+++
日葉の捜索を手伝うことにして、それぞれその場を離れた。
おれはひとけのないロビーの端へ、真っ直ぐに歩いて行く。
メッセに指定されていたピンクの公衆電話を見つけて、その前に立って周りを見回してみる。
「よっ!」
目の前の無人のバーカウンターの下から、阿南日葉がおどけるように顔を出した。
羽織っていた黒のナイロンパーカに、濡れて細くなったツインテールの毛先がぺちぺちと張り付いていた。
「……みんな探してるぞ」
「げ。ちょおーっと外に出てくるって言ったんだけどなぁ。別に逃げないし……」
「ひとりで来いって書いてたからそうしたけど……。どうしたんだよ?」
周りに誰もいないことを確認して、ふくれっ面の日葉の元へと近寄る。
「うんー。……いをりくん、タイム見た?」
そこでようやく、日葉は苦々しい顔を見せた。
1位との差のこと、言わないほうがいいかな……。
おれは静かに頷く。
「決勝出られるな。優勝がんばって」
「あはは、そだねー」
やっぱり笑っていても、どこかぎこちない。
「ちょっと、ギリギリまで悩んで……。今もまだ、悩んでたりするんだけどー……」
カウンター越しに、彼女の言葉を待った。
日葉はカウンターに腕を乗せ、顔をべたっとつけたり、はーっと熱い息を吐いてみたりとせわしない。
声をかけられたいのかもしれないけど、それでもおれは待った。キョージンや佐々崎みたいに、うまい所作も言葉も操れないって自覚しているから。
そっと、日葉は腕の中から顔を半分だけ上げた。
目を伏せ、少し悩んでから。口を開いた。
「……あのさぁ、もしも、もしもだよ。身体能力みたいなのって、催眠術で上がったりするのかなぁ……」
……なんとなく予想はついていた。
でも……日葉にそれを言って欲しくなかった。
おれが答えずにいると後ろめたくなったのか、日葉はぶんぶんと大袈裟なほど手を振った。
「ああっでもさ! 催眠術ってせんざいのーりょく?を引き出すから、別にそれって自分の力じゃん? ドーピングにならないし、悪いことじゃないと思うんだよね、うん!」
嘘だ。
前にキョージンが同じように提案したとき、即座に取り下げたじゃないか。
それに悪いとわかっているから、わざわざ自分に言い聞かせているんだろ。
無理やり自分を正当化しようとするそんな言葉、聞くに耐えない……。
日葉は居心地悪そうに肩をすくめてうつむいた。
自分の言葉を悔いているのか。
それともおれが何も言わないことにがっかりしたか……。
「……あたし、今日は絶対に負けられないんだよ……」
ぽつりぽつりと、言葉をつむぎ始める。
「地区予選もさ、3年の先輩の枠をひとつ、1年のあたしが奪って出てるんだよね。うちの学校ってば強いから、出られなかった先輩も他の学校に負けないレベルなの。それなのに最後の大会に出られなかったって。先輩たちがあたしのことよく思っていないのは知ってる」
訴える声は、悲痛さをまといながらヒートアップしていく。
「あたしが出て良かったって思ってもらわないと、出られなかった3年生に顔が立たないっ」
「……」
「それだけじゃない。うちの部って上下関係が厳しいけど、あたしが活躍すれば、ほかの1年だってもっとチャンスがもらえるかもしれない! 同期の子がね、あたしのこと期待の星だって。信じてくれてるから……!」
彼女の言い分を黙って聞いた。
阿南日葉は中学生のころから……もしかしたらもっと前からかもしれない。
周りの人の期待を裏切らないように、努力を重ねてきたんだろう。
でもそれをひた隠しして、涼しい顔でクリアして見せてきた。
日葉だからできて当たり前。
よっ安心の日葉ブランド。
……そんなの難儀すぎるよ、日葉。
今回も先輩と同級生からのプレッシャーに押しつぶされそうになっているってことか……。
おれはくしゃくしゃと自分の頭をかいて、日葉に伝える。
「……催眠術で身体能力を上げるのは不可能じゃない。この前、筋肉アイチューバーとコラボしたとき、催眠術で腕立て伏せの回数増えたし」
「! だったら!」
日葉が顔を上げる。
瞳孔を開き、キラキラした目で強く期待をぶつけてくる。
「……でも、勝ちたいのはみんな同じでは?」
だって日葉の話した事情は……。
普通に、どこの誰にでも当てはまるような。
取るに足らない事情なんだって、彼女は気づいていないのだろうか。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!