顔が一気に熱くなり、刹那、思考力は雲散霧消した。
「んんーーーっ!?」
「あ、違うっ、違うの〜。本当に、喋れないと思っ」
「んんんんんんんんんんんんんんん!!」
叫んでも今までの行動は消えないなんてわかってる。
でも理性ではない。おれの気の持ちよう。
内なる猛りをおさめようと努力するほどストレスゲージが溜まっていく。
もういい。とにかく立ち上がって、明夢の頬をつまんで引っ張った。
思いのほか柔らかくよく伸びた。
「あうああ〜〜、さあってうよ〜〜〜?」
「これは触るとかじゃない。天誅! だ!!」
「ひはい〜ごへんはーー」
思いのほか大きかった声が気になって、仕方なく手を離した。
けど許したわけじゃない。腕組みして明夢を見下ろす。
「はぁ〜。神はいつもスンッとしてるのに。んふふ。こぉゆうのになると表情変わる〜」
「もう一回引っ張るか」
「で、でもほら、ね! 喋れたよぉ!」
「からかったな……」
「違う違う、本当に最初は無理だって思ったのぉ〜!!」
明夢が顔の前で手をばたばたと振る。
またほっぺに手が伸びそうになるのをぐっと我慢して、おれは目を閉じ唇を震わせた。
「普通のあたしじゃ、やっぱ喋るなんて無理だよーって思ったの。でもね、なんか、神があまりにも、あまりにもおかしくって。ぷっ。ついツッコミたいなって思ったら、喋れたんだよぉ〜!」
……おれが滑稽だったせいかよ。
「もう無理。恥ずかしくて死ぬ……」
「神、乙女か〜」
手で顔を覆うおれの頭を、明夢が笑いながら撫でた。
だからもー触るなって。あ゛〜〜〜!!
「今日は神がおもしろいから大丈夫だったけど、学校じゃまだちょっと自信ないな……。でも、ぜったい頑張るからっ」
「……なあ。どうしてそこまで」
そこまで言うと、明夢の手がピタリと止まった。
「……そんなに辛い思いしてまで、すぐにやめようとしなくてもいいよ。朝ちょっとかければいいだけだし……」
「辛くないよ。少しは大変かもだけどぉ……」
顔を覆っていた手を下ろして、立っている明夢を見上げる。
「じゃあどうしてそんなに青ざめているんだ」
弾けるように明夢は自分の顔を手で包むと、恐る恐る触って確かめた。
その顔はやはり真っ青で、笑顔はまるでなっていない。
「もちろん催眠術なしで喋れるようになるといいけど、そんな顔をするほどならまだタイミングじゃない……んだと思う。無理しないでいい。少しずつ、慣らしていけばいいよ」
「で、でも……あたし、迷惑……っ」
狼狽える明夢の瞳が、涙で輪郭を失う。
「なんでだよ。おれは、迷惑なんて思ったことない」
「神ぃ……」
明夢は雑に涙を拭うと、スカートを握りしめた。
「だってぇだってぇ……。神は一日3回しか催眠術使えないのに、そのひとつがあたしなんだよ? それで、神ができないこと増えるのはやだよ! あたし、みんなの足引っ張りたくないよぉ〜!」
喋れなくなることが怖いくせに。
この子はどうして、自分を抑えてまでそう言えるんだろう。
催眠術の回数は確かに減っている。
けど今までそれが原因で困ったことはない。
むしろ今日みたいに助かることもあるほどなのに。
でも彼女にとっては自分のための1回が後ろめたくて、喉に小骨が引っかかるようなまどろっこしいことで。
蓄積されたプレッシャーがじんわり心を蝕み続けて、ついに溢れ出してしまったのかもしれない。
でもさ、おれは……。
「……朝、二人で催眠かける時間。わりと好きなんだ」
「……え?」
「おれ朝の教室のうるさすぎる雑音が苦手で、だからずっとイヤホンしてたんだけど。でも最近、HR前に部室で待ち合わせて催眠やるだろ。あれ、結構癒されてたから……」
涙をこぼしながら、あうあうと口を開いて明夢は震える。
そこまで意外なことでもないと思うけどな……。
「じゃあ神は、あたしのこと面倒じゃないの?」
「思ったことない」
「嫌いじゃない?」
「嫌う理由がない……」
明夢がじっと瞳を覗き込んでくる。
心のうちを探ろうとするような彼女に、おれも真面目に視線を合わせた。
そして、ようやく明夢は小さく息をはくと、力が抜けたように肩を落とした。
「そんなはっきり嫌いじゃないって言ってくれる人、初めてだよぉ……」
「えっ、変……なのか?」
「ううん、ううん。……ありがとぉ」
ゆっくりとした口ぶりに合わせて、首を大きく振る。
彼女の挙動はすべてが年齢よりも子どもっぽい。
けれど、それが彼女の魅力だと思う。
「えへへ。神ぃ」
「うん?」
甘えた声でふわっと明夢が笑った。
「うれしい、大好きだよぉ〜」
「……」
……あれ?
この人、今さらっと大変なことを言わなかった?
「なに〜、どうしたの?」
「い、いや……」
な、なに? ど、どういう状況?
好きってライクって意味なのか?
でも大好きはライクとは違うだろさすがに。
ええっ、どうしたらいいんだこれ……。
「ほら、神は〜?」
「えっ! あ……うん。おれ、も…………?」
「えへへ〜」
明夢は満足そうに笑った。
あーこれ、女子同士で言うノリのやつだ……?
よ、良かった。恥かくような勘違いしてなくて。
だいぶ小っ恥ずかしいことを口にした気もするけど……。
でも、彼女の無邪気な顔を見ていると。まあ、喜んでるしいいか……って生ぬるいことを思ってしまった。
明夢の催眠術をやめたいという話は説得して、夏休みの部活だけ「喋るのが楽しい催眠」をかけずに、様子を見てみることにした。
なにかあったらおれも側にいるし、少しずつ慣れる練習にはなるだろう。
今みたいに、かけなくても喋れる時間を増やして、少しずつ彼女の自信になればいいなと思う。
時間はかかるかもしれないけれど。
おれは朝のあの時間がまだしばらく続くことに安堵していた。
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