甲グループの本戦が終わり休憩に入る。
「じゃあ、行きましょうか」
固い表情でつぐみが言う。
「――ああ」
どこに、かは聞かないでも夏彦には分かった。
タッカーに、話を聞きに――場合によっては問い詰めて、その場で確保しに、だ。
だが夏彦とつぐみが行く必要はなかった。
休憩に入ってすぐに、アイリス、タッカー、律子、秋山が会場から降りて、二人のもとまで近寄ってくる。
「ね、ね、す、凄いよね、負けちゃったけど、あ、アイリスちゃんとタッカー君の組、決勝だよ、決勝」
何も気づいていないらしい律子が、開口一番そう言ってくる。
「ああ、そうですね。凄いですよ、全く」
とりあえず夏彦は話を合わせる。
「いやあ、でもあの審査員分かってないっすよね、基本の味がしっかりしてないとか。俺が味見した時にはばっちりだったっすよ」
「そ、そんなこと言っても、秋山君……結構、あ、味音痴じゃ、ない。信用できない」
初々しい律子の突っ込みに、秋山はにやにやと笑う。
「まア、これデあたシの料理が世界に通用すルコとが分かったよね」
「世界とは大きくでたね。で、また、あの肉じゃがも懐かしいね。例の星空の下、あのやたら腹にたまる肉じゃが食べた覚えがあるね」
朗らかに言うタッカーだが、右手に深くついた噛み跡からは、血が滲み続けている。
そして、目でこちらに語りかけている。
今、この場では余計なことを言うな、と。
それを見て、夏彦は暗澹たる気分になる。
「……あ、タッカー君、怪我してるね、どうしたの?」
白々しく、さも今気づいたかのようにつぐみが訊く。
「あ、ああ、これね……」
「ソウそウ。料理中に突然テを噛みダしたからびっくりしたワ」
笑うアイリス。
「いやあ、緊張しちゃってね。ついつい訳の分からない行動をとっちゃったね」
軽く言い放って、だがひんやりとした目でタッカーがこちらを見てくる。
「……そう」
言ったきり、つぐみは黙る。
迷っているのか、と夏彦は気づく。
結局、タッカーが犯人だという証拠はどこにもない。つぐみの限定能力によるらしいあの行動さえ、こういう風に言われればそれ以上追及する方法がない。
だが、つぐみに限ってこの展開を考えていなかったということはありあえないだろう。だから、今黙っているのは、つまり考えていた次の手を打つべきか打たないべきか、という迷い。
つぐみが平静を保ちながらも、眉が苦しそうに寄せられているように夏彦には見える。
汚れ役と慰め役どっちがいいか、と。
虎のセリフが蘇る。
「ああ、あの――」
苦しんでいるつぐみを見ていられなくて、何でもいいから話そうと夏彦が口を開くが、
「その」
それを、つぐみに遮られる。
「約束してくれる?」
あまりにも唐突なつぐみの言葉。
多分、何も知らなければ、突然何を言っているんだと目を丸くするだろう。現に、アイリスに律子、秋山は戸惑っている。
だが「その約束とやらがどうもつぐみの限定能力と関係しているらしい」と分かっている夏彦には、その意図が読み取れた。
つまりこれは、自爆攻撃みたいなものだ。自分の限定能力の情報をばらしていく代わりに、相手をもう一度追い込むための。
「約束って、何を?」
不思議そうな顔をして、タッカーが問い返す。
そうだ、何を約束するんだ?
夏彦は不思議に思う。
詳しいことは分からないが、どうもその約束を破ったら何かが起こるらしい。だが、その何かは結局自分の口で手を噛む程度のもので、それはさっきのように誤魔化されてはどうしようもない。
続くつぐみの言葉は、予想外のものだ。
「夏彦君と喧嘩しないって」
「はあ? 何すか、それ?」
あまりの意味不明ぶりに、関係ないはずの秋山すら声をあげる。
「……それは」
口ごもって、タッカーが夏彦を見る。
そうか、と夏彦はつぐみの意図を理解する。
もうタッカーは、こちらがタッカーを疑っていることに気づいているだろう。だからこそ、だ。この約束をしてしまえば、この先、俺とタッカーが戦うことになった時にタッカーが圧倒的に不利になる。なにせ、戦闘の最中に自分の手を噛むはめになるのだから。一時的なものとはいえ、最大の隙だ。そして、俺がタッカーを疑っている以上、戦闘になる確率は決して低いものではない。
現に、タッカーは迷っている。
そうして、戸惑ったような口調で、
「やだなあ、そんな約束する必要はないね。だって、俺と夏彦君が喧嘩するなんて考えられないもんね」
「その、なんか、実は昨日、夢で二人が喧嘩するのを見て、それで、そうなったら嫌だなと思って。お願い、とにかく約束して。あたしを安心させると思って」
いくらなんでも無茶苦茶だ、と夏彦はつぐみの言い分に呆れる。
だが逆に言えば、無理矢理に力づくでタッカーを追い込んでいる。
「……うーん、そうね」
だが、タッカーは予想だにしない方向から反撃してくる。
「できないね、そんな約束は」
「えエ? どうシテ? タッカー、あンた、喧嘩するツモりなの?」
「そんな気はないよ。でも、人生どう転ぶか分からないからね。お互いに悪いことしてなくても、喧嘩することはあるかもしれないよね。俺、約束破りたくないからね」
「……じゃ、じゃあ」
完全に言い負かされた形のつぐみは、
「わ、悪いことしないって、約束してっ!」
と無茶苦茶なこと言う。多分、自分でも何を言っているか分かっていないのだろう。単なる苦し紛れだ。
「分かった、分かったよね。悪いことはしない、約束する」
駄々をこねる子どもを安心させるように、優しくタッカーは言う。
さっきとは違い簡単に約束するタッカーに夏彦は違和感を抱く。
「さて、ちょっと喉か湧いたからジュースでも飲みに行くね」
そう言って、タッカーは去っていく。
「あ、俺も行くっす」
と秋山が着いて行く。
「あ、あの、つぐみちゃん、大丈夫? な、何かおかしいけど」
残った律子が心配する。
「あ、だ、大丈夫です」
ははは、とつぐみは笑うが、傍から見ても空元気であることが分かる。
「……ナンか、タッカーもちょットおカシかったね」
アイリスが訝しげにしている。
鋭いな、と夏彦は感心する。
いや、俺が鈍いのか? 俺の勘は、どうなっちまんだろう。この期に及んでも、まだ、タッカーが犯人じゃあない気がしてしまう。
また、ノブリスネームについて語り合った日の光景が蘇る。
「……俺もちょっと、ジュースでも飲みに行ってくる。ちょっと遅れるかもしれないけど、ガールズトークに花を咲かせてくれ」
そう言って、夏彦は会場を後にする。
向かう先は、食堂。
今の自分の疑問を解決するためには、虎の話を聞くしかないと決心する。
食堂の片隅で、虎はホットコーヒーをその大きな口でぐびぐびと飲んでいた。
「ああ、遅いぜ」
近づいてくる夏彦の姿を見つけると、虎は笑って手招きしてくる。
「あんまり好きじゃないのに、もうコーヒー三杯目だ。まったく、もうちょっとで体内の水分が全部コーヒーになるとこだったぜ」
夏彦は虎の軽口につきあわず、無言で正面に座る。
「ははっ、気合、入ってるじゃないか」
「教えてくれ」
開口一番、夏彦は言う。
「いいぜ、で、何を?」
一応、周囲に人がいないことを確認してから虎が促す。
「知ってることを全部だ。どうしてお前がそれを知ってて、俺に教えるのかも、全部」
「そりゃあ……」
残っていたコーヒーを一口で飲み干し、虎は笑う。
「大仕事だな。まあいい、その代わり、今回のことでお前が知ってることを俺に教えろ」
等価交換というわけか。まあいいだろう。
夏彦はすぐに決断する。
もとから、そこまで隠すほどの情報を持っているというわけでもない。
夏彦は話した。どうして自分がこの大会に関わるようになったのか、どうして不正に気がついたのか、そして現在の状況。全てを。
「なるほどね」
訊き終えた虎は腕を組んで唸る。
「むしろ、俺が教えることなんてあんまりないくらいのレベルだな。いや、油断できないなお前には」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。特に、お前が生徒会長を納得させるための仮説だ。その仮説、当たらずとも遠からずだぜ。よくぞそれだけの情報から、そこまで事実にかすっているレベルの話を作れたもんだな」
と虎は感心している。
「あの無茶苦茶な話がか?」
「いやいや、いいセンいってるぜ」
虎はゆっくりと首を回す。
「少なくとも目的はあってる。つまり、今回の不正の直接的な目的は――」
「生徒会長への攻撃、それが正しかったってことか?」
「おう」
あっさりと虎は頷く。
「で、それをするのは誰なのかも分かってんだろ?」
当然だ。
夏彦には予想できる。
ピンポイントで生徒会長を狙って、一番得をする人物。つまり、現在派閥として対立している人間。
「副会長か」
「さすがに予想つくよな、それくらいは」
「けど、生徒会長は、前の事件で生徒会を掃除して、もう不穏分子はいないって言ってたぞ」
あれは、コーカの自信過剰だったというのか。
「それも間違ってないな。まあ、今回のことは本当に偶発的に起きたんだと思うぜ。それにな、生徒会長を初めとする各々の会の役職者が、今回の件をどう扱うべきか迷ってるのも分かるんだよ。実際、奴らの予想とすりゃ、大掃除でもう学園内に残ってる不穏分子は微々たるもので、大した力がないはずだからな」
「だが、実際はまだ力を持っていたわけか」
話の流れを読んで夏彦が言うと、
「いや、逆だ。そいつらの考えは間違ってない。不穏分子どもは本当に力をなくしたんだよ。だからこそ、この事件が起きたんだぜ」
と、虎は答える。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!