「僕の夢 一年一組 柏木真一
僕の双子の姉の真由子は、可愛くて頭が良くて気立ても良くて、はっきり言って天使です。当然大きくなったら僕達は結婚すると思っていたら、三年前にきょうだい同士だと結婚できない事を教えられました。
ショックでした。
その日は布団の中で、一晩中泣き明かしました。
だけど真由子との結婚を諦めていたら、奇跡が起こりました。一年前に父の妹の清香叔母さんが結婚した時、式場でその相手の聡さんが、実は父の弟だったと聞いたのです。
叔母さんと叔父さんが父の妹と弟なら、二人はきょうだい同士の筈です。それなのにどうして結婚できるのか尋ねても、周りの皆は『忙しいから後で』とか『難しいから今度じっくり』とか言って、とうとう誰も教えてくれませんでした。その時、僕は悟りました。それはいわゆる《暗黙の了解》で、決して触れてはいけない《大人の事情》なのだと。
つまり虫も殺さぬ好人物を装っている聡叔父さんは、実はありとあらゆる非合法な手段を使って清香叔母さんとの結婚を実現させた上、周りの人間に周到な口止め工作を施した、恐らく裏社会でも相当あくどい人物で通る人だったのです。
そしてこの出来事から、僕は貴重な三つの教訓を得ました。
それは《人は見かけによらない》事と、《最後の最後まで諦めては駄目だ》という事に加え、《本当に欲しいものを得る為には手段を選ぶな》という事です。
だから僕は、いつの日か真由子と結婚するという夢の為、それまで真由子に変な虫を一匹たりとも近付けないよう守りつつ、聡叔父さんを見習って夢の実現に向かってあらゆる努力をするつもりです。これで終わります。…………浩一叔父さん、恭子叔母さん、どうでしたか?」
「…………」
柏木邸の広い応接間で、自作の作文を披露してくれた、ほぼ六年ぶりに顔を合わせた甥の自信満々な笑顔を見ながら、浩一は傍らに座る恭子と共に、顔を僅かに引き攣らせつつ自問自答した。
(どうしてこんな事態になったんだ? 俺は何か重大なミスをしでかしたのか?)
浩一としてはこの実家に帰って来たのは、かなりの深謀遠慮の結果だった。
六年前、父と祖父に恭子との結婚を反対された末、家も会社も飛び出してアメリカに渡って以降、二人とは没交渉だったが、清人と真澄を介して母親の玲子には、偶に近況を伝えていた。
最近は「一度有紗ちゃんの顔を見せに来なさい」と三年前に生まれた娘に会わせろと五月蝿く、この六年間一度も帰国していない事も相まって、自身の東京出張の前後に長期休暇を付け、妻子を伴って来日した訳だが、祖母と孫娘の初顔合わせの他に日本観光を色々考えていた浩一は、初手で大きく躓く結果になった。
何故なら二人の結婚に強固に反対した雄一郎と総一郎の留守を狙って、玲子が家に招き入れる算段を立てたものの、よりにもよってその当日、雄一郎は出張先に台風が上陸して飛行機が全便欠航して出張がキャンセル、総一郎は碁会の最中に出席者の一人が心筋梗塞で倒れて搬送されて散会というハプニングに見舞われ、浩一達が柏木邸を訪問した直後に、揃って帰宅したからである。
「見慣れん顔があるの……」
「帰って来ていたのか……」
「……ええ」
「……お久しぶりです」
互いに声を荒げたりする事は無かったものの、顔を合わせた途端に応接室に満ちた居心地の悪過ぎる空気は、赤ん坊の頃に別れたきりの真一と真由子が学校から帰るのがあと五分遅かったら、迷わず席を立って二度と来ない気持ちにさせるのに、十分な代物だった。
「え? 浩一叔父さんと恭子叔母さん、ですよね? お父さんから写真で見せて貰ってました。こんにちは」
「日本に帰って来てたんですか!? はじめまして、真由子です!」
「まゆ……、僕達、赤ん坊の頃に会ってる筈だから『はじめまして』じゃないよ?」
「ええ? だって覚えて無いもの。『お久しぶり』とかも変だと思うわ、シン」
帰宅するなり賑やかに言い合う二人を、溺愛している祖父と曾祖父にしてみれば、その二人の前で露骨な仏頂面もできず、取り敢えずお茶をと玲子がとりなした為、何とかテーブルを囲んで座る事になった。
(気まずい中、母さんと恭子が一生懸命話題を出して、子供の話をするのは間違っていない。それで二歳の清二が割と言葉が達者で、海外暮らしで三歳の有紗の日本語が覚束ないのを見て、恭子がつい心配する台詞を吐いたのは、無理の無い事だ……)
そんな事を考えた浩一の目の前で、子供達が小さな手を打ち合わせつつ、無邪気な笑顔で真一を賞賛する。
「やっぱりシンは凄いわ。私こんな作文、とても書けないもの」
「にーちゃ、すごー」
「Great!」
(それを母さんが宥めて、それを受け答えした流れで恭子がつい「今、国語でどんな事を習っているの?」と真一と真由子に話題を振ったのも、母さんが「それならこの前授業参観で読んだっていう、作文が有るのよね? 叔父さん達に読んで聞かせてあげたら?」と促したのは、間違いでは無いと思う。思うんだが……、だからといって、どうしてこんなとんでもない作文を聞かせられた上、感想を求められないといけないんだ!?)
とても六歳児が書いた物とは思えない内容と、発表時の堂々とした物腰に、突っ込みを入れたい箇所がてんこ盛り状態の浩一だったが、それを本人に告げるのは後回しにして、周囲の大人達に険しい視線を向けた。
(どうして誰も真一の勘違いを、正してやって無いんですか!?)
(いや、儂は悪く無いぞっ!)
(てっきり誰かが、説明しているとばかり……)
(そんな事を考えてるなんて、まさか夢にも思わなかったもの……)
(取り敢えず、さっさと訂正してあげて下さい。お祖父さんは家長でしょう!)
(そんなものは譲って久しいわ! 雄一郎、責任持ってお前がやれ!)
(なっ! いつも余計な口を挟んでくる癖に、こんな時だけ家長扱いですか? ……一番面倒をみているのはお前だから、玲子、お前が説明しろ)
(だってあなた……、真一があんなに目をキラキラさせて確信してる事を否定するなんて、私には可哀想でできませんわ……。浩一、あなたがしてくれない?)
(そうだ、お前には叔父としての責務があるだろう)
(さっさとせんか)
(俺は勘当されている身です! 家の事は家の人間で対処して下さい!)
血縁がある故に、アイコンタクトで嫌な役目を押し付け合った四人は、何とも言えない顔を見合わせて黙り込んだが、ここで比較的冷静に事態の推移を見守っていた恭子が、子供同士で和やかにお喋りしている真一に声をかけた。
「真一君、その作文、授業参観で読んだって言ったわよね? 読む前にご両親とか先生に見せなかったの?」
その問い掛けに、振り返った真一が胸を張って答える。
「違います。ちゃんとお父さんに見せました。だってお父さんは作家だし」
それを聞いた大人達の顔が、揃って盛大に引き攣る。それでもなんとか笑顔を浮かべながら、恭子は質問を重ねた。
「……そうなの。因みにお父さんは、これを読んで何て言ったのかしら?」
「ええと……、『起承転結がしっかりしてて、読み物としては申し分無いし、学校で習っていない漢字や難しい言い回しも多用していて完成度が高い。後は読むときに抑揚を付ければ完璧だな。流石、俺と真澄の息子。俺が六歳の頃、こんな文章は作れなかったぞ?』って誉められました! 授業参観の日にも、読み終わったら笑顔で拍手してくれましたし」
「…………………」
如何にも嬉しそうに語って聞かせた真一を見て、その作文を見せられた後、真一の姿が消えると同時に腹を抱えて爆笑したに違いない清人の姿を想像したその場の大人達は、揃って遠い目をした。
(やっぱり諸悪の根源はお前か、清人! 予め見せられたのなら、内容がどうこう言う前に、ちゃんと誤解を正してやれよ、父親だろうがっ!)
この場に居ない親友兼義兄に向かって、浩一が心の中で悪態を吐いていると、隣で深々と溜め息を吐いた恭子が徐に口を開いた。
「……真一君、せっかくだから、清香叔母さんと聡叔父さんが結婚できた理由を、教えてあげましょうか?」
「恭子叔母さん、本当ですか? 是非お願いします!」
「おい、何を言う気だ!?」
恭子が告げた途端喜色満面で食い付いた真一を見て、浩一は慌てて妻の腕を引きつつ小声で窘めた。しかし逆に恭子に押し殺した声で叱責される。
「あなたこそ、何を言ってるんですか。早く誤解を解いてあげないと、本人のためになりません」
「いや、しかし……、あれだけ純粋に信じているものを無残に打ち砕くのは……」
「傷は早ければ早いほど浅くて済みます。無駄にダラダラ引き伸ばしたら、真実を知った時に先生並みに精神的にグレますよ? 叔父としてそれでも良いんですかっ!?」
「………………」
叱りつけられた浩一は勿論、小声のやりとりでも否応なしに耳にしてしまった面々に、反論する余地は無かった。
「それじゃあ向こうのソファーで説明するわね? お義母様、紙と書く物を貸して頂けますか?」
「え? あ、そ、そうね……」
立ち上がってもう一つあるソファーセットに真一を促した恭子は、玲子から紙とボールペンを受け取り、ゆっくりと向こうに歩いて行った。そして子供にも分かり易い様に、家系図を書きながら説明を始める。
「真一君、聡叔父さんのお母さんって、どんな人か知っている?」
「はい、小笠原のおばさまですよね? 会うといつもニコニコして、お小遣いやおもちゃをくれます」
「そうなの。実はね? その由紀子さんが……」
そんな風に説明を始めて約二分後、真一の悲痛な叫び声が上がった。
「えぇ!? そういう事だったの? 酷いよ、誰も教えてくれないなんて!」
「……まあ、式の当日は皆色々忙しかっただろうし、お父さんは本職だから書き方とか文章構成とかの方に目がいって、内容に言及するのを忘れていたんじゃないかと思うんだけど」
「あんまりだ……。僕の一生をかけた夢だったのにっ……」
精一杯フォローした恭子の前で、ショックのあまり真一が絨毯に両手を付いてうずくまり、真由子が納得した表情でその背中をさすってやった。
「大丈夫? でも、やっぱり何かおかしいとは思ってたのよね」
「にーちゃ、ガンバ!」
「Fight!」
(本当に……、実の弟を裏社会の人間扱いして面白がるなよ、清人。清香ちゃんと聡君が結婚したのが面白く無くて、陰でこんな鬱憤晴らしをするとは、何て大人げない奴……。去年まで結婚が伸び伸びになったのも、お前が陰に日向に散々邪魔したせいだろうに……)
そこで子供達から年長者達に視線を戻した浩一は、押し殺した声で凄んだ。
「真一の小学校は俺の母校と同じと聞いていましたが……、あそこは政財界のお偉方の子弟が入る名門校です。あんなのを発表して、まさか聡君に変な噂は立たないでしょうね?」
「いや、それは流石に大丈夫だろう……」
「真澄の結婚披露宴やこの前の清香ちゃんのそれでも、うちと小笠原両家が揃って出席して、事情通なら耳にしてるしな」
「それなら、真一が学校で笑われたりとかの懸念は?」
「だ、大丈夫じゃない? 授業参観の後も毎日元気に登校してるし。真一はいつもは勉強も運動も一番で、皆の信頼も厚いそうだから、ちょっと面白い事を言った、位のものじゃないかと……」
自分の追及に弁解がましく答える面々を眺めながら、浩一は可愛がっている甥の頭の中で、すっかり悪者扱いされていた聡を不憫に思うと同時に、傍若無人な父親の些細な鬱憤晴らしに利用されてしまった真一の将来を思って、深い溜め息を吐いた。
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