『――はいはい。俺』
コールすると、二回で彼は出た。
「あっ、もしもし。あたし、真樹だけど」
きっと彼の方にも真樹の名前が表示されているだろうから、名乗る必要はないのだろうけれど。つい習慣で名乗ってしまう。
「なんかゴメンね。あたし今日バイトで、電源切ってる間に何回か電話くれてたみたいだけど」
『ああ、今日は仕事だったのか。俺の方こそゴメンな。昨日はあの時間にかけて大丈夫だったからさ、今日も大丈夫だと思って』
「おいおい。――っていうか、アンタ今何の仕事してんの? 平日のあの時間に電話かけられるって……。確か、車の修理工場に就職したって聞いてたけどな、あたし」
呆れつつ、真樹は自分から彼の今の職業について、それとなく訊ねてみた。
『おう、そうだよ? つうか、今も変わってねえけど。昨日は休みで、今日は昼休憩の時に電話したんだよ』
「……ああ、そうなんだ」
そういえば、彼からの不在着信の時間は十二時から一時の間に集中していたような気がする。
『――ところでさ、二十九日どうなった? 休み取れそうか?』
「あー、うん。あたし、そのことで電話したんだ。今日ね、店長に相談したんだけど、そしたらなんと有休にしてもらえたんだ♪」
『有休? マジで!? 太っ腹だな、お前んとこの店長』
驚いた岡原の声は、真樹の記憶にある彼の声と変わっていない。
「うん。あたしもビックリして、『いいんですか!?』って思わず訊いちゃったもん。だから、とりあえずそっちはクリア」
『そっか、よかった。……つうか、〝そっちは〟って? 他に何か問題起きたのか?』
「……うん。それがねえ」
こんなことを岡原にグチるのは真樹も気が引けたけれど、それでも話すことにした。
「ちょっと、本業の方で困ったことになってさぁ。――実は今度出す新刊、第一稿の入稿が終わったあとで、急にプロットからやり直すことになって。しかも、あたしが一番苦手な路線にしろっていうんだよ!? もう参っちゃうよね」
『あれま。作家って大変なんだな。んで? お前の一番苦手な路線ってどんなんよ』
「……それ、あたしに訊くんだ?」
誰のせいで書けなくなったと思ってんの、という抗議の意味も込めて、刺々しく質問返しにしてやった。けれど、あまりいじめるのもかわいそうだし、八つ当たりするのも(とはいえ、原因が彼であることは間違いないのだけれど)良心が痛むので、情けないけれど彼女は渋々答えた。
「まあいいや、答えてあげる。恋愛系だよ。あたし、デビューしてから一回も、恋愛系は書いてないの」
『うん、知ってる』
「……え?」
『いや、いい。気にすんな。つうかさ、理由訊いていい?』
(……いや、「気にすんな」って言われても気になるし。っていうか、アンタが理由訊くんかい)
岡原の言動はツッコミどころ満載だし、無神経だ。大人なら、そこは訊くべきではないと思うのだけれど――。
『――お~い、真樹ー? もしも~し、聞こえてるかー?』
真樹が絶句していると、電話が切れたと思ったのか、彼はまだ呼びかけ続けている。
「バカ、聞こえてるってば。――理由、どうしても聞きたいなら教えてあげるけど。笑わないって約束してよ?」
『分かった分かった。笑わねえから』
真樹が念押しすると、彼はすでに笑っていながら頷いた。
(っていうか、もう笑ってんじゃん)
「笑うな」って言ったそばからコレだよ、とツッコもうとしたけれど、やめた。これでは一向に話が進まない。
「理由は……、あたしに一人も彼氏がいなかったから。あたしね、あれから誰とも付き合ったことないの」
『えっ、マジで!? お前、そんなにモテなかったっけ?』
「……岡原、ぶっ飛ばすよ?」
コメカミをヒクヒクさせながら真樹が低ぅい声でそう告げると、さすがの岡原もビビったらしい。殊勝に「悪りぃ、調子に乗りすぎた」と謝った。
「自慢じゃないけど、モテないワケじゃないんだよ。これでも、この五年の間に何人も付き合ってほしいって言ってくれた人いるんだから。でもね、全部あたしから断ったの」
『なあ、それって……俺のせいか?』
「ノーコメント」
真樹は澄ましてそう答えた。彼も、真樹に対して負い目は感じているらしい。
「まあでも、心配しないでよ。同窓会までに間に合わせて何とか頑張るから。あたしも同窓会、楽しみにしてるしさ。――それに」
『それに?』
もう意地をはらずに素直になろう。――真樹はそう決心した。
「アンタさ、同窓会の日にあたしに伝えたいことあるって言ってたじゃん?」
『うん、言ったけど』
「あたしも、アンタに伝えたいことがあるから。だから――」
『うん、分かった。俺も当日まで楽しみにしてっから』
「岡原……」
真樹が最後まで言わなくても、彼は分かってくれた。きっと、彼女の気持ちにもずっと前から気づいていたのだろう。
『だから仕事頑張れよ! 途中で音ぇ上げてほっぽり出すようなことすんじゃねえぞ!』
「うん! ほっぽり出したりしないよぉ。これでもあたし、プロだからさ」
駆け出しとはいえ、プロの物書きとしてのプライドがある。ファンをガッカリさせたくはないのだ。
「――あっ、けっこうな長電話になっちゃったね。ゴメン、時間大丈夫だった?」
『ああ、大丈夫だ。俺、一人暮らしだし。夜はメシ食って、風呂入って寝るだけだから他にやることもないしな』
「えっ、そっちも? あたしも一人暮らししてるんだよ。三階建てのマンションの二階で1DKの部屋なんだけど」
『へえ、そうなん? 俺んとこは二階建てアパートの二階、角部屋。ワンルーム』
お互いの部屋の話で盛り上がり、また長電話が長引きそうになり、真樹は「ヤベっ」と思った。「なるハヤで」と言われている仕事があるので、時間が惜しい。
「――ゴメン、岡原! あたし、そろそろ切るね。ゴハン前にちょっと仕事したいし」
『おう、そっか。分かった。じゃあな』
「うん、じゃあ」と言って、真樹は終話ボタンをタップした。そのままカバーを閉じ、充電ケーブルを差し込む。
ちなみに、彼女が今いるのは寝室兼書斎の洋間である。食事の時はダイニングテーブルを使うけれど、それ以外の時間の大半はここで過ごしている。
ベッドとクローゼット、本棚が置かれた部屋の中央に鎮座ましましている、折りたたみ式の座卓の上のノートパソコンを再び開き、USBに保存してあるプロットのファイルを真樹は開いた。今日ボツをくらった新刊のものである。
これは過去に既刊が三作出ているシリーズもので、主人公の青年とヒロインの妖狐とのつかず離れずのビミョーな関係がウケているのだけれど。
「コレに恋愛要素を絡めろ、ってことか」
真樹は座卓に頬杖をつき、呟いた。
この二人に恋愛的な展開をもたらすのは、あながち不可能ではないかもしれない。
よくありがちな〝異類婚姻譚〟っぽくはなるだろうけれど、男女なのだから不自然ではないかも、と真樹は思った。
「まずは、どっちの片想いからにするか、だけど……」
とりあえず、書くだけ書いてみよう。――真樹はキーボードに両手を置き、少しずつ内容の修正を始めた――。
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