学生服を着崩した学生たちは、誰もが目を血走らせてた。その一点を除いては、バラバラの集団だ。武器を持っている者もいるし、無手の者もいる。髪を染めている者もいれば、丸坊主の者もいる。ピアスをしている者もいれば、顔中に傷のある者もいる。
彼らは、特別危険クラスの暴徒だった。
暴徒は、興奮している一方で青ざめてもいる。
数的には圧倒的に有利だった。暴徒は数百人いる。自分たちを押さえつけようなどとふざけたことを考える学校を、教師を、そして風紀会とかいう連中を潰す。簡単なことのはずだった。
それが、僅か数人の風紀会役員と名乗る学生によって、手も足も出ず、巨大な軍勢だった暴徒はいくかに分断され、そして今、この暴徒のグループは校庭の片隅に追いやられている。
それでも暴徒は数十人はいる。一方で、それに相対するのは一人の男子学生。有利なのはどちらかは考えるまでもないはずだ。
だが、つい先程、その男子学生に数人が組み付いたところ、その組み付いた数人はいずれも空中に吹き飛ばされた。一人など、そのまま近くにあった校舎に窓ガラスを突き破って入っていった。それも、二階に。
「やべぇ」
青ざめているのは、暴徒を吹き飛ばした男子学生も一緒だった。彼は暴徒ではなく、破られた窓ガラスを見て青ざめている。
「これ、反省文ものだな、おい」
独りごちる男子学生の名は秋山。風紀会の役員だ。
特注の大きなサイズの学生服を着ているが、その学生服が今にもはちきれんばかりだ。二メートル近い体長と、筋肉の塊のような肉体をしていた。丸刈りの髪に潰れた耳。太い首と、それと同じくらい太い顔。目だけが妙につぶらだが、まるで柔道の無差別級日本代表のような見た目だ。
はっきり言って、見た目からして暴徒をひるませるのに充分な上に、先程人を吹き飛ばしたために完全に暴徒は呑まれている。
「くっそ、さっさと片付けて言い訳考えとくか」
がりがりと秋山は頭をかく。
「いかんな。力の使い方がなってない。限定能力は単純な瞬発力強化かな?」
落ち着いた声。
そちらを秋山が向くと、長身の紳士がゆっくりと暴徒と秋山に歩み寄ってくるところだった。
秋山にひけを取らない長身。スーツとコートに包まれているため一見分かりにくいが、よく見れば体格も秋山にひけをとらない、いや下手をすれば秋山以上の筋肉に包まれていることが分かる。
だがしかし、その体格、その筋肉量は明らかに異常だった。それは、年齢に比してだ。その紳士は見た目、明らかに年齢は六十を超えている。
長い蓬髪は完全に真っ白に染まっており、それは眉毛や胸の辺りまで伸ばしてある口髭、顎鬚も同様だった。顔には深いしわが刻まれている。
「こちらは片付いた。おそらく、君のところが最後だ。ここを片付ければ戦争は終了だ」
流暢な日本語。だが、紳士は日本人ではない。
高い鼻、彫りの深い顔、そして青い瞳。ところどころ東洋人的な印象があるにしても、全体として見れば確実に西洋人のそれだ。
突然の第三者の乱入に、暴徒たちは戸惑っている。
「あ、学園長」
慌ててそう言ったのは秋山だった。そう、秋山はその紳士のことをよくよく知っている。
「全く、さっさと済ませるために我々行政会も力を貸したのに、肝心の風紀会が学校の資産を破壊するとは」
ため息混じりの学園長の嫌味に、
「い、いやー、ちょっと力加減間違えちゃって。隠すような能力でもないから言いますけど、学園長の仰る通り、俺の限定能力は単純な瞬発力強化なんすよ。『信頼膂力』の能力名で登録されてるんす」
へへへ、とおもねるように秋山は笑うが、学園長は表情を一切変えない。
「純粋な戦闘能力と限定能力、これらを組み合わせ、コントロールできないとそれ以上の出世は望めんぞ。力さえあればいい世界でないということくらい知っているだろう」
苦言を呈しながら、学園長は身を沈めた。
そして、学園長は消えた。
「え」
暴徒の誰かが、学園長が消えたことに対して疑問の声をあげた。
だが、すぐに気づく。
十メートル程度離れていた学園長と暴徒たちの距離は、ゼロになっていた。
学園長が暴徒の集団、その中心部に立っていた。
「こっ――」
罵声か、それとも驚きの声か。
暴徒の一人は声をあげたが、それがちゃんと発声されることはなかった。
蛇のように、暴徒たちの間をぬうように、学園長は走った。
ただ、それだけ。
なのに、通り過ぎた後の暴徒は、皆、足や腕を押さえてうずくまっていた。手足が、本来とは逆の方向に折れ曲がっている。
「てめぇ!」
数人の暴徒が学園長に襲い掛かる。
掴み掛かり、バット等の凶器攻撃、拳、蹴り。そのどれも、学園長には当たらない。紙一重で全てがかわされる。
代わりに、学園長が無造作に腕を振る。それだけである者は昏倒し、ある者は吹き飛び、ある者は悲鳴をあげて地面でもがく。
あまりにも異常な状況に、暴徒たちは皆、一歩退いた。それにより、残りの立っている暴徒が一塊になる。
そこへ、
「しゅっ」
気合と共に、学園長は、体当たりをする。
「すげえすげえ」
秋山は間延びした口調で感嘆する。
レスリングなどに見られるタックルではなく、その形は八極拳の鉄山靠に近い。背面から当たる体当たり。
秋山は格闘ゲームや漫画ではなく現実で鉄山靠が使われるのを初めて見た。
学園長の鉄山靠は、スピード、そして迫力共に全速力を出しているトラックの正面衝突のようだった。
暴徒たちの一塊にぶつかった瞬間、鈍くそして大きな音と共に全ての立っていた暴徒は吹き飛ばされ、宙を舞う。
空中で何回転かした後で、暴徒たちはどしゃどしゃと地面に落下して、そして動かなくなる。呻き声すらたてない。
「あれ? ……こ、殺しちゃったんじゃないですか?」
自分が力コントロールできてないじゃないか、と思いながら秋山が言う。
「死んでないだろう、多分。死んでたとしてもそんな問題ではなかろう」
と、とんでもないこと言って、学園長は多少乱れたスーツを直す。
「しっかし、さすがですね。噂には聞いてましたけど、学園長の実力。あの、さっきのに限定能力使ってないのってマジなんすか?」
「君」
ぎろり、と学園長は秋山を睨む。
「気軽に限定能力について人に訊くのはあまり賢い行動とは思えんな」
「あ、す、すいません」
自分だってやったじゃん、と思ったが秋山はそれを飲み込む。
「まあ、よかろう。先程の暴徒共を打倒したのは、単に私が格闘能力に優れていただけだ。君の言う通り、限定能力は使っていない。信じるかどうかは君次第だがね」
「いや、信じますよ。伝説の格闘家、理事長の元ボディーガードのことは知ってますもん」
秋山も格闘をやっている人間だ。学園長のことは心から憧れている。
あまりにも外の世界で有名すぎて、ノブリスネームでなく外で使っていた名前をそのまま使うことが許されている男。
かつて格闘の世界で最強の言葉と共に語られた名前。
デミトリ・ラスプーチン。
「保健担当の連中を呼ぶがいい。こいつらをこのままにしておくのはまずいだろう」
学園長は地面に転がっている暴徒たちを顎で指し示す。
「あ、そうすね」
秋山は携帯電話を取り出す。
「しかし、手ごたえがない。今年の新入生はハズレか?」
ぼやく学園長。
彼の記憶では、特別危険クラスの新入生は毎年、一人か二人はこちらを手こずらせる悪鬼の如きろくでなしが混じっているものだ。それが、今年はこんなものか、と落胆している。
この分では、他のクラスの新入生もそこまで大した人材は入っていないのかもしれない。非合理的ではあるが、学園長はそんな風にも思ってしまう。
「……む?」
突然、学園長は身構えると一方向を凝視した。
電話をしている秋山は何も気づいていない。
はるかかなた、遠く離れた第三校舎の屋上から、学園長に殺気を飛ばしている存在があった。
学園長がそれに気づき、お互いの目が合うと、その存在は目を細めた。喜んでいるのかもしれない。
常人であれば豆粒のようにしか見えないであろうその姿を、学園長の目ははっきりと捉えた。
見たことのない男だった。男子学生だ。
長い髪に美しく中性的な顔。それとは不釣合いに、フレームなしの眼鏡の奥にある両目は人を視線で射殺そうとしているかのように吊り上っている。
おそらく新入生だ。
これほどの殺気を振りまいている男を、今まで自分が見逃しているはずがない。
自負と共に学園長はそう思う。
「ハズレ、というのは撤回するか」
学園長は呟く。
屋上の男子生徒の姿は、いつの間にか消えている。
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