女子二人の間での呼び名が決まった。すると、やはりというかターゲットがこちらになる。
わくわくという擬音をともなう圧が両脇から押し寄せて、潰されそうなんですが……。
「あ……じゃあ……に、日葉さんと明夢さん、とか……」
精一杯の勇気を振り絞って提案をしてみるが、女子の名前呼びとか口が慣れてないから、自分で聞いていて違和感しかない。この音源、ネットに流して大丈夫?
「もぉもぉー、メインの人なんだから。ズバッと日葉、でいーんだよ! いをりくんっ」
ばしばしと、おばちゃんよろしく日葉に肩を叩かれた。
陽キャはカラッとしてるよな。さらりと名前呼びも許可してくれてるし、日葉さんマジ心強い……。これからもぜひ、ついて行きたい所存す。
それと少し、「いをりくん」呼びには照れてしまった。女子なら母からしか呼ばれていない呼称だったから、こそばゆい感じがする。
それじゃあ次は……。ごくりと喉を鳴らして、明夢に向き合う。
「あたしも呼び捨てでいいよ〜、神さま♡」
「うん、その呼び方はどうだろうか」
一気にヤバい集団に見えるぞ、それ。
しかし明夢は“神”というフレーズが気に入ったらしく、結局呼び方は変えてくれなかった……。
「じゃあもう一回。猫動画の導入のところからいきましょう。3、2……」
呼び方が決まると、仕事モードの赤森が概念でのメガホンを取り、おれたちはまた気を引き締め、撮影に戻る。
今日は猫になった動画の導入と締め、キョージンのハーレム回の導入と締めを撮る予定だ。
………………
…………
……
「うん、いいわね。お疲れさま」
ずっと眉間にシワを寄せてスマホを覗いていた赤森の表情がやわらいで、やっとおれたちも体の力が抜けた。
それにしてもと、赤森を見る。
経験がないと言っていたけど、脚本だけでなく監督もして、しかもどちらも的確にこなしていた。やっぱり赤森って要領がいいんだなぁ……。
「ねえ、神多くん」
次の撮影の前に水を取りにカバンを漁っていると、後ろから休憩中の赤森が話しかけてきた。
「神多くんには決めゼリフがあってもいいと思うのだけど、どうかしら?」
「ん? 決めゼリフ?」
「ええ。例えば高校生占い師の夢斗さんは『運命を切り拓くのは、あなた自身です』なんて言うでしょう。催眠術が成功したときの決め的な……。なにかわかりやすいものがあると、映えるのかなと思っているのだけど」
「うーん……決め、かぁ……。せき……」
と、赤森の名前を呼ぼうとして一瞬躊躇した。
そういえば、メンバー同士は下の名前で呼ぶことになったけど、彼女に関してはどうすればいいんだろう。
動画メンバーではないからといって、ここで呼ばないのも仲間はずれっぽい気がする。
おれも中学のころに委員会役員になったことがあるけど、全員下の名前で呼び合ってるのに、なぜかおれだけ苗字呼びされたのは、ぼっちで慣れているはずだったけど少なからずともショックだったんだよな……。
……よし。と、腹をくくる。
ここは思い切って、そう大袈裟にすることもない。つとめて自然に呼べばいいだけだ。
呼び方が変わっても大抵の人は察して、さらっと流してくれる。大人の世界に足を突っ込んでいる赤森なら、なおさらそうすることだろう。
「っと、拝慈はなにかある?」
「ええっ!?」
さらっと流してくれるどころか、目を見開くほど驚かれとるがな。
体から一気に血の気が引くのがわかった。
もしかして、名前呼びは動画だけで、プライベートは苗字のままのほうがよかったパターン? ……あ、恥ずかしすぎる。消えたい。
「言語系、得意かなぁと、思って……」
だめだ、ショックすぎて意識飛びそう……。
「あ、えっと……そうね、えっとあの……ええっと、ちょっと考えてもいいかしら……い、い、いい……いをりん……」
「うんっ?」
「っ、いをりくんっ!!」
ひときわ大きな声で怒鳴ると、背中を向けてキョージンのところに行ってしまった。
おれの名前かむほど怒るって、よっぽどじゃない? えと、これ、謝るべき……?
混乱しながらとりあえず手に持っていた水に口をつけていると、不意に明夢が目の前に飛び込んできた。
「えー、じゃあ、『みんみんさいみーん!』にしましょ〜神さま!」
「……それボツになったけど、掴みの文句で気に入ってたやつよな。却下」
「なんで〜、かわいいのにな〜」
そりゃあ君は似合うでしょうね……。けど、おれは違う。
『よーっしオマエラ、今日もバッチリ催眠術にかかったな! せーのっ、みんみんさいみーん☆』
……親を泣かせたくはない。
「ぶーぶー! ねー、はーちゃん! みんみんさいみんにしよ〜。考え直してよ〜」
取り合わないでいると、明夢は頬をふくらませて拝慈の腰に後ろから抱きつきに行き、悲鳴を上げられていた。
っていうか、はーちゃんって、急に距離感詰めすぎだろ。あの子全然おれ側じゃなかったし、むしろ猛者だったか……。
「いっをりくん! 一緒に2本目の流れ確認しよー!」
今度は日葉だった。
「あ、うん。ちょっと待って」
慌てて水をしまってスマホを取り出すと、日葉も自分のスマホで台本を開いた。その横顔は、どこかうれしそうに見える。
「……? 楽しそうだな」
「うん!」
日葉はスマホから目を離して、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「だって、いをりくんに名前で呼ばれるのなんて、超小学生ぶりじゃん」
無邪気な彼女のようにうまく笑えなくて、顔がひきつる。だから黙って手元に目を向けた。
「あれ? でもいをりくん、昔は『にっちゃん』だったっけ? ふへへへー、今のほうがオトナじゃん!」
「……名前なんて、ただの識別記号だよ」
「えー、でもあたしはうれしいよ? 識別記号かもだけど、いをりくんには阿南よりもにっちゃんよりも、日葉って識別されて呼ばれるほうが好き」
「っ」
「でもこうしていると、一緒に遊んだ昔を思い出すなー。ふふふ、これからもよろしくねっ」
「……」
彼女が目を見て、気持ちを素直に伝えてくることにまだ慣れなくて、勝手にどぎまぎしてしまう。
おれみたいな陰キャには絶対にできないその行動が、とても眩しい。
妬ましいみたいな負の感情ではない。普通にとてもうれしい。……うれしさがダイレクトにぶつかってきて、そのあと、もったいないくらいの幸福感に心が満たされる。
……もしかしたら、本当はおれも、そういう風になりたかったのかもしれない。
「……うん」
でも、本人にそんなことを伝えられるわけもなく。おれはぼそっとつぶやくと、台本を熟読するふりをしてごまかした。
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