超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

病院での一幕1

公開日時: 2020年9月23日(水) 16:01
文字数:4,853

 小さな部屋、狭い一室の中心を更にカーテンで区切って半分にしたスペースで、子どもが偉人伝を読んでいた。


 リンカーン、野口英世、ニュートン、ナポレオン、etc……

 子どもは目を輝かせてそれらの偉人伝を次々と読んでいく。読み終わった本はすぐ後ろに置いて、前にあるまだ読んでない本を開いては読み進める。


 その子どもは偉人伝の中の偉人に憧れていた。いつか、努力をすればこんな立派な人になれると思っていた。

 だが、よく考えてみれば妙な話だ。

 そもそも、立派な人っていうのはどういうことだ? 立派って何だ? そんなことすら、答えを持っていないまま子どもは偉人に憧れていた。





「――夢、だな」


 目を開いての夏彦の第一声はそれだ。

 両親が部屋がないのに子ども部屋を作ろうとした苦肉の策で、部屋を半分に仕切ったカーテン。山積みの偉人伝。

 夏彦がまだ小学校低学年の頃の光景に違いなかった。


 夏彦の開いた両目に映っている天井は、見覚えのないものだ。真っ白い無機質な天井。

 自分は、どうなったんだっけ?

 記憶が定かでない夏彦は、ゆっくりと体を起こそうとして、


「――痛っ!」


 全身に激痛。

 それで、思い出す。


「ああ――そうか」


 黒木と戦ったんだった。生きているらしいな。ってことは、ここは、病院、か。


 自分の体を見回せば、全身を包帯でぐるぐるに巻かれている。ベタだが、まるでミイラという表現がぴったりだ。


 今度は痛みを覚悟してから、夏彦は体を起こした。

 みしみしと体が音をたてる。それでも、歯を食いしばりながらようやく上半身を起こす。

 病室は、どうやら個室のようだった。それなりの広さの部屋、真っ白い殺風景な部屋に、今夏彦が寝ている大きめのベッドがひとつ、傍の棚には液晶テレビがある。

 病院の個室って、凄い高くなかったっけ?

 何かで得た知識から、夏彦は金銭面での心配をしてしまう。


 そうだ、金もそうだけど、結局自分は大丈夫か? 怪我だけではなくて、脳も。

 倒れる前に限定能力の過剰使用で頭痛に襲われていたことを夏彦は思い出す。

 だが、今は頭痛は全くしないし、むしろ脳髄にあった余計なものが全て洗い流されたような気分で、頭はすっきりと冴えている。


「おっ、起きた、起きたぞ!」


 その時、病室に入るなり、上半身を起こしている夏彦を見て大声を上げる男がいる。

 虎だ。

 病院では大きな声を出してはいけないという常識を持っていないらしい。

 虎は喜びながら大声で、病室の外に向かって叫んでいる。


「おーい、夏彦目を覚ましてるぞ」


「おっ、マジすか」


「えっ、本当!?」


 聞き覚えのある声と共にどやどやと虎だけではなく数人の男女も病室に入って来る。


 そのメンツの意外さに、夏彦は少し目を丸くする。


 虎、そして虎と行動を共にしていた秋山、この二人はまだ理解できる。気を失う寸前に電話をかけたのは虎だし。だが、残りの二人。


「あー、よ、よかったー、本当に気がついたんだ」


 安堵のため息をついているのは、つぐみ。


「……」


 そして黙って一礼したのは、生徒会顧問の月だった。





「ジャンプって喫茶店を見つけるのは苦労したぜ、全く」


 恩着せがましい虎の一言から説明が始まった。

 ちなみに夏彦の怪我の状態は、全身に打撲や創傷があったらしいが命に別状はなく、むしろ意識を失ったのは極端な疲労と緊張、ストレスによるものだというのが医者の見立てらしかった。


「嘘ばっかり。スマートフォンで調べただけじゃないすか」


 秋山が突っ込むが、虎は意に介さずに説明を続ける。


 夏彦からの電話を受けた時、二人はちょうどネズミがクスリを飲んで病院に運ばれたことへの事情聴取からいったん解放されたタイミングだった。


 明らかにただ事じゃあない電話の雰囲気から、二人は少し相談した。近くにいる風紀会の人間に全てを話すか、それとも自分たちだけで何とかするか。何せ、脛に傷とまでは言わないが、夏彦も自分たちも疑いをかけられ、それを払拭するために行動している身だ。

 悩んだ結果、電話の最後の言葉「ジャンプ」で検索してでてきたジャンプという名の喫茶店、そこにまず二人だけで行ってみることにした。いなければ、その時はすぐに誰かに助けを求めよう、と。


 そうと決まると二人はこっそりとその場を抜け出し、タクシーまで使って全速力で喫茶店ジャンプに向かった。そうして店内、及び周辺を探ると、すぐにそこで転がっている夏彦と黒木を発見、病院に二人を運び込んだそうだ。ちなみに二人を運んだのは秋山で、右手に夏彦、左手に黒木を抱えて走った。


「それは分かったけど」


 二人の説明を聞いていた夏彦は、そこで疑問を口にする。


「つぐみちゃんと月先生がここにいるのはどういうことだよ?」


「まあ慌てるなって。お前、この病院がどこか分かるか?」


「え?」


 そう言われて、夏彦は思い出す。

 確か、ノブリスには大きな病院はノブリス学園付属病院しかないはずだ。


「ああ、そうか。学園の関係者が勤めてる病院に運び込まれれば、すぐに話は学園に伝わるよな」


「そういうことだよ。まあ、俺たちとしても黒木がいた時点で、どっちにしろ学園に連絡するつもりだったけどな。俺たちだけだと黒木と一緒にいるのは不安だし、黒木を尋問できれば俺や夏彦、つぐみの疑いだって多分晴れるだろ」


 それはそうか。結局、真実を知る人間がいないから俺たちはスケープゴートにされたわけだもんな。

 夏彦は納得して続きを促す。


「それで?」


「いや、それがよ、黒木を病院に運び込んだ時点で、すぐに飛んできたんだよ、月先生とつぐみが。俺たちだってびっくりしたぜ」


「実は、あたしは『とある理由』から取調室を抜け出してて――」


 はにかみながらつぐみが言う。


 夏彦としては、そのとある理由とやらが気になるところだが、何となく訊いたらつぐみの機嫌が悪くなりそうな気がした(限定能力のおかげで鍛えられた勘だ)ので黙っておく。


「――それで、月先生に直談判したの。どうしても月先生に訊きたいこともあったし。あたしが訊きたかったのは、黒木君をその事件が起こった裁判に出席させることができたのは誰かってことなんだどね」


「それは――」


 それは、俺が舞子に辿り着いたルートと全く同じじゃあないか。

 夏彦は驚く。

 ただ違うのは、俺がサバキに頼んだのに対してつぐみちゃんは月先生に頼んだってことだ。今になって思えば、サバキを介してそれを調べようとしたことで、どこからか向こうに俺たちが調べていることを察知されて、逆に罠にはめられた。つぐみちゃんみたいにしとけば、案外うまくいったかもしれなかったな。


「その時にちょうど月先生に病院から連絡が来て、二人でここに駆けつけたってわけ」


「そういうことですの」


 月先生がつぐみの言葉を引き取る。


「正確には病院からの連絡は全ての会に来たのですけど、その代表として私がつぐみさんと病院に来ることになったのですわ」


「……よく、意味が分かりません。全て会の代表、ですか? まるで、全ての会が協力して一丸となっているような言い方ですけど」


 夏彦が言うと、


「この件に関しては、事実としてその通りですの」


 事も無げに月は答える。


 だが、そんなはずはない。全ての会がこの事件の解決に一丸となっているのなら、すぐに解決したはずだ。クロイツさんが言っていたじゃあないか、解決するの自体は簡単だが、他の会との関係もあるから難しい、と。

 夏彦は混乱する、が。

 待てよ――

 ゆっくりと、ぼんやりとだが頭の中でこれまでの全てのことが大きな像を浮かび上がらせていく。


「あ、話変わるけど、黒木がよく全部白状しましたよね、びっくりっす」


 秋山が言う。この先輩は、夏彦や虎という後輩を相手にしても敬語を使う。


「白状?」


 初耳なので夏彦は聞き返した。


「ああ、そうそう。月先生とつぐみが来て、ベッドに拘束された黒木のとこに一緒に行ったんだけどよ――」


 虎の言葉を聞いて、「ああ、やっぱり黒木拘束されてんだ、そりゃそうだよな」と夏彦は思う。


「――しばらくは何を聞いてものらりくらりだったのに、途中でつぐみが何か耳元で囁いてからはびっくりするくらい素直に喋りだしたよな。あれ、なんて言ったんだ?」


「え? あたしは、ただ――なんでも正直に喋ることを約束します、なんて言うから、約束って言葉を軽々しく使わない方がいいわよ、って教えてあげただけです」


 にこり、とつぐみは笑う。


 その笑いに何故か背筋を冷たくしながら、


「で、何を喋ったんだ、一体?」


 と夏彦は踏み込んで訊く。


「いや、それがよ、大したこと何も知らねえんだよ。あいつと秀雄と、あと久々津って奴の三人がいるらしいんだけど、その三人が元から知り合い――クスリの売り買いの知り合いで、三人まとめて金で雇われてノブリス学園に入学したってこと。入ったら学園をめちゃくちゃにするように頼まれていくつか計画を渡されたこと。あとは、生徒会と風紀会それぞれに味方がいて、風紀会にいるネズミと生徒会にいる舞子って奴がスパイだってこと。これくらいだな。雇い主のことすら何も知らないみたいでよ」


「おまけに、途中からクスリの禁断症状が起こっちゃったらしくて、話ができる状態じゃあなくなったんすよね」


 付け足して、秋山は肩をすくめる。


 黒木は何も知らなかった、か。何だ、何かが引っかかる。

 答えが出てきそうで出てこず、夏彦は苛立たしく頭をかく。

 と、舞子の名前が出たことで、いつの間にか彼女が姿を消していたことを思い出す。というよりも、そもそも夏彦は説明を聞くばかりで説明をしていなかったことに気づいた。


「あー、ちょっと聞いてくれるか?」


 夏彦は今更だが、自分がどうしてこんな状況になったのかの経緯を説明していく。


 月を除く三人は、夏彦の説明に何度も驚きの声をあげる。


 そして月は、話を聞きながら納得したように軽く頷いている。


「なるほど、道理で舞子が見つからないわけですわね。それにしても、委任状だなんて、クロイツも露骨なマネをするものですわ」


 月はふっと笑って、


「こういう状況ならば公表してもいいですわね。舞子の限定能力は『客観主義ウォッチメイカー』。人の戦闘力を数値化する能力です。彼女が敵に回って作戦立案に携わると、少々面倒なことになりますわね」


「すげー、スカウターみたいじゃないすか」


 秋山は子どもみたいに喜んでいる。


「戦闘力がばれるってこと?」


 虎が首をひねっている。いまいち意味が分からないらしい。


 その点は夏彦も同感だ。戦闘力というのがどこからどこまでを含めるのか分からない。身体能力だけなのか、技術や頭の回転、限定能力等も含めるのか。

 だとしたら、かなり強力な限定能力だと思うが。


「正確には、舞子が認識したものだけですわ。体つきから身体能力、歩き方や身のこなしを見れば技術、舞子が限定能力を知れば限定能力、それらを数値化して合計します。だから例えば相手が技術を隠していればその分の戦闘力は加算されませんし、技術を見せれば戦闘力は増えますわ」


 あれ、何だか、大したことない能力っぽいな。

 夏彦は考えを改める。

 要するに、舞子の持っている「多分これくらい強いはず」というイメージをそのまま数値化しただけか。舞子のイメージが間違っていたら当然数値も間違っているわけだ。


「限定能力はその人のパーソナリティにかなり影響されるという話ですから、舞子は元々人を数字で見るような人間だったのかもしれませんわね」


 上品に口元を隠しながら、月はくすくすと底意地の悪い笑い声をあげる。


「ともかく、舞子に関しては緊急手配ですわね。つぐみさん、虎君、夏彦君はもう無罪放免ですわ」


「え、いいんですか、そ、そんなあっさり」


 つぐみが驚く。


 夏彦にしても同じ思いだ。あまりにもあっさりしすぎている。


 まるで。

 元から無罪放免にする準備が整っていたような。


 かちり、とパズルのピースの最後の一片がはまった感触。


「そういう、ことか」


 ようやく、自分たちが巻き込まれていたものが何だったのか、その全体像を理解した夏彦は、脱力感と共に呟く。


「俺たちは、撒き餌だったんですね」


 夏彦の言葉に、月は口元を隠したままで、


「大正解ですわ」


 と言う。

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