大勢の客で賑わう酒楼の二階。地上を見下ろせる欄干側の卓を五人が囲んでいる。
そのうちの一人が陶器の杯につがれた酒を勢いよく飲み干した。
「いい酒だが……もの足りんな。やはり馬乳酒のほうがそれがしには合う。羅韋興、おぬしもそう思わぬか」
長髪の若い男。顔の左半分がその髪で隠れている。名は馬止渦。この五人の中で最も若いのだが、やたらと時代がかったしゃべり方をする。
羅韋興は馬止渦と同じように酒を飲み干し、空の杯を置いてから答えた。
「ああ、まあそうだな。だがほどほどにしておけよ。おまえが本気で酔ったときはおれでも止められんからな。酔いどれ狂馬は」
からかうように笑うと、隣の王沙梨が肘で脇を突いてきた。早く本題に入れ、と言っているようだ。あいかわらず頭が固い。五人揃うのは久しぶりだというのに。
「……今朝、破才からの使いが来た。新たな指令がおれたちに下されたわけだが」
確認するように一同を見渡す。四人はそれぞれ異なった表情で頷いた。
〈五蛇衆〉。真王騎兵団の中でも特に武芸に秀でた五人。三年前からこの彰国の各地で間諜、及び特殊――というか奇怪な任務に就いている。筆頭である羅韋興は幹部の一人、魏破才から新たな密命を受け、他の四人を招集したのだった。
この場に呼ばれるまで羅韋興以外の四人はその密命の内容を知らない。知れば必ず反発すると予測したからだ。実際、羅韋興が任務の内容を説明しだすと、四人はあからさまに不満な顔をした。
「女一人を仕留めるのに五人でやれって!? 冗談じゃない、手柄も報酬も仲良く五等分ってことかい」
褐色の肌の女、雷喜。声を荒げてばきりと杯を握り潰してしまった。
羅韋興はひやりとして周りの様子をうかがったが、他の客たちは店の賑やかさも手伝ってそれに気を留めた者はいない。
現在、泰来と彰は講和しているとはいえ、真王騎兵団――南人からは馬賊と呼ばれている自分たちは話は別である。行商人の偽装をしているものの、この四人の言動(特に雷喜)にはいつもひやひやさせられていた。
「雷喜、羅韋興の話はまだ終わっていないわ。静かに聞きなさいよ」
副長役の王沙梨がたしなめるが、雷喜の怒りはまだ収まらない。この二人の女戦士はともに二十代前半だが、その性格はまるで正反対だ。雷喜にはもう少し王沙梨の冷静さを見習って欲しいものだと羅韋興は思った。
「大体、〈迅騎〉の張冷起とも決着がついていないんだよ。あの図々しくて横柄な男には五年前の借りがあるからね。あいつをほっといて別の任務をやれだなんて、どういうつもりだい」
五年前――雷喜と馬止渦、牛隗は朧我を彰まで送り届ける途中で〈迅騎〉の奇襲を受けた。
三人がかりで勝てなかったことでは王沙梨にからかわれ、朧我と接触させてしまったことでは羅韋興にひどく叱責された。その原因である張冷起をかなり憎んでいる。
「それに〈蛇眼〉だかなんだか知らないけどあの二人、威張りくさりやがって。騎兵団に入ったのだって、あたしらのほうが先なんだよ」
雷喜の文句は味方にまで及びだした。新しい杯に羅韋興自ら酒を注ぎ、目の前に置いてやる。
「落ち着け。おれたち草原の民の掟を忘れたのか。生まれや年齢は関係ない。すべて実力と功績によって序列が決まる。それでも文句があるんなら、あの二人の前で言うんだな」
やや声を低くして紙片を卓の上に置く。
「おれたち〈五蛇衆〉の新たな標的はこいつだ。あの還界派の門弟だって話だからな。相手は一人だけとは限らん」
「……女か」
紙片に書かれている名を見て、つぶやいたのは牛隗。年齢は羅韋興と同じぐらいなのだが、禿頭と木石のようなひび割れた肌のせいでずいぶん老けて見える。身長に反した、いかつい体格とその老け顔は慣れているはずの羅韋興から見ても不気味だった。
「おまえ字が読めたのか。まあいい、こいつを狙う理由までは知らん。あいつの術で調べたことなんぞに興味はないが……問題なのは、そいつを始末するまでは帰ってくるなってことだ」
羅韋興の説明に、王沙梨以外の三人は冗談じゃない、と言わんばかりに席を立つ。だが、それを押し止めるのにはたった一言で十分だった。
「無理なら朧我を返してもらうついでに胡凱を寄こすと言っていた」
羅韋興自身、その名を口に出したくはなかった。馬止渦、雷喜、牛隗の三人は渋々席に戻る。
――胡凱。魏破才と同じ、騎兵団の幹部だ。この二人は側近中の側近として知られ、常に団長の燕迅に付き従っている。魏破才は軍師兼術師として、胡凱は親衛隊長として。騎兵団の中でこの二人は〈蛇眼〉と呼ばれている。
「いままで動かなかったあいつが来るってことはだ。それだけ重要な任務だってことだ」
「ふ、人使いの荒いこと。朧我の任務よりもはるかに危険よね」
王沙梨が小さく首を振った。他の三人は無言でうつむく。この卓だけ葬儀の集まりみたいになってしまった。
一年ほど前からか、団長の燕迅は体調が優れないようで自分の天幕から姿を見せない。その中に入れるのは〈蛇眼〉の二人だけ。天幕の周りは胡凱率いる親衛隊が取り囲み、たとえ百騎長であろうとも近づけない。
胡凱が親衛隊長になって間もない頃だった。
戦勝祝いの宴で酔った将校と数人の兵がうっかり天幕に近づいてしまった。
咎めるでもなく胡凱は早足ですれ違った。談笑していた兵たちの姿が忽然と消え――その様子を遠目で見ていた羅韋興は我が目を疑った。兵たちは無残な肉片と化して地面に散らばっていたのだ。
「いいか、彰に潜入している仲間と連絡を取りながらこいつをさがす。同時に朧我を使った仕事も同時にこなす。それで文句はないな?」
四人の部下に言いながら、羅韋興はあのときの光景を思い出し、吐き気を覚えた。あそこまで細切れにされた人の死体など見たことがないのだ。他の四人もげんなりした顔で、卓上に並ぶ料理にそれ以上手をつけることはなかった。
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