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ストローに口をつけて、手持ち無沙汰にガラスの板の向こう側を眺めた。
薄墨のヴェールが降りはじめた町は、ヘッドライトがついた車の方が多い時刻になっていた。
指定されたコーヒーショップのカウンターに座って待つ間、小塚兄弟のことを考える。
同い年の男子。
母親に対しての突然の暴言。
心身を疲弊して亡くなった母親。
いまだふてぶてしい弟。
それを許せない兄……。
でも本当にそれが全てなのだろうか。
もしかしたらそう見えているだけで、真実は——。
「やあ久しぶりだねぇ、神多くん! 呼び出すなんて珍しいじゃない?」
不意に後ろから呼びかけられて、無意識に肩を引いて振り向いた。
あれ? ずっと窓の外を見ていたのに……前を通ったことに気づかないくらいぼーっとしていたのかな、おれ。
「ども。……できればあんまり会いたくはなかったんですけど……」
「え、なんでよ!?」
こんな小さな町で某怪盗のような赤いジャケットと白パンツの、しかもわりと大声で店内の視線をひとりじめしてくれているあちらのお客様は、桑田エンジェルさん。おれの催眠術の師である。
相変わらず派手な格好だなぁ……と、何度も上から下まで観察していると、ニッと桑田さんは意味深に歯を見せた。
「うーん、君の気持ちを超能力で当ててあげよう。『桑田さん、今日もキマってる!』だな?」
「はは……」
曖昧に笑ってごまかしているおれの隣に、桑田さんはひょいっと座った。
テーブルに置かれて勢い余ったアイスコーヒーが、グラスの端から跳ねる。
「んでどうだい? 催眠術信じた? 動画チャンネル見てるよ。『やら・ない・か!』ってね!」
あはは、ちょっとウザい。
「まあ、そこそこ。科学的なことだと思えば……」
「ひえー相変わらず冷めてるねー! あのねえ世の中には科学だけで証明できない不思議なこともたくさんあるんだよ? 君、そうやって余白を持たずにギリギリで生きてると、いつか自分の理解を超えた現象にぶち当たったとき破滅するよ?」
「自分の理解を超えた現象があるなら、ぜひ合ってみたいすねー」
「だって催眠術だってそうだろ? 初見はびっくりしたでしょ?」
「まあそりゃ、そうですけど。でも結局脳科学で……」
「そうじゃないんだよ。掘り下げればどこかに行き着くかもしれないけど、君みたいにあやふやにしておけない偏屈学者が、無理やりこじつけた理論だってあるんだよ。……だったら麻酔はどうだい。人類が麻酔を使いはじめて200年以上経つけど、なぜ効くのかよく理由がわかってないんだぞ。わかんないけど、なんか効くし便利だから使っちゃおってんだぞ? 君はそれを危険だからって否定するのか?」
「……」
熱弁する桑田さんの声が大きくなるに連れて顔も近くなり、おれはつい黙り込んでしまった。
桑田さんはハッと気づいたように言葉を止めると、頬を赤らめ、体を引いて襟を正す。
「いやごめん。言い合いをしに来たんじゃないもんな。確かに君みたいに俯瞰して、あやふやなままにしておかない人物も世の中には必要だ」
「いえ、すみません。おれも麻酔は使いたいんで……。あの、相談いいですか?」
素直に頭を下げると、桑田さんは笑って頷いてくれた。
………………
…………
……
「なるほど。故人に会わせる方法かぁ」
今日の部活の一件をひと通り説明すると、桑田さんはうーんとあごを触りながら目を閉じた。
「グリーフケアの領域だね。結構深い催眠をかけなければいけないから、かけるほうも専門的な知識と技術が必要になるかなぁ……催眠療法とも呼ばれるよね」
「じゃあ、亡くなった人に会うって霊媒師だけの分野ではないんですか」
すご、催眠術超有能説。
意外な答えにちょっと驚いた。
「そうだね。簡単に言うと本人の潜在意識に深く潜り込ませるんだ。そして自分の内側の意識にアクセスさせ、故人とのつながりを少しずつ探っていき……あ、今すごく嫌そうな目をしてるね」
「すみません。いちばん苦手なやつでした……」
桑田さんは苦笑して話を続ける。
「しかし故人と会う、対話をする、といっても、催眠術は霊媒師と違って故人の霊を降ろすとかじゃないからねぇ。潜在意識下での対話って感じだし」
「それっておれが信用していない限り、潜在意識まで連れていけないんじゃ……?」
「待て待て。信用はもちろん、そもそも勉強しないと無理だよ? さっきも言ったけど専門的な知識と技術が必要で、学校に数年通わないと難しいだろうな。僕もやったことないし、一朝一夕の技術でやるものではないぞ」
基本の催眠術は一日で習ったのに、応用編になるとそんな大変なのか。
なかなか思い通りにいかないな……。
でも、ここで圧し口してても仕方がない……。
「ってかさキミ、本当は他に聞きたいことがあるんじゃないの?」
急に指摘されて、思わずフリーズする。
「やり方が知りたいなら、いつもみたいにメッセで聞けばいいわけだし?」
核心を探るように目の奥を覗き込まれて、おれは息を飲んだ。
「君は死んだ人の魂を信じていないようだけど、だからといって死者を慢侮してるわけじゃないんだろうからねぇ」
「……?」
「亡くなった人に会わせる行為自体に抵抗があるんでしょ?」
見透かされたような視線と言葉に、どきりと心臓が波を打つ。そのまま血液が体中に広がっていく感覚がしていた。
「ひとまず時間あるなら事務所においでよ。ちなみに、いつお母さんに会わせる予定なの?」
「……明日です」
「ふえぇ!? 未払いでガス止められるときくらい、えげつなく急だなおい!!」
「えっと……。おれひとり暮らしじゃないから、そのたとえよくわかんないです」
「そりゃそうだな」
桑田さんはへっへっへと妙な笑い声を上げてから、空のアイスコーヒーをずるずるとすすった。
……変な人だけど、慈悲深くて鋭くて頼れる師匠なんだよな。変な人だけど。
小さく息を吐き出すようにして笑う。
目の前のガラスに反射した自分の顔はきっと、情けない顔をしているとわかっていたので、なるべく目に入らないように俯いていた。
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