いくつも呉服店を回る。
月は気に入った和服を見つけるたび、
「これ、どうですの?」
「似合います?」
と、試着しては夏彦に見せてくる。
「似合いますよ」
としか夏彦は答えない。
おざなりに言っているわけではなく、本当にどれを見ても月にはぴったりと似合っているように見えたからだ。
蝶をあしらった青いもの、赤い艶やかなもの、丈の短いカジュアルなもの。
「ほら、これ、これ綺麗ではありませんの?」
試着するたびに、まるで少女のようにはしゃいで月はくるくると回る。
容貌と相まって、幼い従妹と買い物に来たかのような錯覚を夏彦は覚える。
「大人なんだから落ち着いたらいいのに」
夏彦が苦言を呈すると、
「あら、落ち着いてますわよ。落ち着いて、場を楽しんでいるだけですわ。大人ぶって楽しむべき時に楽しめないのは不幸ですもの。わたくしの場合、あまり子どもの頃に楽しめなかったから、余計に今、楽しみたいんですの」
「そうですか。まあ、そのお手伝いができてるから光栄ですよ」
呆れ気味に夏彦が言う。
「ところで、あなた」
「はい?」
「夕食、まだですわね」
「ずっと月先生と一緒に呉服店回ってますからね」
「お礼も兼ねて、ディナーをご馳走しますわ」
にっこりと笑顔で月が言う。
「その前に……これ、気に入りましたわ」
そう言って月は店員にさっきまで試着していた和服を渡す。
「買われるんですか?」
「ええ、もちろん」
いつもの艶やかなものとは違う、月のあどけない満面の笑み。
「ご機嫌ですね」
「ショッピングをして楽しくない女の子なんていませんわ。そんなことも分からないようじゃあ、女の子にもてませんわよ……と、言いたいところですけど、夏彦君は結構もててますわね」
「は? どこが?」
「ちょっと変わった娘に。律子さんとか、つぐみさんとか」
「月先生って結構的外れなことも言うんですね……で、何をご馳走してくれるんですか?」
「あら、あからさまに話を逸らして、つれないですわね……お蕎麦はどうですの?」
悪戯っぽく、月は首を傾げる。
「いいですね」
ようやく呉服店周りから解放される安堵を隠そうともせず、夏彦はほっとした顔でそう言う。
夏彦の携帯での検索と繁華街を歩きながらの探索の結果。
高層ビルの最上階、素晴らしい夜景を見下ろしながら、夏彦と月は蕎麦をすすっていた。
中々の高級店らしく、おそらく夏彦だけならば店の門構えを見ただけで回れ右をして帰っていただろう。
どうも、どこかの老舗の名店がこのビルの中に出店した、という形らしい。夏彦は蕎麦屋に詳しくないので全く分からないが、月は店名に心当たりがあるらしかった。
「京都の古い店ですわ。こんなところにお店を出しているとは知りませんでしたの」
するすると上品に蕎麦を口に入れながら、月が店の説明を行う。
「へえ。確かに、うまいですね。あんまり蕎麦の良し悪し分かる舌持ってないですけど」
蕎麦をすすりながら夏彦が相槌を打つ。
「うふふ。料亭に通っているようなグルメの言葉とも思えませんわ」
「二回しか行ったことありませんよ。まだまだ給料安いんだから」
「……ねえ」
ふと、月が奇妙なほど静かな声を出す。
「はい」
「どうしてわたくしがこの街に来たのか、質問しないんですの?」
「したじゃあないですか、最初に」
「それで、はぐらかされたら諦めるんですの? 一回で?」
「諦めるというか、無理に聞き出そうとして答えるような人じゃあないでしょう、月先生は。というより、会に所属している人たちのほとんどがそうでしょう。だって、エリートなんだから」
夏彦は蕎麦をたぐる手を止めて言う。
「エリート、ねえ」
どこか呆れたような月の声。
「違いますか? 確固たる覚悟でその特別な能力を人のために使うエリートでしょう?」
言いながら夏彦の頭には虎の顔が浮かんだので、
「まあ、中には違う奴もいますけど……それはそれとして」
「あなたは、本当にそう考えてるんですの? そんな、聖人君子か物語の中のヒーローみたいなエリートばかりだと?」
口を袖で隠しながら、遠慮がちに月が訊く。
「え?」
夏彦は目を丸くする。
どうしてそんな質問をするんだろう、と本気で意図が読めない。
「いや、別に聖人君子ばっかりとは思ってませんよ。皆、腹に一物も二物も抱えているんでしょう。だけど……それでもやっぱり、高潔な理想やら目標やらのために頑張ってるんじゃないですか? だからこそのエリートだし、各会はそのエリートの集合体でしょう?」
心底からの夏彦の答え。
しばらく、月は夏彦の真意を確かめるように上目遣いで見ていたが、やがてふっと力を抜いて蕎麦をたぐるのを再開する。
そして、
「その理屈だと、夏彦君もエリートってことになりますわよ?」
と冗談めかして言う。
それを言われて夏彦は慌てて、
「いや、俺はそんな、まだまですけど、でも、少しでもそういうエリートに近づこうとは思って頑張ってる途中です、はい」
そんな夏彦の様子を微笑ましく見守りながら月が、
「どうしてそんなに、エリートになりたいんですの?」
その質問に、夏彦は蕎麦を食べながら考える。
どうして、か。自分ではあまり確固たる答えを持っていないが、他人から指摘されたことはある。
「漠然とした憧れがあるだけですよ」
とりあえず、そう答える。
「それだけで、監査課課長補佐にまでなれるものですの?」
更に突っ込まれた質問をされて、夏彦はコーカの「殻だ」という言葉を思い起こしながら、
「いやあ、逆に言うと、それしかないんでしょうね、憧れしか。他は、空っぽですよ。それしかないから、そのために頑張っているだけです。いや――」
タッカーの顔と、虎の言葉が夏彦をよぎる。
「今は、それだけじゃあないのかな。友達に言われたんですけど、どうも俺は何かの影響をすぐ受ける性質みたいなんで」
「動機も変化している、と?」
「ちょっと情けない話ですけどね。まあでも、基本はずっと一緒ですよ。皆みたいなエリートになりたいって、そんな憧れが原動力です」
照れくさくなって、夏彦は少し顔を逸らしながら言う。
「皆って、例えば誰ですの?」
「皆、ですよ。月先生だってそうだし、副会長……ライドウ先生、雲水会長、胡蝶課長。他の会で言うなら律子さんとか秋山さん……ああ、同い年だけどつぐみちゃんもそうですよ。あ、もちろん、生徒会長だってそうです」
「コーカも?」
「ええ。生徒会長こそ、ザ・エリートみたいな感じじゃないですか」
夏彦の言葉に月は答えず、蕎麦をすする。
だが。
「やっぱり、親代わりとしては嬉しいものですか、月先生?」
表情を見てとった夏彦が突っ込む。
「え?」
「生徒会長のことを俺が評価してるのを聞いて、嬉しそうだったから」
抑えきれない微笑みとかすかに染まった頬を夏彦は見逃さなかった。
「あら、顔に出てましたの? わたくしも修行が足りませんわ」
微笑みのまま頬を押さえて、月は恥ずかしそうにした後、
「……人は、自分を映す鏡」
とぽつりと言う。
自分に言い聞かせるようなその言葉が、夏彦は随分嬉しそうに聞こえて、
「え?」
どういう意味なのかと聞き返す、が。
「いえ、何でもありませんわ」
それきり、月は何も喋ることなく、それでも機嫌よさ気にずっと蕎麦を食べる。
夏彦も何となくそれ以上喋ることなく、黙々と蕎麦を食べる。
そうして、二人の食事は終わり、深夜零時が近づく。
「ご馳走さまです、そろそろ、行きますか」
「そうですわね」
そう言って立ち上がる月の顔には、紛れもない名残惜しさがある。
だが、それが何に由来するものなのか、『最良選択』で強化されていない夏彦の勘では分からない。
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