最寄の田舎の駅前から、バスに揺られること数十分。
どんどんと人里離れていき、山道を揺られていくことになったが、長く暗いトンネルを抜けると一転、大都会と言っても誇張ではない近代的な都市が現れる。
その都市の中心部、周囲に比べても明らかに規模が飛びぬけて大きい施設の前にバスは止まる。
そう、そのバスはここに直通なのだ。
この学園に。
「--ついに、入学か」
感慨深げに呟き、希望に胸を膨らませ学園の校門をくぐる男の名は渡会夏彦。
同じように学生服を着て校舎へと急ぐ新入生たちの流れの中、その道中でひとり立ち止まり校舎を見上げる。何も知らずに見上げれば、とても校舎だとは思えない、天まで届くように高く、山のように巨大なその建造物を。しかも、その建造物――校舎はあろうことか複数ある。
ついに念願だったノブリス学園への入学の日を迎えて、感激している。
といっても、別にノブリス学園に入学するのに大変な苦労をしたとかいうわけでもない。確かに試験はあるが、その試験の結果によって入学できないということはない。このノブリス学園は、誰であろうと入学することは可能なのだ。
入学すること、だけならば。
ノブリス学園は日本最大のマンモス校だ。第二次世界大戦後、戦勝国である日本が得た莫大な賠償金と、終戦を機に解体されようとしていたいくつもの財閥がどうせならばとつぎ込んだ莫大な資産、それらによって誕生した巨大な学園だ。
日本で世界に通用する人材を作る礎になれば、との願いからノブリスの名は冠せられたらしい。ノブリスは高貴なる者、の意味だそうだ。
さて、莫大な資産が投じられただけあってノブリス学園はまず大きい。いくら山奥の土地だからといってこの広さは異常だ。ひとつの市、とまで言うと大げさだが、敷地の総面積は優に区のレベルだ。
更にそこに立ち並ぶ第一から第九までの巨大な校舎。当時としては最新の建築技術と最高の建材を使用してつくりあげたそうで、デザインこそ無骨なコンクリートの塊であるものの、少しも老朽を感じさせない。もちろん、少しずつ改修や補修はしているのだろうけど。
もちろん、学生の数もそれも見合っている。確か、入学のしおりに書いてあったのは五万人を少し超えている数だったと夏彦は記憶している。
「今年も、二万人以上か」
呟く。
二万人以上というのは新入生の数のことだ。
それだけの学生数を誇ることからも分かるように、このノブリス学園に入るのは実は非常に容易い。入りたい、と希望すればそれだけでいい。前述のように、誰であろうと入れる。
入学試験は存在する。事実として、夏彦はそれを受けた。学力試験、一芸試験、作文試験、そして面接。だが、試験がどんな結果になろうとも、それで入学を拒否されることはない。
クラス分けをされるのだ。
ノブリス学園に入ってくる学生は幅広い。天才、鬼才に狂人、他のどこの学校にも入れなかった外れ者。実に多種多様だ。だから、試験によって徹底的にクラスが分かれる。
上は、最低でも東京大学に行くかオリンピック候補になるようなエリート中のエリートのクラス。下は、冗談でもなんでもなくひらがなで自分の名前を書く練習から始まるようなクラスまで。
もちろん、入学時のクラス分けが絶対ではなく、本人の希望と能力によって在学中に別のクラスに移っていくことは可能だ。
誰もが、隙あらばひとつでも上のクラスに昇っていこうとするという。
その熾烈な競争の結果、途中で落ちぶれ、耐え切れず、学園から去る人間も非常に多い。正確な数字は発表されていないが、噂によると卒業まで学園に在籍するのは新入生のおよそ三割程度だという。
誰でも入れるが、能力によって徹底的に差別される学園。それがノブリスだ。だからこそ、普通の人間はこの学園を選ばない――もっと安泰な道がいくらでもあるからだ。
逆に、こんな学園に入るのは、どんな連中だろうか。
ひとつは、自分の能力に絶対の自信を持っている連中。ノブリス学園のエリートクラスの出身者の多くは政財界の高みに君臨している。自分の能力を証明し、エリートクラスで卒業をすれば、OBやOGが上から引っ張り上げてくれる。政財界を動かす立場に行くことが約束されるのだ。
ひとつは、金銭的な理由からこの学園を選んだ連中。能力さえあれば奨学金以外にも支援金や授業料の免除の面でかなり優遇されるこの学園は、ある程度の能力を要求されるのと引き換えに金銭的に優しい学校にもなりうる。要求される「ある程度の能力」というのが非常に高いレベルであることは問題だが。
ひとつは、他の学校から拒否され、この学園以外にいくところをなくしてしまった連中。拒否されたのではなく、様々な理由から普通の学校に行くのを自ら拒否した連中もいる。
そうして、ひとつはノブリス学園というブランドにただひたすらに憧れる連中。つまりは、夏彦のような。
学生の質にピンからキリまであるとはいえ、国内の重要人物の中にノブリス学園の出身者が多いことから、ネームバリューは非常にある。更に全寮制で、中々実態が外に出ないことから一種の希少価値、神秘性すら帯びている。設立の経緯こそ特殊であれ、現在は一応は私立ということで多少授業料が高いこともそれに拍車をかけた。
つまり、ノブリス学園自体には賛否両論あるだろうが、その名前にどうしようもない魅力があるのは誰にも否定できないわけだ。
だからこそ夏彦も、得意でもないのに必死で勉強をして、少しでも上を目指すから、と大見得を切って親を説得してまで、ノブリス学園への入学の許可を勝ち取った。
結局、勉強の才能がないのか、必死で勉強したもののそこまで入学試験の出来はよくなかったが。とはいえ、何とか上の下くらいのクラスにはひっかかっている、はず。
まあ、なんにせよ、ついに入学だ。
いくつもの巨大な校舎を仰ぎ見て、物思いにふけっていた夏彦は思ったよりも時間が経っていることに気づく。
まずい、ぼーっとしすぎた。
入学式は新入生の数があまりにも多いので、それぞれの教室で行うという。
夏彦は鞄から入学のしおりを取り出し、挟んであった自分の入学資料を確認する。
1-90か。
これは、一年生の90番目のクラスを意味する。90番目。
可もなく不可もなく、だ。それなりに頭のいい奴なら、別に勉強しなくても入れるレベルのクラスだ。必死で勉強してこの程度か、と少々落ち込んだりもしたが、まだまだ、これからだ。いくらでも上に昇るチャンスはある。なにせ、ここはノブリス学園なのだから。
入学のしおりの地図をあわせて確認する。来る前にバスの中でも何度も確認したが、一応最終確認だ。
間違いない。1-90は第二校舎の三階だ。
よし、行くか。
夏彦は足取りも軽く走り出す。
彼は知らなかった。
ノブリス学園の闇を。
学園内の権謀術数渦巻く闘争を。
学園を支配する六つの会を。
その六つの会に所属する怪物たちを。
怪物たちを従える六人の王を。
自分が、これから何に巻き込まれていくのかを。
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