月天の華

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11 潜入

公開日時: 2021年8月31日(火) 21:30
更新日時: 2021年9月1日(水) 07:00
文字数:2,818

 夜の山道。うっすらとした月明かりを頼りに、霍悠輝かくゆうきは背丈以上もある草むらをかきわけながら進んでいく。

 目指すは還界山かんかいは桃花とうか〉師範代・李慧りけいの屋敷。こんな時間に門弟はうろついていないだろうが、念のために自分しか知らない道を選んだ。


(狩りをしていた経験がこんなとこで役に立つとはな。この獣道を通るのも久しぶりだ)


 急斜面の坂をよじ登り、様子をうかがう。

――見えた。李慧の屋敷。灯りがついている。


(こんな時間に?)


 疑問を覚えたが、それより先に身体が動いていた。柵を越え、裏口の扉に近づく。

 そこでぎょっとして立ち止まった。扉のそば。誰かが立っている。


 とっさに身構えたが、相手は壁に寄りかかった状態でうつむき、動かない。悠輝の存在に気づいていないようだ。というより――居眠りしている。


(見張りか?)


 そっと近づいて顔を確認する。げ、と声をあげそうになって口を押さえた。よく知っている顔。恬珂てんかの兄、楊洪永ようこうえいだ。


「…………」


 このまま無視して屋敷内に進入しようとしたが、あとで見つかって騒がれたでもしたら面倒だ。いざとなれば当て身で気を失わせればいい。


「おい、何やってんだ。おまえ」


 小声で呼びかけ、頭を小突く。はっと目を覚ました洪永はきょろきょろと辺りを見渡し、ようやく悠輝に気づいた。あいかわらず鈍くさい。


「う、え、ええっ? ――むがっ」


 大声を出しそうだったので片手で頬を挟んだ。ずいぶん間抜けな顔になったが、同情している場合ではない。


「おい、騒ぐなよ。騒いだらぶん殴るぞ」


 脅して手に力を込める。洪永はますます間抜けな顔になり、うんうんと小刻みに頷いた。


「なんでおまえがここにいる? 李師範代のほかに誰かいるのか?」


 手を放し、問いただす。洪永は涙目で答えた。


「こ、高師兄が来ているんだ。おれはここまでついてきて、もし誰か来たら知らせろって言われてて……」


「高師兄? 三人のうちのどいつだ」


「高師範代だ。どんな用なのかは、おれも知らない」


「長男の継山けいさんだな。まあいいや。おまえはここでじっとしてろ。おれは中に入る」


 そのまま裏口から入ろうとしたが、うっとおしく洪永がついてくる。


「ま、待ってくれよ。恬珂と華婉かえんはどうしたんだよ。おまえたち、項家荘こうかそうに行っていたんじゃないのか」


「……いろんな事情があってだな、ここへは戻ってこれない。おれの報告待ちってところだな。だから邪魔すんな」


 拳骨を振り上げて追っ払う。いまの説明で納得はしていないだろうが、長く話し込んでいる暇はない。


 屋敷内へ進入。通路を慎重に進みながら李慧の部屋までたどりつく。扉を少しだけ開け、中を覗いたが――無人。

 ふいに人の話し声。心臓がはね上がったが、向かいの客間からのものだと気づく。


 悠輝はそっと近づき、扉に耳を押し当てて会話を聞き取ろうとする。


「……あのような……怖ろしい……追放……」


 声が震えていて内容まではわからない。李慧の声であることはたしかなのだが。


「あなたはいつもどおりの態度で接してくれればいい。始末するのはこちらでおこなう。まあ、おめおめと戻ってきた場合の話だが」


 今度は男の声。これははっきりと聞こえた。高継山だ。

 始末、という言葉が聞こえ、悠輝は拳を握りしめる。やはりこいつが黒幕か。


(このまま踏み込んでぶちのめすか)


 不意を突けばできないことではない。だがもう少し核心に触れる内容を聞いてみたい。たとえば第三班を狙った理由とか――。


 わずかな沈黙のあと、継山は声を沈めて話し出した。何か重要なことを言っているのか。


婉姐えんねえだったら聞こえるんだろうけどな)


 聴力も視力もずば抜けている華婉。いまはとある村の宿で安静にしており、恬珂が付添っている。


 項家荘で出会った〈迅騎じんき〉の武官、岳翅雄がくしゆう。翅雄は還界山まで送ると言ってくれたのだが、華婉はそれを丁重に断った。

 悠輝がその理由を訊くと、項家荘で襲ってきた連中は還界派の門弟かもしれない、と華婉は語った。いまにも気を失いそうな青白い顔で。


 自らそれを確かめに還界山まで乗り込む、とまで言い出したので慌てて止めた。

 右腕を切り落としてからまだ二日も経っていない。無理できる身体でないのは本人が一番わかっているはずだ。


 そこで聞き分けのない師姐のことを恬珂にまかせ、悠輝が代わりに行くことにした。


 あの襲撃に還界派が関わっているのなら正面、そして〈鉸龍こうりゅう〉のほうへ行くのは危険だ。だから夜中に〈桃花〉へ忍び込むことにした。師範代の李慧なら必ず何かを知っているはず。そこに洪永と継山がいたのは予想外だったが。


(もう少しで聞こえそうなんだけどな)


 悠輝は少しだけ扉を開けようと手を伸ばし――。


「うおっ」


 扉の隙間から何かが飛び出し、頬をかすめた。

 避けた状態から側転し、悠輝は扉から離れる。


 鈍い光りを放つ剣先。吸い込まれるように引っ込み、扉が蹴破られた。部屋の中から姿を現したのは――。


「てっめえ、継山」


「師兄と呼べ、無礼者」


 掌門しょうもん高元真こうげんしんの長子であり、〈鉸龍〉の師範代・高継山。手に長剣をぎらつかせ、憤怒の表情。その背後で李慧の姿がちらりと見えたが、すぐに部屋の奥へと消えた。


「へっ。お楽しみの最中だったのに悪ぃな」


 話をしていただけなのは知っていたが、揶揄せずにはいられなかった。元々この二人は好きではない。


「下衆な想像を勝手にするな。貴様らが戻ってきた場合の対処を李師範代と話し合っていたのだ。まさか盗人のような真似をして忍び込んでくるとはな……」


「ってことは、婉姐の予想どおりか。あの覆面どもはおまえの命令で」


「それ以上知りたがると……せっかく助かった命を失うことになるぞ」


 言い終わらぬうちに斬りかかってきた。飛び退いてかわし、悠輝は思いきり舌を出した。


「ばーか。それさえわかりゃ用はねえんだよ。こんなとこ、二度と戻ってくるもんか」


「うぬっ、北人の子が」


 激昂した継山が刺突を繰り出してきたが、相手にするつもりはない。飛び退いてかわし、背を向けて脱兎のごとく逃げ出した。


 外に出たところで、うろうろしていた洪永にぶつかりそうになる。


(一緒に連れて逃げるか?)


 一瞬、そういう考えが頭に浮かんだ。


 もう悠輝たちは還界派には戻れない。つまり恬珂は以前のように洪永に会えなくなる。それに洪永は悠輝たちの仲間と見なされ、なんらかの迫害を受けるかもしれない。


(やっぱ、めんどくせえ)


 そういう結論に達した。どう考えても足手まといにしかならない。恬珂には悪いが、殺されるようなことはないだろう。たぶん。


 「邪魔っ、どけっ!」


 吼えるように怒鳴ると洪永は頭を抱えてうずくまる。それを飛び越え、転がるようにして山を下りた。あとを追ってくる様子はない。


「あいつらの仕業だってことはわかったけどよ。これからどうすんだよ婉姐……」


 走りながらつぶやく。もう自分たちに帰る場所などない。


 滅多なことでは落ち込まない悠輝だが、さすがに不安になる。追い打ちをかけるようにその耳には「北人の子」という継山の言葉が何回もこだましていた。

 

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