恭子が浩一を追って、渡米して4ヶ月。移住直後は色々と煩わしい事があったものの、流石にこの頃になると何とか生活も落ち着き、二人で平穏な生活を送りつつあった。
「それでね? 今度の土曜日のガレージセールで、手頃な収納棚が出ていたら買おうかと思っているんだけど」
「ああ、そうだな……」
その日、テーブルを挟んで夕食を食べている浩一が、帰宅直後から自分の話に生返事をしている為、恭子は不思議に思いながら尋ねた。
「浩一さん、どこか具合でも悪いの?」
「いや、別にどこも悪くは無いが」
「じゃあ、どうかしたの? さっきから、心ここにあらずって感じだけど」
そう指摘された浩一は、幾分気まずそうに弁解する。
「悪い。ちょっと考え事をしていた」
しかしそれを聞いた恭子は、却って心配そうに問いかけた。
「仕事の事? それとも職場で、人間関係のトラブルとか?」
「大丈夫、職場関係だけどプライベートな事だし、人間関係が良好だから、今回の様に困った事態になった訳だから」
「どういう事?」
「それが……」
安心させようと説明を加えたものの、それを聞いた恭子が益々怪訝な顔になった為、浩一はその日の職場での出来事を語り始めた。
それは同僚の何人かと一緒に外で昼食を食べ終え、自分の机に戻って来た直後に起こった。
※※※
〔コゥ、今良いか?〕
〔ああ、リック。どうかしたのか?〕
椅子を引いて座ろうとした所で背後から呼びかけられ、浩一が振り返ると、同僚のリチャードが白い封筒を自分に差し出していた。
〔結婚式と披露宴の日程が、再来月に決まったんだ。両方出てくれるよな?〕
〔喜んで出席させて貰うよ。おめでとう、リック〕
〔ありがとう〕
目の前の同僚に結婚間近の婚約者がいる事は既に聞いており、年が近く、自分と同様に他社からの転職組と言う事で、入社以来何かと面倒を見てくれている彼の慶事を、浩一は我が事の様に喜んだ。そして満面の笑みで招待状が入った封筒を受け取ったが、ここでリチャードが予想外の事を言い出す。
〔それで当日、コゥにやって貰いたい事があるんだが〕
〔勿論、俺にできる事なら何でも手伝うよ。リックには色々世話になってるし。受付とか進行とか、会場設営の手伝いとかだろう?〕
気軽に請け負った浩一だったが、リチャードは軽く首を振って真顔で告げた。
〔そんな事じゃない。披露宴で、何か余興をやって欲しいんだ〕
〔何だって?〕
今、何か聞き間違ったかと浩一が怪訝な顔になって問い返すと、彼の戸惑いが分かったリチャードが、重ねて要請してきた。
〔だから、披露宴の場を盛り上げるおめでたい芸を、是非ともコゥに披露して欲しいんだ〕
そんな事を言われてしまった浩一は、若干困った顔になった。
〔リック、ちょっと待ってくれ。何でも手伝うとは言ったが、そういうのはさすがに無理だ〕
〔コゥ、できないって言うのは無しだぞ? 俺はジェーンに『同僚のコゥが、披露宴でオリエンタルでおめでたい芸を披露して、俺達を祝福してくれるそうだ』と言ってしまったからな〕
〔そんな勝手な!〕
さすがに顔色を変えた浩一だったが、リチャードは両手で彼の両肩をガシッと掴むと、真剣極まりない顔付きで言い聞かせてきた。
〔いいか、良く聞け、コゥ。俺は就職してからのお前を見てきたが、お前には決定的に欠けている物があると思う。それは何だか分かるか?〕
〔……積極性だろうか?〕
浩一が多少考えてから推察した内容を口にしてみると、リチャードは力強く頷いて訴え始めた。
〔分かってるじゃないか! そう! お前に欠けているのは、周囲に対するアピール力だ! 能力が無いのは問題外だが、能力があっても自分を売り込めない奴は、宝の持ち腐れだ!!〕
〔それは分かるが……〕
〔謙虚さは日本では美徳かもしれないが、ここはステイツだ! 他人より一歩でも二歩でも前に出ろ! だからこの機会に、お前にチャンスをやる!〕
相手の言い分は十分理解できたものの、浩一はまだ解決できていない疑問について、確認を入れた。
〔リック……。悪いんだが、披露宴で余興をする事が、自分をアピールする事にどう繋がるのか教えて貰えないか?〕
するとリチャードが、不思議そうに問い返した。
〔ジェーンの父親が、ここの専務のクラウス・ラデルだって知らなかったのか?〕
〔それは初耳だった……〕
軽く驚いてみせた浩一に、リチャードが淡々と解説を続ける。
〔当然、俺達の結婚披露宴には、うちの社長を初めとするお偉方が何人も招待されてるんだ。社内に自分の存在をアピールする、絶好の機会だろう?〕
そう問われた浩一は、溜め息を吐いて項垂れた。
〔……下手をすると、社内中に恥を晒す事になりかねないと考えるのは、俺だけだろうか?〕
〔お前だけだ。コゥ、そんなネガティブでどうする!? 新天地を求めてここにやって来たんだろう? 何が何でも自分をアピールして、社内での自分の認知度を高めるんだ。こういう社員がいると分かって貰えれば、今後ひょっとしたら有望なプロジェクトの要員に、押して貰える可能性だって出るだろ! ここは行動有るのみだ。じゃあ期待してるぞ?〕
〔おい、リック!〕
明るく言うだけ言って、他の同僚達に招待状を渡す為にさっさと歩き出したリチャードに、浩一は追いすがろうとしたが、この間傍観していた同僚達がその肩と腕を掴んで止めた。
〔コゥ、リックの言い分は尤もだな〕
〔俺も同感だ。この際頑張れ〕
〔うふふ、披露宴の楽しみが増えたわね〕
〔ジム、ロイ、マリー……。本当に勘弁してくれ〕
先程から二人のやり取りを聞いていた周囲の者達は、揃って面白がっている様な笑みを浮かべながら浩一を取り囲み、浩一はその場での抵抗を完全に諦めた。
結局、終業後にリチャードを捕まえて、もう一度翻意を促してはみたものの、余興の話は無しにはならず、浩一は悩みながら帰宅する事となった。
※※※
「……と言う訳なんだ」
一連の話を聞き終えた恭子は、漸く納得できたと言う顔付きで頷いた。
「それで、その披露宴でどんな余興をしようかと、色々悩んでいたわけね」
「そうなんだ」
「でも……、確かにそれで社内の主だった面々に顔が売れるなら、悪い話では無いのよね?」
考え込みながらそう述べた恭子に、浩一も真顔で頷く。
「ああ。面白半分とか、嫌がらせで話を持ってきたなら即行で断るところだが、リックは本当に良い奴だし、あくまでも好意からきている話だから、余計に困ってるんだ」
「確かにリチャードさんには私達の結婚式の時もお世話になったし、お二人を祝福する為にも、場を盛り上げたいわよね」
しみじみと感想を述べた恭子だったが、ここで浩一がナイフとフォークを皿に置いて、両手で頭を抱える。
「だが、俺には他人に披露する芸なんか無いぞ……。合気道はそれなりに熱心にやったが、披露宴で人を投げ飛ばしまくる様な真似はできないし。どうして俺は、趣味らしい趣味を持って無かったんだ。こんな所で、それが祟るとは……」
悔しげに呻いた浩一だったが、そんな夫の姿を眺めた恭子は、クスクスと笑い出した。
「何がおかしいんだ?」
些か腹を立てながら浩一が視線を向けると、恭子は悪びれない笑顔のまま、事も無げに告げる。
「だって、何をそんなに悩んでいるの? 浩一さんには立派な特技があるじゃない。しかもアメリカでは珍しくて、とびきりおめでたい奴が」
「え? いや、そんな都合の良い特技なんて、俺は持って無いぞ?」
当惑しながら言い返した浩一だったが、恭子は笑いながら続けた。
「持っているわよ。忘れたの? でも確かにあのままだとインパクトに欠けるから、必要な物を揃えたり、段取りを考えないとね。日程に余裕があって良かったわ」
うんうんと一人で頷いて納得している恭子に、浩一が益々怪訝な顔になって問いかける。
「あの、恭子? それって一体……」
そこで恭子が拳を握り締め、力強く請け負った。
「任せて、浩一さん。私がしっかりプロデュースしてあげるわ。これでしっかり会社のお偉方の皆様に顔を売って、目をかけて貰いましょうね!?」
「あ、ああ……。宜しく頼むよ」
彼女の迫力に押された浩一が思わず頷くと、恭子は不敵な笑みをその顔に浮かべた。
「久々に腕が鳴るわ。目一杯インパクトがある物に仕上げて、列席者全員を唸らせてみせようじゃない!」
その決意表明を聞いた浩一は、ほんの少しだけ彼女に愚痴を漏らした事を後悔し、当日酷い事にならなければ良いがと、かなりの不安を覚えた。
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