1日で催眠術師になったのですが ヤラセじゃないかまだ疑っています

催眠術なんてあるわけない!のに、なんでみんなかかってるんだよ…(困惑)
アサミカナエ
アサミカナエ

9話・4

公開日時: 2021年2月1日(月) 11:11
更新日時: 2021年2月20日(土) 06:08
文字数:2,428

「……あなたは赤ちゃんです。無邪気でとってもかわいい赤ちゃんです。OK、3つ数えて目を覚ますと、あなたは赤ちゃんになる。必ずそうなる。3、2、1……」



 パチンと指を鳴らして、うつむく先生から離れた。



「……ばぶ!」



 顔を上げた一ノ瀬先生は、にぱっと、屈託のない笑みを見せる。



「っしゃーー!!」



 ソファの上でキョージンが咆哮する。

 よっぽど腹にすえかねていたのな……。



「ばぶばぶ」


「は!? いや痛い痛い!」



 しかし、一ノ瀬先生は容赦なくキョージンの顔を引っ張って遊び始める。



「えー、すごーい、先生かわいいっ♡」



 明夢は動画を撮るのも忘れて、頬を紅潮させうっとりさせていた。

 はは、生徒に可愛いと言われているぞ先生、あわれ。


 ……でも、なんというか。

 普段からずいぶんストレスを溜めていたんだなぁ。

 一ノ瀬先生が生き生きと赤ちゃん催眠を楽しんでいる姿を見ていると、いたたまれない気持ちになってきた。



「お疲れさま……って、何してるのあなたたち」



 絶妙なタイミングで、拝慈が部室に入ってきた。

 普段とは違う状況に驚きながら一人ひとりを見回す拝慈を、先生も無邪気な笑顔で迎えた。その違和感に拝慈は眉をひそめる。

 先生の意識が拝慈に向いた隙を見て、キョージンはまんまと向かいのソファに飛び移って避難していた。



「ままー♡」


「は、ママ? え?」



 先生(赤ちゃん)は入ってきた拝慈の腕を引くと、完全に大人の力でソファに押し倒す。



「ちょっと、どーゆうことなの!? なんで一ノ瀬先生が催眠にかかってるの!? きゃ!!」


「はっはっは! 最近、顧問だからって俺たちの人使いが荒いからな。ちょっと恥ずかしい動画を撮ってやろうと思っている!」



 キョージン、言い方な。



「えっ、ちょっとやめ……。やだ、そんなところ舐めな……きゃー!」


「まま、おっぱ……あれ、なくね」


「ちょっ、ちょっと! なぜ首を傾げているの!! ってか今しゃべったわよこの赤子!! 本当に催眠かかってるんでしょうね!?」



 美女とか才女などと言われ、全校生徒から一目置かれているあの拝慈ですら、催眠術の前ではなすすべもなし……というか……絶対にこんな姿は外に見せられない。ひどい。

 先生をこらしめるための催眠のはずなのに、さっきから二次災害の方が大きな件。……やむを得ない、催眠を解くか。



「っぱぱー!!」


「え……」



 油断して先生に近づいたその一瞬、おれは腕を引かれてよろけた。

 ソファの上に倒され、片足はかろうじて床についているけど、先生と一緒に拝慈を押し倒すような姿勢になる。

 そこで運悪く、起きようとしていた拝慈の額に頭がぶつかった。



「あ、ごめっ」


「〜〜〜〜〜!」



 拝慈は声にならない叫びを上げると、再びソファに倒れる。



「こんなの……いや……」



 そうつぶやくと、目尻に涙を浮かべたまま天井を見つめて黙り込んでしまった。

 えっ、おれが悪いんだけど、そんな世界の終わりみたいな顔をされるとさすがに傷つく!



「ぱーぱー! すーき!」


「あぐぅ!!」



 バカぢからで先生に抱きつかれて骨が軋む。

 さすがにおれも、これには緊張も赤面もしないんだな……と、どこか他人事のように自分を分析していた。

 そっか。おれは女性が苦手だけど、なにせ相手は女性じゃない。

 見た目は大人、頭脳は子ども……。

 ……クリーチャー化け物だ。


 ああ、おれはなんてものを生み出してしまったんだ……。



「え……そんな、いをりんがパパだなんて……」



 そっちはそんな小声で嫌がらないで! 本当にごめんなさい……。


 3人でぎゅうぎゅうになったソファの上で、思い切って先生を抱き締めて身体を起こした。

 膝の上に座らせると、先生もおれに抱きついてくる。

 ……それでやっと片手が自由になった。



「催眠っ、解除っ!」



 パチン!


 叫んで、指を鳴らした刹那、部屋に静寂が訪れる。


 数秒後、抱きついていた先生がもぞりと動いて密着していた身体を離した。

 それでも依然至近距離には変わらない。先生との顔の距離は15cmそこらで、その姿勢のまま真顔で見つめられる。



「っ!」



 さっきまで平気だったのに、おれの顔は火がついたように赤くなり顔を背ける。



「……あらあら、ふーん」



 少しくらい恥ずかしがるかと思ったのに、先生は落ち着いた様子でつぶやくと、ぽんぽんとおれの肩を叩いてそっと膝から降りる。

 背中を向けて衣類の乱れを直すと、無言で部室の奥へと歩いていった。


 先生が離れてからも、鼓動がうるさくて恥ずかしい。

 赤ちゃんだと思って抱き上げてたけど、かなりすごい体勢だったよな……うあー、なんてことを。

 赤面は冷めないまま、棺に入ったツタンカーメンのように倒れていた拝慈の肩を叩き、起きるのに手を貸していると……。



「それであなたたち。今の動画はもちろん削除するのよね?」



 静かな室内で異様に明るい声が通った。

 窓から外を眺めている先生の表情はおれたちからは見えない。

 だけど、先生が握りしめた箱庭用のフィギュアが、粉々に砕けていくのをおれは見逃さなかった……。




+++




「あ、神多くーん!」



 翌日、教室に入ってきた一ノ瀬先生にいちばんに声をかけられた。

 ビクビクしながら自分の席で無言で構えていると、一ノ瀬先生はおれの席まで軽い足取りでやってきた。



「やー、昨日ね、あれからぐっすり眠れたのよー。催眠術ってそんな効果もあるのねぇ。よく寝ると偏頭痛もないし、身体の調子もよくってぇ。最近の不調はただの寝不足だったのかもね? うふふふふ」



 耳元でささやくと、おれの肩にぽんっと手を置いた。



「というわけでぇ、また体がおかしなときにはよ・ろ・し・く♡」


「え……」



 ウインクまで飛ばし、機嫌よく教卓へと戻っていく。そういえば今日も服はつなぎでラフだけど、いつもより肌と髪にツヤがある気が……。

 入れ違いに、先生の方をチラチラと見ながら明夢が席に来た。



「神ぃ、これが催眠術健康法ってこと?」


「そんなものはありません……」



 いつもおとなしい先生がハツラツとHRの準備をしているのを、クラスのみんなも若干引いて見ていたが、本人はまったくどこゆく風なのだった。

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