「馬賊ども、命が惜しければ武器を捨てて投降しろっ」
虎の咆哮に似た怒号。それに怯んだ敵を大刀で四、五人まとめて薙ぎ倒す。前方に群がっていた賊の壁がわあっと開けた。
制止する間もなく、血に酔った上官は馬に一鞭くれて敵の真っ只中に。副官である岳翅雄も槍をしごいてそのあとに続く。
張将軍自ら国境沿いを巡回していた途中。斥候が馬賊の一隊を発見。北威討寇大使であり、〈迅騎〉隊長の張将軍はすぐに攻撃を命じた。
馬賊どもは二十から三十ぐらいの数で行動することが多い。移動や補給、潜伏に適した人数といえる。対してこちらの兵は五十。勝つだけならたやすいのだが、相手に戦うつもりはない。泰来産の駿馬にものをいわせ、一目散に逃げ出す。
とはいえ、奇襲に近い張将軍の突撃はなかなかに功を奏している。うまく包囲して退路を絶てば、殲滅するのも難しくない。
「張冷起か! その首、狩ってやるっ」
混乱している馬賊の集団から単騎、飛び出してきた。威勢のいい、黒い肌の女。
馬賊の女戦士、雷喜。腰帯にぶち込んである手斧を次々取り出し、狂ったように投げつける。張将軍は大刀を小枝のように振り回してそれらを叩き落とした。
「おう、まさか〈五蛇衆〉がいるとはな。なんぞ楽しいことがあるんなら、おれもまぜてくれんか」
まるで旧知の友に対するような呼びかけに、雷喜はまなじりを吊り上げて怒りをあらわ にする。
「調子に乗るんじゃないよっ」
今度は長柄の大斧を振り上げ、馬ごと体当たりするような勢いで突っ込む。そのうしろから追い越すように二騎の馬賊。左右に分かれ、張将軍を包囲した。
長髪の男にずんぐりとした男。見覚えがある。馬止渦と牛隗。この二人も〈五蛇衆〉だ。
「ははは、こりゃあいい。〈五蛇衆〉が三人か。ますますおもしろい」
賊将三人に囲まれながらも張将軍には余裕がある。雷喜の大斧、馬止渦の長刀を同時にはじき、背後の牛隗を大刀の石突で牽制。さすがは武神と称される猛将。
(感心している場合ではない)
なんのための副官か。賊将を三人も上官に近づけていい道理はない。進路をふさぐ馬賊どもを蹴散らし救援、いや、加勢に向かう。
「北威討寇副使、岳翅雄!」
「引っこんでな、坊や! お呼びじゃないよっ!」
雷喜の手斧が飛来。馬首を下げ、翅雄はたてがみに顔を埋める。凶悪な回転音が頭上をかすめていく。
顔を上げると、牛隗が接近していた。足だけで器用に馬を扱い、柄の先に球状の頭がついた武器――錘を両手に持っている。
振り下ろされた双錘を槍の柄で受ける。馬ごと後退させられるほどの一撃に翅雄の手がしびれた。力のぶつかり合いでは分が悪い。
(だが、退くわけにはいかない)
たしかに剛腕だが、その単調な攻撃を見切り、隙を突いて反撃するのは難しくない。しかし賊相手にそれを実行したくはなかった。一切の小細工なしに正面から堂々と戦う。それが代々岳家に伝わる岳家槍法の教えであるし、翅雄の信念とも一致する。
「おおおぉっ」
衝撃音と火花をまき散らす槍と双錘の応酬。打ち勝ったのは――翅雄だった。
翅雄の槍はふたつの錘をはじき飛ばし、穂先は牛隗の胸当てを大きく切り裂いた。
見た目からは想像もできないような高音の悲鳴を発し、牛隗は滑るように落馬。とどめを刺そうとしたが、右往左往する馬賊どもに紛れて逃げられてしまった。
張将軍もすでに勝利を収めていた。二人の賊将の得物が、へし折れた状態で地面に落ちている。
「ち、相変わらず逃げ足の速いやつらだ……。おい、雑魚どもは逃がすなよ」
賊将を逃がしたことに悲嘆している暇はない。張将軍はすぐに掃討を命じた。
潰走する馬賊どもに目を向けたとき、翅雄は奇妙なものを見つけた。
「張将軍、あれを」
〈迅騎〉の騎兵に追われ、逃げまどう馬賊どもの中。そこに異質なものが混じっていた。
――手枷をはめた少年の横顔。馬にまたがっているものの、走らせようとするそぶりは見せない。まわりの馬賊どもの馬が当たって、よろよろと危なげに揺れている。
「虜囚か」
馬賊に捕まった彰人。張将軍はそう判断し、馬を走らせて自ら近づく。
「おい、そんなところにいると危ないぞ。馬を降りてこっちへ来い」
声をかけた瞬間、少年はすっくと馬の上に立ち上がった。
「うるせえ。おれに指図するな、人間のくせに」
正面を向いたその白い顔。張将軍と翅雄は同時に息をのんだ。
鱗状の刺青。蛇のようにからみついたそれは左頬から首、はだけた胸、腹へと続き、足首にも見えている。もしかしたら刺青ではなくて痣かもしれない。どちらにしろ不気味ではあるが。
「おまえ――」
「しゃべんな。おれを救うことなんかできねーくせに」
――馬上から少年の姿が消えた。
どこだ、とさがせば地面でへたばっている。手枷の重さが災いして落ちたらしい。
「おい、大丈夫か? 馬賊に捕まっていたんならもう安心しろ。おれたちは〈迅騎〉だ」
呆れながら張将軍は馬を降り、近づく。ふいに翅雄の身体に震えが走った。
「張将軍っ! 危ないっ」
ごろりと前転した手枷の少年。起き上がった勢いで張将軍に飛びかかった。
「ぬんっ」
大刀の一閃。少年の身体は腰からまっぷたつに両断され、大量の血をまき散らしながら地面を転がった。反射的な行動だろうが、これはむごい。張将軍もしまった、という顔をしている。
「いきなり飛びかかってくるからだ。敵だったのか、こいつは?」
張将軍は自身の右の手首を押さえながら顔をしかめた。
「張将軍、どうかなされたのですか?」
「いや、どうやったのかわからんが……噛まれたような痕がある。傷自体はたいしたことないのだが」
たしかめるように大刀を振る。顔にまで届く風圧。いつもと変わらぬ威力に翅雄は安心した。
馬賊どもはあらかた討ち取られたか、武器を捨てて投降している。〈五蛇衆〉が三人もいた理由は不明だが、こうなっては目的を達することはできないだろう。
捕らえた馬賊どもを連行するよう命じ、張将軍は辺りを見まわす。
「妙だな……死体がなくなっている」
先ほど惨死した奇妙な少年。たしかに死体が消えている。すでに誰かが片付けてしまったとは考えにくい。
「……捕らえた馬賊どもから聞き出してみましょう。〈五蛇衆〉のこと、それにさっきの少年のことを」
自ら尋問役を買って出た翅雄だが、馬賊どもから〈五蛇衆〉の目的や、あの少年の正体を知る者はいなかった。
わかったことは泰来からまっすぐに南下してきたこと。ここに来るまでに村や集落を襲っていないこと。あの少年は虜囚というより、賓客のような扱いを受けていたこと。
「末端の賊兵には何も知らされていないようです。何か重要な秘密があるのでしょうか」
「……妖鬼に関することかもしれん。一応、〈百面〉と施暈には報せたほうがいいな」
いつもの豪放磊落な張将軍らしくない、落ち着いた声。こういう声で話すとき、その内 容は決まって妖鬼に関係することだ。
「わかりました。わたしが直接行きましょう」
「頼むぞ」
上官に別れを告げ、翅雄は馬を駆けさせた。目指すは還界山。
妙な胸騒ぎがする。馬賊の動きが活発になるにつれ、妖鬼の出現頻度も高くなっている。もしかしたら、あの少年も妖鬼の類だったのかもしれない。
(馬賊と妖鬼のつながりを早急に突き止めなければ)
あるいはもう何かつかんでいるかもしれない。滅妖の同志は翅雄の知らないところで常に動いているのだ。それをたしかめるためにも急がねばならない。還界山へと――。
薄暗い地下。四方を石壁で囲まれ、冷たく、じめじめとした空間。
分厚い鉄製の扉。近くには見張り。まさに獄舎だが、それは中からの脱走を防ぐためではなく外からの侵略に備えたものだ。そういう厳重さも含めてとても快適とはいえない環境。しかしそれに文句をつけるつもりはない。こういう部屋を用意してくれと頼んだのは他ならぬ朧我本人だった。
この忌まわしき半身のせいか、と部屋の中央で仰向けに寝そべりながら朧我は考える。九百年前には絶対、あり得なかった好みだ。
通路から乾いた足音。一つしかない入り口に目を向けると、のぞき窓ごしに見張りと目が合った。
鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐ。見張りを含めて七人分のものだ。そのうち四人は嗅いだことのない匂い。
がしゃんと音がして鉄製の扉が開く。現れたのは四人の男。いずれも中年から初老の間ぐらい。その四人は朧我を見るなり、ひっ、とひきつった声をあげて後ずさった。
驚くのは無理もない。まず両腕にはめられている手枷。小柄な少年の身体には不恰好なほど大きい。そして病的ともいえる白い肌。左頬から右足にかけて、蛇のようにからみつく青痣がある。
「朧我、手を出せ」
男たちを押しのけるように出てきたのはよく知っている顔の一人。羅韋興とかいう、髭面のごついおっさんだ。ここにいる連中のまとめ役らしいが、朧我が見るかぎりうしろの女には頭が上がらない。
それは長い三つ編みを一本背中に垂らしている若い女。名は王沙梨。斜めにかぶった毛皮の帽子を押さえつつ、新顔の男四人を突き飛ばした。
四人の男たちは情けない悲鳴をあげながら床に膝をつく。
朧我は手枷のついた両腕を重たげに上げる。羅韋興は取り出した短刀で親指の先を軽く切った。
滴り落ちる血。水の入った碗にそれを受け止め、軽くかき混ぜる。
血を飲ませるのは手っ取り早く確実な方法だ。爪で引っかいたり歯で噛みついたりでは成功率は半分ほどに減るし、時間もかかる。
(彰の官吏か? それも身分の高い:::)
朧我はそう予想した。あの男の考えそうなことだ。あの男の目的ははっきりとしないが、この世界にとってろくでもないことになるのはたしかだ。
羅韋興が一口づつ飲め、と碗を突き出す。
四人の男たちは顔を見合わせて戸惑っていたが、うしろの王沙梨が早く、と急かしたので慌てて碗を受け取り、震えながら血水を口に含んだ。
しわくちゃの歪んだ表情でそれを飲み下した四人は命乞いをはじめる。金銭を用意させるから命だけは、と羅韋興の足元に這いつくばって。
羅韋興は迷惑そうな顔をしながらさっさと行け、と命令し、男たちは転びそうになりながら部屋を出て行った。
――がしゃん。
鍵が下ろされ、その部屋にはまた朧我だけとなった。通路からはまだ男たちの命乞いの声が聞こえてくる。
(殺さねえって。人間ではなくなるけど)
蔑むようにそれを聞きながら、朧我はぺたりと座り込んだ。
(おまえらはいいさ。どんな形だろうと生き残ることはできるんだからよ)
手枷の重さを利用して、朧我はそのまま仰向けに寝転んだ。
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