞ」
施暈の皮肉も通じないのか、冷起は豪快に笑った。随分と鷹揚な性格らしいが、背後の若い男の表情は少々険しくなっていた。
「その場に華婉たちがいたということだが……施暈、あの者たちは本当に始末しなくてもいいのか?」
自分でも気づかぬうちに責めるような口調になっていた。それだけ、次期掌門候補だった華婉の存在が気がかりだった。
洪永の正体を知られたからには、十分に殺す理由がある。それを頑なに否定する施暈に対し、いらだちを覚えた。
施暈のほうはそれを見透かしたように笑みを浮かべる。
「三叉龍どのにも言ったのですがね。華婉どのはいずれ仙器所有者になると。殺すよりも仲間に引き入れることを考慮したほうがよろしいかと」
――がたんっ。
突然、椅子の激しく転がる音。皆の注目が集まるなか、冷起が青ざめた表情で立ち上がっていた。
「おい、仙器と言ったな。もう次の所有者が見つかったのか!?」
いまにもつかみかかりそうな剣幕。施暈が微笑みながら答える。
「ええ。ですが、まだ本人にその自覚がないようです」
「その華婉とかいう女が、我々に協力する可能性は?」
「うーん、どうですかね。自ら還界派を去っているわけですし。〈百面〉に恨みを持っているでしょうし」
「そうか……」
冷起は考え込んだように腕を組み、そのまま黙り込む。
「張将軍。仙器について何か?」
継山はこの反応を見て、訊ねずにはいられなかった。しかし冷起はそれにも気づかない様子で、その視線は宙を睨んでいる。
「張将軍……仙器は人を選ぶ。知らないわけではないでしょう。一旦、所有者が決まってしまえばそれを変えることなどできないのですよ」
施暈が諭すように言うが、冷起の耳には届いていない。
「その女はいま、どこに?」
落ち着かない様子で訊く。背後の男もすでに部屋から出るような素振りを見せている。
「彼女には月天湖に行けと言ってあります。あの湖の廟で、彼女は仙器の正式な所有者となるでしょう。ぼくの予見の力でわかったことですが」
「それだけわかれば十分。翅雄、行くぞ」
冷起は別れのあいさつも告げずに、翅雄という男とともに部屋を出て行った。
「やれやれ、慌ただしいですね」
施暈が肩をすくめる。自分で行き場所を教えておいて、勝手なものだ。
「妖鬼を生み出す元凶が馬賊の中にいるからか? 張将軍があれほど仙器に執着していたとは……。施暈どの、なんとか張将軍が仙器を得る方法はないのか?」
「こればかりはぼくにもどうしようも……選ぶのは仙器ですから。選ばれた人間を見つけることならできるんですがね」
施暈の言うとおりだった。三叉龍、猿姫、鉄角。皆、仙器に選ばれた者を施暈が見つけ出し、〈百面〉へと引き入れたのだ。彼らを含めて今〈百面〉には四人の仙器所有者がいる。
「張将軍は華婉に会って何をするつもりだろうか……早まった真似をしなければいいのだが」
もしやとは思うが、完全に仙器を得る前に華婉を殺すつもりかもしれない。新たな所有者として自分が認められるまでそれを繰り返そうとしているなら、〈百面〉はいつまで経っても新たな仙器を得られないではないか。
滅妖の同志。その盟主である自分の意思を無視するような行為だ。表情に出る不満の色を隠すこともできず、継山は席を立った。
いつの間にか施暈は素知らぬ顔でこそこそと退出し、洪永は無表情でそれを見送った。
継山をなだめるのは左右の席の弟二人だった。
「兄者、そのことについてはおれたちに任せてもらえないか?」
次弟の賢威。武芸の腕はからきしだが、その知識は呆れるほど豊富だ。還界派だけでなく、他門派の技や武器にまでそれは及ぶ。ほとんど病気ではないかというほどだ。
しかしそのことや前掌門の息子であることを鼻にかけ、傲慢な態度を取るので末弟の綜覇と同様、門弟たちには嫌われている。
「お、おれも協力するよ。兄貴が、い、いい考えがあるっていうからさ」
大柄な末弟、綜覇。むさ苦しい顔を近づけ、にたついている。
「おまえたちが? どういうことだ」
継山は、はっきりいってこの弟たちになんの期待もしていなかった。
還界派の支柱である高一族という意識に欠けている。滅妖のことも詳しく知ろうとはしない。
賢威は肝心の鍛錬はそっちのけで武芸の書物を読み漁るのに没頭し、綜覇は女の尻ばかり追い回している。だからいまの二人の申し出は意外だった。
「張将軍が何を企んでいるか、知りたいんだろ? そしてやつらより早く華婉に接触すること」
賢威がそう言いながら、洪永のほうへ視線を移した。洪永は少し困ったような顔になっている。
「まさか〈百面〉を使わせろと?」
〈百面〉は高一族のために働くとはいえ、その権限は全て掌門のものである。以前は継山ですら〈百面〉に指示を下すのには父の許可が必要だった。
賢威はわざとらしく驚いたような声をあげ、それを否定した。
「いやいや、兄者の切り札をそう簡単に使わせてもらうわけにはいかないね。おれらはおれらのやり方があるさ。ただ、金銭がかかるがな」
「……いいだろう。金銭は好きに使え。だが、やるからには失敗は許されんぞ」
「もちろんだ。いままで好き勝手やってきた侘びだと思ってくれよ、兄者。おれや綜覇でも還界派の役に立つってことを見せてよるよ」
「へ、へへ、そういうこと。おれたちに任せとけよ、兄貴」
賢威と綜覇の二人は自信ありげに宣言し、部屋を出て行った。
「今回は随分とやる気があるようだな、あの二人」
継山は苦笑しつつ、洪永の顔を見る。洪永はさして関心のないような顔をしていたが、意見を述べた。
「あの方たちに限って、純粋な気持ちではないでしょう。おそらくは華婉がらみのことでしょうが……よいのですか?」
「かまわんよ。〈百面〉の邪魔にさえならなければな。それよりも、問題は華婉と張将軍の動向だ。洪永、おまえも月天湖に行ってもらうことになるが」
「もちろん、そのつもりです。とりあえずは両者の監視でよろしいですか?」
「ああ。施暈の言ったとおりならば、仙器は華婉のものとなろだろう。これは阻止しようがない。いまいましいことだがな」
継山は窓のそばまで歩き、そこから見える岩壁の模様を眺めながらつぶやく。
「仙器は人を選ぶか……知りたいものだな、その基準がなんなのか。武芸の腕だけなら張将軍の右に出る者などそういないだろうに。いずれにしろ、十二の仙器は我々が手に入れなければならん。この世のすべての妖鬼を滅ぼすために」
洪永からの返事はなかった。継山が振り返ると、もうその姿は部屋から消えていた。
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