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「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ」とキョージンがうるさいので、おれたちは「くらもち」に行ってみることにした。
日葉は水泳部のため、名残惜しそうにしつつも離脱。
一ノ瀬先生も「学校外の活動はちょっと……」という謎理論で来なかった。
「ただいまー!」
ドアを触るのすら申し訳ないような大人の料亭に、ヤエ先輩は慣れた様子で入って行く。そのあとをキョージンと拝慈も、表情を変えずに続いた。
……心臓に毛の生えてる人間は心の底から羨ましいよ。
「えっ! お年玉でも足りないよ!?」
外でコースのお品書きを見て、明夢が真っ青になっていた。
彼女のお年玉事情がなんとなく想像できてしまう。
うん、お兄ちゃんが今度何かおごってあげようね……。
しかしいくら入りづらいからといって、いつまでも店の前でウロウロしているのも邪魔だよな……。
ドキドキする胸を押さえながら、勇気を振り絞ってのれんをくぐった。
開店前の店内は薄暗く、エアーポンプの音が耳に飛び込んできた。
音の出どころは、入り口すぐ。子どものプールになりそうなほど大きないけすがある。
店の奥に目を向けると、料理人と対面しながらごはんを食べられるL字型のカウンター席、さらにその奥にもテーブル席がいくつかあった。
先に店内に入ったヤエ先輩はおろか、キョージンと拝慈の姿もどこにも見えない。
キョロついていると、「こっち!」と、調理場からヤエ先輩が顔を出し、手招きをしてくれた。
「神〜」
調理場へと向かおうと足を踏み出したところで、明夢にベストの端を引かれる。
触らなくてもよくないですか……と思いながら振り返ると、明夢の様子がおかしい。顔を青くさせ、次第に目尻に涙が浮かんできて面食らう。
「お、おばけが……いるんだけど」
「……は?」
ぷるぷる震える小さな指先が指し示す方を見て思わず息を飲む。
彼女の言う通り、そこにはフラフープほどの大きさのある謎の丸い影が、ぼんやりと浮かび上がっていた。
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調理場に入ると、くらもちの調理人たちが開店準備をしているところだった。
そして先に入ったみんなはというと、邪魔にならないよう調理台の端で、包丁とまな板を見ながら腕組みなどをして突っ立っていた。
「……キョージン、それは?」
「ヤエ先輩の包丁」
撮影中のスマホから目を離さずキョージンが答えた。
その道具は新しいものではないけれど、素人目から見ても大事によく手入れをされているのがわかる。
「八重鹿の友だちか?」
「あ、パパ」
いかにも職人という感じで恰幅のいい男の人が、帽子を取りながら店の奥から出てきた。
「高校の催眠術の人たちよ。あたしが包丁を握れなくなったから、原因を探りに来てくれたの」
みんなで会釈をすると、お父さんは一瞬不思議そうな顔をした。
けれどあまり深く突っ込まないことに決めたらしい。うんうんと頷いて勝手に納得し、ヤエ先輩の背中をとんと叩いた。
「まあ誰しもそういう時期はあるだろ。あまり気にすることねーぞ!」
「うん……」
納得できない様子で落ち込むヤエ先輩を見て、お父さんは帽子をかぶりなおしながら続ける。
「友だちもいるし、1匹練習で使ってもいいぞ。好きなの取ってこい!」
「パパ! ありがとう、頑張るよ!」
その瞬間、世の中の光を一気に目に集めたのかというほど希望に満ち溢れた表情をして、ヤエ先輩は調理場を飛び出した。
置いていかれたみんなで、ぽかん顔を突き合わせる。
「アジ取ってきたー!」
「うわああああ!!!」
「えっ!?」
ぴちぴちと袋の中で跳ねる影を見て、キョージンと拝慈が叫ぶ。
さばくって、生きてる魚をさばく話だったのか。
さすがにおれも、ちょっとだけ驚いた。
ヤエ先輩は慣れた手つきで、流れるようにまな板の上にアジを置いた。
いけすとりたて直行便のアジは、抵抗して手の下でもがいている。
しかし、しっかり押さえつけてはいるが、その先だ。包丁を突き立てるところで彼女の動きが止まってしまった。
ぶるぶると照準が定まらない刃先に、大量に顔を伝う汗……。とてつもない熱量で葛藤をしているのが伝わってくる。
拝慈は口元を押さえて顔を青くし、遠巻きに見ていた。
キョージンは動画を回しながら、ヤエ先輩に張り付いている。
「ねえねえ、今、どんな気持ち?」
最低だなおまえ……。
「や、やっぱ……あたしには無理ぃ〜〜〜〜〜!!!!」
ヤエ先輩は叫ぶと、包丁とアジを離して床に座り込んだ。
その絶叫の余韻を残すように、アジもビチビチと暴れまくっていた。
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