「恭子さん!? そこで何をしてるんだ?」
藤宮達と共に声のした方向に目を向けると、浩一が血相を変えて自分の方に駆け寄ってくる所だった。そして瞬く間にやって来た浩一に、恭子は困惑気味に理由を告げる。
「先生に、携帯電話で呼びつけられましたが、皆さんに私を紹介した後、本人は早々に居なくなりまして」
「あの野郎、今日は本当に何を考えて」
「やあ、浩一。今日は久しぶりに顔を合わせて、披露宴の最中も随分話が盛り上がったと思ったが、そんなに俺達と離れがたいのか? 嬉しいな」
思わず悪態を吐きかけた自分の声を遮り、藤宮が面白がっている風情で話し掛けてきた為、浩一は表情を引き締めつつ、藤宮達に向かって頭を下げた。
「……いえ、そういうわけではありませんが。今日は姉と清人の披露宴にご臨席頂きまして、誠にありがとうございました。それでは失礼致します」
「そうか。それは残念だ。じゃあ川島さんだけ俺達に付き合って貰うとするか」
「は?」
「え?」
(どうしてそうなる?)
恭子と浩一の戸惑いは同一の物だったが、周囲はそんな事はお構いなしに話を進めた。
「そうですね」
「じゃあ早速、店を押さえるか」
「今から貸切に出来るか?」
「させますよ。弱みの一つや二つ握ってる店は、一軒や二軒じゃ無いので」
「さすが《正義の味方》ならぬ《悪の敵》」
「それなら、取り敢えず移動するか」
「あの、ちょっと待って下さい!」
自分達のみで勝手に話を進め、藤宮が恭子の腕を軽く掴んで歩き出そうとした時、浩一が一気に険しい顔付きになって力づくで藤宮の手を恭子の腕から引き剥がした。続けて右手で恭子の左手首を掴みながら礼儀をかなぐり捨て、常には頭が上がらない相手を盛大に叱り付ける。
「白鳥先輩! 悪ふざけも大概にして下さい! 俺達は失礼します。恭子さん、帰るよ!」
「あ、あの、失礼します」
半ば浩一に引き摺られる体勢のまま、恭子は律儀に藤宮達の方に軽く頭を下げて挨拶したが、そんな二人の姿が通路の角の向こうに消えてから、誰かの声がその場の沈黙を破った。
「……おい、笑って良いか? あいつ自分から彼女の腕を掴んで、引きずって行ったぞ?」
「触られるのも駄目だったのに、随分進歩したじゃねぇか」
「あれ、絶対無意識だよな?」
「今頃気付いて、通路のど真ん中で固まってるかもしれませんね」
「なるほどな。これで良く分かった」
そんな事を言い合ってから、申し合わせたように全員が揃って爆笑したが、既に離れた場所まで進んでいた二人の耳に、その哄笑は届かなかった。
「……あの、浩一さん!」
「何?」
「自分で歩けますからその手を放して貰うか、もう少しゆっくり歩いて貰えませんか?」
「え? ……手?」
歩くというより寧ろ競歩といった方が近いスピードでホテルの廊下を歩いていた浩一は、一歩後ろを歩いている恭子からそんな事を訴えられ、やっと気が付いた様に立ち止って自分の右手に目を向けた。すると恭子の訴え通りしっかりと彼女の左手首を掴んでいるのを認識し、慌ててその手を離す。
「……悪かった」
「いえ、構いませんけど……」
何故か左手で口元を覆い、微妙に視線を逸らされながらくぐもった声で謝られてしまった恭子は、困惑しながら言葉を返した。しかし浩一が無言のまま微動だにしない事から、先程置き去りにしてきた面々について問いかけてみる。
「あの……、先程の方達は先生の先輩であると同時に、浩一さんの先輩でもあるんですよね? もう少しゆっくりお話しなくて、良かったんですか?」
その問いかけに、浩一が些か顔を強張らせながら力強く言い切る。
「俺はともかく、恭子さんがあの人達と係わり合う必要は無いから。極悪人では無いけど、好かれたらすこぶる厄介な人達なんだ」
「でも……、手遅れの様な気がします。理由ははっきりとは分かりませんが、なんとなく好かれてしまったみたいで……」
「そうか……」
先程のやり取りを思い返しながら恭子が告げると、浩一は傍目にも分かるほど肩を落とし、深い溜め息を吐いた。そんな浩一に、恭子は続けて疑問をぶつける。
「浩一さん?」
「何?」
「私、何か浩一さんを怒らせる事をしましたか?」
真顔での問いかけに浩一は顔から手を離し、素で驚いた表情を見せた。
「どうしてそんな事を聞くのかな?」
「披露宴の最中、睨まれていた気がしましたので」
「睨んではいないから」
「そうですか?」
本気で首を傾げた恭子に、浩一は些か決まり悪く言い直した。
「……いや、睨んでいたと言えば睨んでいたかな? でもそれは俺の都合で、恭子さんには全く落ち度は無いから、気にしないで」
(そう言われても……)
思わず困った顔をした恭子だったが、その困惑は浩一にも十分伝わり、さり気なく話題を変えながら移動を促す事にした。
「じゃあ帰ろうか。クロークに荷物を預けてあるから、取ってくる。それにフロントにタクシーを手配して貰うからロビーで待ってて」
「分かりました」
あまり追及して欲しくないらしいのを察した恭子が、余計な事を言わずに頷いたのを幸い、浩一は恭子を連れて披露宴会場の近くのクロークまで戻り、恭子をロビー待たせておいて手早く帰る手筈を整えた。そして正面玄関の車寄せに滑り込んできたタクシーに乗り込もうとして、恭子と二人でロビーを横切る時、その隅の方で未だに義妹達と談笑していた母親の玲子に、その姿を目撃される。
(あれは……。浩一と確か、清人さんのアシスタントの川島さんとか仰っていたわよね?)
そして何気なく息子の姿を目で追った玲子は、テキパキと荷物を運転手に渡し、恭子と共にタクシーに乗り込むのを見て、軽く目を見開いた。
(あら? 随分珍しい物を見たわ)
そして走り去るタクシーを目で追って考え込んでいると、周囲から当惑気味の声がかけられた。
「玲子お義姉さん、何か気になる事でも?」
「急に黙り込んで、どうなさったの?」
不思議そうな義妹達に、玲子は笑って答える。
「いえ、何でも無いわ。今日は楽しかったから、ふと余韻に浸ってしまって」
「本当にそうですわね」
「うちの息子の時も、あんな風にさせたいわ」
そんな他愛も無い会話をしながら、玲子はさり気なく先程見た光景について、密かに考えを巡らせていた。
そんな事とは夢にも思っていない浩一は、走り出したタクシーの中で、如何にも消耗した感じの声を出した。
「今日はお疲れ様」
「浩一さんこそ、お疲れ様です。新婦の弟ですから随分飲まされていたみたいですし、大丈夫ですか?」
「まあ……、それなりに飲まされたけど、大丈夫だから」
何となく重い口調の浩一に、恭子は意識的に明るく話しかけてみた。
「今日の挙式も披露宴も、ちょっと賑やか過ぎた所は有りましたが、概ね良かったんじゃありませんか?」
「そうだね。姉さんのドレス姿も綺麗だったし。……清人は、おまけでついでで添え物だ」
「確かに結婚式では花嫁が主役で、花婿は添え物って感じがしないでもありませんが……、浩一さんって意外に子供っぽい所が有りますよね? あのライスシャワーもそうですし」
清人に関して語った時には切って捨てる様な物言いだった為、思わず恭子は小さく噴き出し、笑いつつ指摘した。すると恭子の方に顔を向けた浩一が、ボソリと呟く。
「……ウェディングドレス」
「え? ドレスがどうかしましたか?」
良く聞き取れなかった為恭子が問い返すと、浩一は我に返った様に不自然に視線を逸らしてから、狼狽気味に付け加えた。
「いや……、単にどんな物が良いと思うかと」
「今日の真澄さんのドレスの中でですか?」
「……ああ」
質問の意図が良く分からず、推理しながら恭子が尋ね返すと、浩一は一瞬黙り込んでから頷いた。その為恭子はその日一日真澄が身に着けていた何種類かの衣装を思い返し、笑顔で断言する。
「やっぱり挙式の時の白いあれが、真澄さんに一番似合ってましたね。全体的なデザインもそうですが、トレーンのレース模様がとても素敵でした」
「そう」
そう短く呟いたきり、窓の外に視線を向けて黙り込んだ浩一に恭子は困惑し、(やっぱり先輩といい親友といい、先生と親しい人って良く分からないわ)と一括りにして、取り敢えず納得する事にした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!