月天の華

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18 滅妖

公開日時: 2021年9月20日(月) 10:39
文字数:4,340

「消えた……」


 呆然とつぶやく華婉。いままでの出来事が現実に起きたものなのか確信が持てず、龍の被り物をした男のほうを見る。

 三叉龍さんさりゅうは軽く両手を振る。すると左右の金龍がふっと消えた。やはりこれは現実ではないのか――。


 派手な音が響き、華婉かえんははっとしてそちらを見た。

 壁に大きな穴。その前には鉄兜の大男。手にはいつの間にやら円形の盾を持っている。悠輝ゆうきの姿は見えない。おそらくは壁を突き破って外まで吹っ飛んだのだろう。


 恬珂のほうは猿面の女によって背に扇子を突きつけられ、壁に張りつかされている。あんなもので恬珂てんかの攻撃を防いだとは信じがたいのだが。


「勝負はついたようだな。仲間の命が大事なら、おとなしくしていろ」


 三叉龍はくくっ、と笑い、華婉の横を通り過ぎる。華婉は血が出るほど下唇を噛み、それを見ていることしかできなかった。


「ねえ、もう……放してよ」


 恬珂が苦しそうな声で言った。猿面の女は要求通りに扇子を引いたが――その柄で後頭部を殴りつけた。

 恬珂は壁に激突し、どうっと床に倒れこむ。


「恬珂!」


 怒りに駆られ、猿面の女との間合いを一瞬で詰める。そのふざけた仮面ごと叩き斬るつもりで長剣を振り下ろした。

 猿面の女が扇子を開く。甘い香りがふっとしたかと思うと、一振りの枝に咲く無数の桃花。それが華焔の目の前に広がった。


「なにっ」


 攻撃がかわされた。それはわかる。だが自分のいる位置がおかしい。猿面の女に斬りかかったはずだが、すぐ横にいるのは鉄兜。わけがわからぬまま、標的をそちらに変える。


 鉄兜の脚を狙って薙ぎ払う――が届かない。いや、動けない。あと三寸ほどで刃が届くというのに、振り抜くことができない。身体が突然硬直してしまったかのようだ。目の前には円形の盾。表面には恐ろしげな鬼神の顔。その視線に射すくめられてしまったのか。


「ぐっ……妙な武器を」


 口だけはなんとか動いた。鉄兜のうしろに三叉龍。被りものごしに冷ややかな視線。


「妙な武器だと? ふ、おまえもよく知っているはずだ。特にこの烈鋏れっきょう鉸龍こうりゅう幻扇げんせん桃花とうかはな」


 三叉龍は右の金龍で猿面の女を指す。武器の名を言っているのか。


「まだ気づかんのか。還界派かんかいはの〈鉸龍〉、〈桃花〉と同じ名。つまり還界派の開祖が所持していたものだ。あの男が持っているのは盻盾けいじゅん封垤ほうてつ。いずれも妖鬼を滅ぼすための仙器。本来、人に使うべきものではない」


 三叉龍の金龍が再び消えた。猿面の女と鉄兜の武器も同じように消える。


――動ける。見えない縛めが解けたように身体が軽くなった。それと同時に華婉は素早く後退し、距離をとる。

 伝説の武器を持った恐るべき手練。だが、関係ない。項家荘で襲ってきたこいつらは、還界派とかかわりがあるということがはっきりした。


「還界派……いや、高一族の命令か。そんなもののために周姐しゅうねえは――」


 頭の中が真っ白になった。いままで激しく怒るといっても高綜覇こうそうはにからまれたときは嫌悪感、周渓しゅうけいが殺されたときは混乱のほうが勝っていた。だがいまは違う。何も考えられないほどの怒りを覚えたのはこれがはじめてだ。


 長剣をまっすぐに突き出し、身体を斜に――。なんの違和感もなく、そう構えた。


 三叉龍。被り物ごしの表情だが、わずかばかり困惑したように見えた。それもそのはず、この構えも、いまから見せる技も還界派の技ではない。華婉自身も知らない。だが、身体が勝手に動いていた。


 剣先で円を描く。その中心に三叉龍を捉える。

 下半身に力を溜める。だが一瞬だ。最大限の疾さを繰り出せる一瞬でいい。


 円の中心を抉るようにして、渾身の刺突。一陣の風とともに三叉龍に迫った。


「むうっ!」


 その疾さに三叉龍は対応しきれない。華婉の剣先を完全にかわすことができず、龍の被り物が宙を舞う――。

 首を貫くつもりだったが、浅い。被り物が取れただけだった。それでもいい。その面を拝んでやる。


 華婉は振り返り、言葉を失った。三叉龍はもう顔を隠そうともしなかった。その素顔をさらし、怒りと哀しみの入り混じった表情。


「洪永……」


 やっと、それだけ言葉が出た。間違いない。足元に転がった龍の被り物を拾い上げた男。

 あの気弱で、頼りなくて剣すらまともに扱えなくて、いつも宿舎隅の庭園で土いじりをしていたあの――恬珂の兄で華婉の幼なじみ。


「弱いふりをするというのも、なかなか難しいものだぞ。華婉」


 洪永はいつもの温和な顔に戻り、そう言った。

 土いじりをしている洪永と凄絶な技をふるう龍の男がどうしても一致しない。軽く眩暈を覚え、震える声で問う。


「どうしておまえが……どうして項家荘でわたしたちを襲った? なぜ、周姐が殺されなければならなかったんだ?」


 すると、洪永の顔がまるで別人のようになった。


「還界派の意思であり、おれたちの使命でもある。今回の件も含めてな。もういいだろう、華婉。おれの顔を見たからには……ここで死ね」


 洪永は低く身構えた。両手に金龍が現れ、その口を開く。一気にカタをつける気だろう。先ほどの技が通用しなかった華婉にはもう打つ手がない。背に冷たい汗が流れた。


「さっきの技……我流の技か? あれには驚いたがな。もうまぐれは通じんぞ」


 一歩、踏み込んで洪永の動きが止まった。両手の金龍をいぶかしげに見つめている。


「なんだ、仙器が震えている……共鳴? いや、怯えているのか? 華婉、おまえはいったい――」


「三叉龍どの。その方に手を出すことは、ぼくが許しませんよ」


 戸惑う洪永にかぶさるように凛とした声。皆の視線が同じ方向に集まった。


 声の主は、鉄兜が空けた壁の穴から姿を現した。

 白の着物に頭巾、手には一冊の書物。これといって特徴のない顔。なんの変哲もない、書生ふうの若い男だった。


施暈しうんか。敷地内の人間は全て調べ終わったのか?」


 洪永が疎ましげに訊き、施暈と呼ばれた男は目を通すわけでもないのに書物をぺらぺらとめくりながら答える。


「ええ、外の人間はすべて眠ってもらっている間に調べました。中の人たちはあなた方が全員殺してしまったようですが。妖鬼はその陳盛だけのようですね。ああ、ここにいる以外の〈百面ひゃくめん〉の方々には帰ってもらいましたよ」


「勝手なことを」


 洪永は舌打ちし、再び金龍を構える。施暈は書物をめくりながら洪永に近づく。


「まあ、いいじゃないですか。それより三叉龍どの、仙器を収めてください。その華婉どのは天界に縁のあるお方。いま死んでもらっては困るんですよねえ。ははは」


 感情のこもっていない、乾いた笑い声。洪永が睨みつける。


「ふざけるな、ここまで知られたからには殺さなければならない。貴様の冗談につきあっている暇はないぞ」


 洪永の剣幕に、施暈は真顔になって書物をぱたんと閉じる。


「その方がいずれ仙器所有者になる、と言ってもですか?」


「なんだと……」


「ぼくはこの事について嘘はつきません。長い付き合いのあなたなら、知っているでしょう。その方はぼくに任せてもらえませんかね」


「…………」


 洪永はしばらく考え込んでいる様子だったが、やがて諦めたように頷く。


猿姫えんき鉄角てっかく、帰るぞ。施暈、後始末はおまえに任せる」


 それだけ言い残すと、二人を引き連れて風のように去っていった。

 部屋に残されたのは茫然としている華婉。それを見つめる施暈という男。そして気を失い、倒れている恬珂。


月天女佳剣君げってんにょかけんくん


 突然、施暈がそう呼んだ。誰のことかわからず、華婉は周りを見渡す。


「あなたのことですよ。それとも黎月れいげつさまと呼んだほうがいいですかね」


 何を言っているのか、さっぱりわからない。だが、先ほどの洪永とのやりとりから予測できることはある。


「おまえは、さっきのやつらの仲間か」


「うーん、仲間? ですかね。まあ、同志という広い枠の中で考えれば、そうともいえるでしょう。あ、名乗るのが遅れました。ぼくは施暈といいまして、多少道術を心得ております」


「やつらは一体、何者なんだ? なぜここを襲撃した? 陳盛の正体はなんなんだ? まるで獣のような――」


 項家荘のときと同じだ。わからないことが多すぎる。だが、今回はそれを聞き出す相手が目の前にいる。得体の知れない男だが、洪永とのやりとりを見ているかぎり、必ず何かを知っているはずだ。


「ははは、一度に質問されても困りますよ。でも、ぼくは三叉龍どのと違って意地悪じゃあないですからね。いくつかは答えてあげられますよ」


 施暈は書物の背表紙をなでながら、乾いた笑いを交え、華婉の質問に答えだした。


 「三叉龍どのたちは還界派の〈百面ひゃくめん〉という組織に所属しているのですよ。ええ、これは非公式の集団で、還界派でもごく一部の者しか知らないことです。高一族が仕切っているようですが、その任務の内容はぼくにもわからないことが多いですね。まあ、今回のような場合は別ですが。滅妖を目的とした任務ではね」


 「滅妖?」


「陳盛の正体を見たでしょう。あれを我々は妖鬼と呼んでいます。滅妖とは、あのような妖鬼を倒し、根絶やしにすること。ぼくは〈百面〉の一員ではありませんが、滅妖の任務に加わる同志なのですよ。ええ、他にも同志はいますよ。たとえば〈迅騎じんき〉の張将軍とか

……おっと、これは言ってよかったのかな?」


「あんなものが存在するとは……」


 華婉は振り返り、先ほどの死闘の現場を見たが、やはり化け物の死体や血痕が残っている様子はない。


「人や獣の身体を借りなければ存在できない虚ろな魂ですからね。ましてや仙器で殺されれば跡形も残らない。まあ、ぼくたちにとっては都合がいいのですけど」


 華婉は長剣を鞘に収めた。しかし、柄からは手を離していない。


「〈百面〉の方々もぼくも、過去の因縁というべきものに縛られているのですよ。それが滅妖を目的とする理由ですかね。これは説明するとちょっと長くなるので省かせてもらいますよ。さあ、女佳剣君。あとはあなた自身がその目で確かめてみてください」


「なんだ、その、なんとか剣君っていうのは?」


 いらつきながら訊くと、施暈は微笑を浮かべ、書物をぺらぺらとめくる。


「あなたの前世のことですよ。先ほど見せた技が何よりの証拠。あれは二十八宿天星技のひとつ。無意識のうちに天界の技を使うとは、いやはや、驚きました。仙であった頃の記憶は失われているはずなんですけどねえ」


「わけのわからんことを……」


「ははは、まあ、月天湖に行けばわかりますよ。あの湖に古びた廟があります。そこに行けばあなたは滅妖の仙器のひとつを手に入れ、いやでも自分の運命を知ることになるでしょう」


 施暈はそう言って華婉に背を向け、歩き出した。


「待て、おまえにはまだ訊きたいことがある!」


 だが施暈は華婉が呼び止めるのも聞かずに、入ってきた穴から部屋の外へ出ていった。

 急いでそのあとを追う。しかし穴の外へ飛び出したときには、もう施暈の姿は見当たらなかった。

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