月天の華

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8 項家荘

公開日時: 2021年8月28日(土) 14:54
更新日時: 2021年8月29日(日) 02:55
文字数:2,292

 まだ薄暗かった。悠輝ゆうきが歩きながら何度もあくびをしている。

 明るくなる頃には目的地に着くだろう。そう思いながら、還界山かんかいさんのほうを振り返った。


 緩やかな稜線が左右に広がる山々に隠れ、もうその姿は見えない。華婉かえんはふと洪永こうえいのことが気になった。


「華婉、どうかしましたか?」


 周渓しゅうけいが心配しながら訊いてくる。華婉は首を横に振りながらなんでもないと答えた。


 切り立った崖のそばに項家荘こうかそうはあった。村の周りには埋められた堀や壊された柵など、十年前の馬賊との戦いの跡がいまだに残っている。華婉と恬珂はそれを見てしばらく動けなかった。


 かつて項家荘には強力な自警団が存在していた。村の若い者や金銭で雇われた武芸者で形成されたものだが、何度も馬賊を撃退していた。

 それを指揮していたのは華婉の父、華翔かしょうだった。元々は泰来たいらいとの戦で活躍した傭兵。しょうと泰来が講和してからは、この村で用心棒として雇われた。


 華翔の卓抜した指揮。村民たちの団結。村を取り囲む天然の要害。加えて、還界山とも近い。いざとなったら連携して馬賊と戦えるのだ。誰もがこの村が滅びるとは思っていなかった。


 しかしそのような村だからこそ、好戦的な馬賊に執拗に狙われたのかもしれない。

 十年前、どこから湧いて出たのか、馬賊たちが千以上の騎兵で村を襲撃した。それまでは多くても百を越えることはなかったのに。

 昼夜を問わず攻め立てる馬賊。相当な犠牲が出ているにもかかわらず、何度も何度も押し寄せてきた。


 還界派から救援のために三百の門弟が派遣された。しかし、途中で馬賊の別働隊に行く手を阻まれた。


 北威討寇軍の〈迅騎じんき〉は他州の馬賊を追撃中だった。急反転し、項家荘に向かうものの五日はかかる。石州の刺吏は馬賊に恐れをなして城に立て籠もる有様。項家荘は完全に孤立した。


 三日後、奮戦むなしく項家荘は陥落。村民はことごとく皆殺し。金品や家畜は強奪され、家屋には火が放たれた。

 還界派の門弟たちが項家荘に着いたとき、すでに馬賊は去ったあとだった。残されていたのは、馬賊と村民の死体の山。黒焦げになった家屋の残骸。


 門弟たちは残骸の下でかろうじて息のある女性を発見する。女性は自分が倒れていた地面の下に仕掛けがあると言い残し、息絶えた。門弟たちが言われたとおりに調べると、そこには隠し扉があった。


 扉を開ける。地下に作られたその縦穴には、十数人の子供たちが震えながら身を寄せ合っていた。

 その中に華婉と恬珂、洪永がいた。隠し扉の上で倒れていたのは華婉の母、史青英しせいえいだった。父の華翔は死体すら見つかっていない。

 華婉たち三人以外の子供は、他の城市や村の親戚に引き取られた。華婉たちには行くあてがない。還界派に入るよう勧めたのは、白い髭を生やした男、高元真だった。


「華婉。気分が悪いのなら、どこかで休みましょうか?」


 周渓の気づかうような声。荒れ果てた村の中を歩いていると、やはりあのときのことを思い出す。華婉はうつむきながら首を振った。


「どこにも馬賊なんていねえぞ。大勢いるんだったら、村に入る前からわかる。少ない人数でもいた跡ぐらいは残ってるはずだよな」


 悠輝がいらだった様子で、瓦礫の一部を蹴りとばす。周渓も首をかしげた。


「たしかに……しかし村の中はかなりの広さですから、すべて見回るまで油断はできません」


周姐しゅうねえ、それなら二手に分かれるか」


 華婉が提案する。とりあえず危険はなさそうだからだ。こんな任務から早く解放されたいという気持ちもある。


「では、わたしと恬珂、華婉と悠輝に分かれて探索。集合場所は村の広場にしましょう。万が一、馬賊を見つけても勝手に戦わないこと。いいですか、華婉」


「わかってる」


 自分が一番、血の気が多いと思われているらしい。たしかにこんなところで馬賊に遭遇したら、平静でいられるかわからない。

 周渓は恬珂を連れ、北のほうを調べに行った。


 恬珂はこの村に着いたときから一言も喋っていない。そのことが少し気になった。

 悠輝とともに、南側を探索する。目に入るのは、壊れた石壁や真っ黒な家屋の残骸。やはり人の気配はどこにもなかった。


「周姐のほうも、多分何もないだろうな」


 うんざりしたように悠輝がつぶやく。華婉はそれに答える気にもならなかった。


――ふいに背中を冷たいものが走った。かすかだが、感じる。村の中ではない。外から、じわじわと押し寄せてくるような殺気。


婉姐えんねえ?」


 華婉の険しい表情に、悠輝が不安そうな声。


「悠輝、敵だ」


 短く言って、壊れた石壁の陰へ引っ張る。


「馬賊か?」


「いや、違う。やつらは騎兵で派手に襲ってくる。だがいま感じるのは、影のような捉えどころのない何かだ」


「よくわかんねえな」


「周姐たちが心配だ。合流するぞ」


 言って、石壁の陰から飛び出した。

 北のほうへ飛ぶように走った。悠輝も必死についてきている。

 走りながら二人をさがした。見当たらない。このまま進めば、この先は崖だ。


「婉姐、あれ!」


 悠輝が何かに気づいた。

 朽ちた樹の根元に、誰かがうつ伏せに倒れている。華婉は一瞬、血の気が引いた。


――恬珂だった。駆け寄って抱え起こす。呼びかけるが、目は閉じたままで返事もない。


「婉姐、まさか……」


 悠輝が青ざめた顔で訊く。華婉はふう、と軽く息を吐いた。


「気を失っているだけだ。外傷はない。まったく、こいつはいつも人を心配させる」


「周姐はどこ行ったんだ? 婉姐、早くさがそうぜ」


「わたしがさがしてくる。おまえは恬珂を身を隠せるような場所に運んでくれ。何かあったら、おまえがを守るんだぞ」


「わかってるけどよ、婉姐も気をつけろよ。なんか嫌な感じがする」


 二人を残し、華婉は再び北に向かって走った。もうじき崖に着くはずだ。




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