世界が色付くまで

篠原皐月
篠原皐月

第21話 微妙な話題

公開日時: 2021年6月19日(土) 10:38
文字数:2,456

「お邪魔しました」

「じゃあ門限前に、小笠原邸に戻るんだよ?」

「気をつけてね」

 夕刻、浩一と恭子に見送られてマンションを出た清香は、隣を歩く聡を見上げながら声をかけた。


「うふふ、今日は一日楽しかった。ありがとう、聡さん」

「それは構わないんだけど……、清香さんはどう思った?」

「どうって……、何が?」

「その……、二人一緒に暮らしてるから、恋人同士なのかな、とか……」

 どう言おうかと迷いながら聡が口にした言葉に、清香は控え目な否定の言葉を返した。


「違うと思うけど……。浩一さんは紳士だし、恭子は冷静な大人の女性だし。完全に割り切ってる、単なる同居人じゃないのかな? 男女間ってそういうのってありえない?」

「さあ、どうかな」

「第一、二人が付き合ってるなら休みの日に、わざわざ私を部屋に招き入れてくれる? ……お兄ちゃんは私を追い出して、真澄さんとベタベタしていたし」

「それは確かに、否定はしないけど……」

 ちょっと拗ねた感じの清香の言葉に、聡が刺激しない様に応じる。


「それに、恭子さん小笠原物産に入って、きちんと仕事だってしているんでしょう?」

「……商社勤めが初めてとは、とても思えない位にね」

「そんなに頑張っているなら、尚更浩一さんとベタベタしてるのなんて、想像できないんだけど」

「それは、確かにそうなんだけど……」

 どうにも煮え切らない返事の聡に、とうとう清香は不審な目を向けた。


「何? 聡さん。気になる事でも?」

 それに慌てて手を振って、聡はその話を終わらせた。

「いや、何でもない。じゃあ行こうか。父さんと母さんに睨まれないうちに送って行くよ」

「ええ」

(もし付き合っていたとしても、柏木家の方で認めるわけないとか、清香さんは考えてないんだろうな……)

 上機嫌な恋人の顔を眺めながら、わざわざ不愉快な話題を出す事も無いかと、聡は密かに考えていた内容を頭の片隅に追いやった。


 そんな二人を見送った浩一と恭子は、リビングで再び向かい合ってお茶を飲みながら、笑顔で言葉を交わしていた。


「やっぱり可愛いですよね、清香ちゃん。あんな事で小笠原氏の機嫌を損ねたかもって悩むなんて」

「昔から優しい子だからね。しかし清人が小笠原家を下宿先に選んだのは、食べ慣れてる物を出して貰えると踏んでの事だったのか?」

「私もそこまでは考えてはいなかったですが、先生ったら相変わらず、清香ちゃんにはベタ甘みたいですね」

「全くだ。それに、あいつに対しても甘い気がする」

 そう言って紅茶を飲む浩一を、恭子は些か驚いた表情で見やった。


「あいつって……、まさか聡さんの事ですか? 先生から結構な嫌がらせをされてますよ? 一番手を下してる私が言うんですから間違いないです」

 そう断言した恭子だったが、浩一の憮然とした表情は変わらなかった。


「本当に気に食わないなら、嫌がらせをする以前に排除しているさ。俺から見ると、やっぱり弟だから手心を加えている様にしか見えない。多少気の毒だとは思うが、止めさせようとは思わないな」

「……はぁ、そうですか」

(逆に言うと、浩一さんは未だに聡さんを、徹底的に排除したいと思っているわけか)

 そんな事を考えて恭子が思わず小さく笑ってしまうと、浩一がそれを見て、不思議そうに問いかけた。 


「何?」

「いえ、浩一さんって、先生とはまた別の意味で、清香ちゃんの父親みたいですね」

 それに流石に浩一が苦笑いで返す。


「それは嬉しいな。でもできれば、お兄さんみたいと言って欲しかった」

「でも浩一さんだったら、きっと良いお父さんになれますよ?」

 明るく笑いながらの悪気が無い切り返しに、浩一は一瞬表情を消してから、いつもの表情を装いつつ言葉を返した。


「ありがとう……。恭子さんも良いお母さんになれると思うよ?」

「それは無理だと思いますよ? 私、昔の病気の後遺症で、子供を産むのは難しいって言われていますし」

 カップ片手に淡々とそんな事を言われて、今度こそ浩一は全身の動きを止めた。そして俯いて静かにカップをソーサーに戻した浩一が、静かに謝罪の言葉を口にする。


「……悪かった。無神経な事を言って」

「構わないですよ? 絶対に無理とは言われてませんし、第一子供が居なくても平気……、と言うか、結婚するつもりもありませんから、全く支障は無いです」

 どうやら真面目な浩一が、気にしてしまったらしいと思った恭子は、明るく断言してそこで話を終わらせたつもりだった。しかい予想に反して、浩一が顔を上げて尚も問いかけてくる。


「母親に、なりたいとは思わない?」

「え? ですから、子供を産むのはちょっと……」

 当惑しながら、先程の言葉を繰り返した恭子だったが、浩一は引き下がらなかった。


「自分で産まなくても、養子を取るとかは可能だろう?」

「基本的に独身者は、血縁者で無い限り養子縁組できませんよね?」

「俺が聞いているのは、それが可能がどうかの問題ではなくて、君が……」

 思わず声を荒げかけた浩一だったが、驚いた表情で恭子が自分を見つめているのに気付き、瞬時に現状を把握して言いたい言葉を飲み込んだ。そして静かに立ち上がる。


「……いや、もう良いです。変な事を言ってすみません。俺は夕飯の支度を始めますから、恭子さんはのんびりしていて下さい」

「あの……、浩一さん?」

 わけが分からないまま困惑した声を恭子が発したが、それが聞こえなかったかの様に無視して、浩一はキッチンに消えた。そして追い縋って問い質すまでの必要性は感じなかった為、恭子はソファーに座ったまま、一人で首を捻る。


(何? また何か私、浩一さんの神経を逆撫でする様な事を言ったのかしら?)

 そうして直前の一連の会話を振り返ってみても、特に思い当る節が無かった為、恭子は早々に原因を探るのを諦めた。そして何となく他愛もない事を考える。


(子供、か……。正直、清香ちゃんみたいな可愛い子供だったら欲しいわね。……先生みたいに育ったら、ろくでもない人生にとどめを刺されて、絶望しそうだけど)

 そんな悲喜こもごもな事を考えた恭子は、我知らず一人ソファーで百面相をしてしまった。


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