「……元気そうで何よりだ」
「はぁ……、どうも」
「ちょっとはやつれたかと思いきや、しっかり食って寝て、顔が丸くなったんじゃないか?」
「いきなり何、失礼な事をほざくんですか!?」
思わず声を荒げた恭子だったが、清人が真顔で謝罪する。
「気に障ったら悪い。つい本音が出た」
「そうですか……」
(怒っちゃ駄目よ、恭子。こういう感じは久しぶりで、余計にムカつくけど)
何とか怒りを静めながら再びお茶を飲んだ恭子に、唐突に清人が言い出した。
「俺達とこれ以上関わり合いになりたくない、お前の気持ちはよく分かる。だからこれから二年以内に、相手が誰でも良いから結婚しろ」
「今度はいきなり、何を言い出すんですか?」
目を見開いて茶碗を口から離した恭子が問いただすと、清人は真剣な顔付きで問いかけた。
「お前が加積邸から出された時の条件、浩一から聞いていないか?」
「……いえ、特に何も」
「やっぱりそうか……」
「何ですか?」
疲れた様に溜め息を吐いた清人を見て、恭子は僅かに顔を顰めたが、ここで予想外の事が告げられた。
「屋敷を出てから十年以内にお前を誰かと結婚させないと、お前を夫人が、二億で買い戻す約束だった」
「え? あの……」
何の冗談かと言い返しそうになった恭子だったが、真剣そのものの無い清人の表情に、思わず言葉を飲み込んだ。そして素早くこれまでのあれこれを頭の中で思い浮かべ、その理由に合点がいく。
(ああ、なるほど。そういう事か……)
そこで笑いを堪える表情になった恭子が、一応確認を入れた。
「だから先生は、借金返済にかこつけて、私に色々な事をさせていたんですね? 否応なく、交友関係が広がる様に」
「そうだな。どいつもこいつも、友達止まりだったが」
忌々しげにそう口にした清人に、恭子の苦笑が深くなる。
「無茶言わないで下さいよ。大抵の人は、一億近くの借金がある女なんて、御免でしょうが?」
「だから結婚相手は、俺が探してやると言ってるんだ。ついでに残った借金は、結婚祝い代わりにチャラにしてやる。ありがたく思え」
もの凄く面白く無さそうに、恩着せがましく言われた恭子は、笑いを消して眉根を寄せた。
「……先生」
「何だ?」
「今度は、何を企んでいるんですか?」
鋭い視線を向けてくる相手に、清人は疲れた様に溜め息を吐いて応じる。
「お前な……。俺は単に、周囲と隔絶されて時間も止まってる様なあの屋敷に、お前を戻す気は無いだけだ」
「どうしてですか?」
「お前、時々、本当に馬鹿だな」
「学歴が無くて、申し訳ありません」
「それとは関係ない」
益々不機嫌な表情になった清人は気持ちを落ち着かせる為か、お茶を一口飲んで茶碗を茶卓に戻してから、真剣な顔付きで口を開いた。
「いいか? 一度だけしか言わんから良く聞け。俺は真澄を、この世の中で一番愛している」
それを聞いた恭子は激しく脱力し、項垂れたいのを必死に堪えた。
「いきなり惚気るのは、できれば止めて貰えませんか?」
「次に、子供二人が同率二位だ」
そこで恭子は呆れた顔つきで、溜め息を吐き出す。
「愛情の度合いを、打率みたいに言わないで下さい。ちなみにそれなら、清香ちゃんが単独四位ですね。何か清香ちゃんが拗ねそう……」
「清香には言うなよ? それで次が」
「当然、浩一さんが五位ですよね?」
さくっと次の言葉を先取りした恭子に、清人が少し意外そうな顔になった。
「良く分かったな?」
「当然です」
「それでお前も、同率五位だ」
「……はい?」
さらっと告げられた言葉を聞いて恭子が怪訝な顔になり、次いで警戒心ありありの表情になった。
「今度はどんな罠ですか?」
その問いかけに、清人は心底嫌そうな顔付きになる。
「お前……、どうして俺が何か言う度に、企んでるだの罠だのと」
「常日頃の行いって、大切ですよね」
しみじみと言ってのけた恭子に、清人は小さく舌打ちしてから続けた。
「もういい。つまり俺は、お前を身内同様に思ってるんだ。それなのにむざむざと、あんな所に戻してたまるか」
そこで恭子はちょっと驚いた顔になり、相変わらず不機嫌そうな清人を見て思わず笑い出したくなったが、必死にその衝動を堪えた。そして苦笑しながら静かに告げる。
「『あんな所』って仰いましたけど、結構快適でしたよ? 色々煩わしい思いをしなくて済みましたし」
「あのな……」
「それに、時間が止まってたのは私の周りだけで、奥様達は昔も今も、あそこで活き活きと暮らしてらっしゃいますから」
「それは、確かにそうだろうな……」
不満げに納得してみせた清人に、恭子は晴れ晴れとした笑顔で断言した。
「ですが、あそこに戻る気は全くありませんので、ご心配無く」
「え?」
「第一、奥様は私が戻って来るのを、良しとしない気がします。蓮さんと楓さんと三人がかりで、みっちりお説教されそうです」
そう言って一人頷いている恭子に、清人は訝しげな視線を向けた。
「……その根拠は?」
その問いに、恭子は首を傾げながら、自分の考えを口にする。
「別にありませんが、何となくそんな気がするんです。奥様を本気で怒らせると怖いんですよ? 『十年も時間をあげたのに、適当な男の一人も捕まえられないなんて、何て情けない』って、膝詰め説教決定じゃないかと思います」
「そうか」
思わず苦笑してしまった清人に対し、恭子は一点の曇りもない笑顔で請け負った。
「巻き添えを食って、先生まで奥様に叱られるのは気の毒なので、期限までにはちゃんと相手を探して結婚します。安心して下さい」
「分かった」
そして苦笑いして頷いた清人だったが、すぐに真顔で再度念を押す様に言い出す。
「本当に、それで良いのか? 恭子。後悔するかもしれないぞ?」
(先生に、名前で呼ばれたのは二回目か。これでも結構、心配してくれてたのよね)
ほんのちょっとだけ胸の内が温かくなるのを感じながら、恭子は微笑んだ。
「はい。清人さん。心配してくれて、ありがとうございます。でも後悔しても、全く後悔する事もない人生よりは良いんじゃ無いかと。これは他人の受け売りなんですが」
「そうかもな……」
初めて名前で呼ばれた事が分かった清人は、若干照れくさそうな顔になりながら頷いた。そんな彼を茶化す様に、恭子が話を続ける。
「取り敢えず、先生は後悔している事が一つだけで良かったですね」
「俺が何を後悔していると?」
片眉を上げた清人に、恭子が肩を竦めてから答える。
「由紀子さんとの事ですよ。もっと早く普通に行き来していれば良かったと、後悔してるでしょう? これが真澄さんと結婚できていなかったら、後悔ばかりのドツボ人生でしたねぇ……」
「お前……、一言余計だぞ?」
「でも後悔してるからこそ、それを繰り返さない様に努力してるんでしょう? この間色々あった結果、何も後悔する事無く、無為な人生を送るよりは遥かに良いなと、思える様になりました」
すっかり何かを振り切った顔付きの恭子に、清人は静かに問いかけた。
「お前、浩一との事は後悔してるか?」
恭子はその視線を真っ正面から受け止めながら、含み笑いで答える。
「さあ……、どうでしょうか?」
「そこで笑って俺に聞くな! 全く、ふてぶてしくなりやがって」
若干腹を立てた風情の清人を、恭子は笑って宥めた。
「安心して下さい。その気になったらすぐにでも、何年かでポックリ逝きそうで、後腐れの無さそうな金持ちのおじいさんを捕まえて結婚しますから」
「お前が言うと洒落にならないから、つまらない冗談を言うのは止めろ!」
「本気で言ってるのに……」
「なお悪い!」
心外そうな恭子を清人が叱りつけた所で、顔を見合わせた二人はどちらからともなく笑い出し、それからは近況などを報告し合って、和やかに一時を過ごした。
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