ネズミとかいう風紀会人事官は、秋山・虎ペアがやるらしいから、自分たちは普通に現場検証から行おう、ということになった。
夏彦と律子は、まずはライドウが法廷にしたあの教室に向かう。
律子曰く、まだあの教室は事件現場として封鎖されているとのことで、他の生徒はいないから調査はすぐにできるらしい。
取調室のあった建物から出ると、車に乗せられる。何と運転は律子だ。
「ちょ、ちょっと、いいんですか、こんな、運転免許持ってるんですか?」
持ってるわけがない。そもそも年齢的に無理だろう。
「ここはノブリス学園の敷地内。ここで運転をする分には問題ありません」
すらすらとマニュアルを読むように流暢に律子は答える。事実、読んでいるのだろう。
フェンスで封鎖された区画を出て、二人は事件のあった教室に向かう。
あの時は、夏彦はライドウを必死で追っていたためよく覚えていなかったが、どうやら現場の教室は第六校舎の三階らしい。
校舎のすぐ横にある職員用の駐車場に車を停めて、二人は現場に行く。
授業時間らしく、校庭や廊下を歩いている生徒は少ない。
「そうだ」
ふと夏彦は思いつく。
「ライドウ先生に電話してみようかな」
もう携帯電話が使えるわけだ。情報交換をするのもいいだろう。
「あっ、やっ、やめ、といた、方、が……」
律子が言うので、夏彦は怪訝な顔をする。
「え、どうしてですか?」
「だ、だって……ライドウ先生は高等裁判人だから、こういうのに関わると、マズイかな、って……」
「ん? え? ひょ、ひょっとしてライドウ先生って、結構立場上の人なんですか?」
「あっ、ううっ、そ、そうだよ。高等裁判人だから、その、司法会の上位二十人のうちの一人には、入ると思うけど」
マジかよ、と夏彦はびっくりする。
てっきり、役職がついたばっかりの人かと思ってた。だって、若いし態度が適当っぽいから……。
しかし、結構高い地位だとしたらこっちとしても巻き込みにくいし、向こうとしても面倒だろう。律子さんの言いたいことも分かる。
夏彦は納得して、そして悩む。
だとするとどうしようか。仲間は一人でも多く欲しいんだよな。もっと自由に動ける立場で、情報をくれたり協力をしてくれたりしそうな人物。
そもそも、連絡を取れる相手が限られてる。俺のスマートフォンに番号が入ってるのは――
「あ」
そこで思いついて、夏彦は電話をかけてみる。
数回の呼び出し音の後、
「はーい、もしもし。授業中に電話かけてくるかねぇ。まあ、俺は授業出ずに自習してたからいいんだけどさあ」
間延びした口調で、サバキが電話に出てくる。
時間がもったいないので、行儀は悪いが夏彦は廊下を歩きながら今の状況を説明する。
サバキは大体のところは知っているらしく、落ち着いて話をきいてくれる。
「つーか大変な騒ぎになってるもん、実際。だって、裁判をめちゃくちゃにしたんでしょ、君とライドウ先生だけじゃなくて風紀会と生徒会の人を襲ってまで。はっきり言って、それって司法会だけじゃなくてノブリス学園全体、六つの会全てに喧嘩を売ってるよねー」
「あー……やっぱりそういうものか」
「そりゃそうだよ。裁判中に裁判官と議員と警察官襲って裁判めちゃくちゃにした事件を考えてみればいいよ。国への挑戦だし、国のどの機関だって必死になるでしょ」
非常に分かり易い例だな、と夏彦は無邪気に感心してしまう。
こういうところで分かり易い例を出せるところが、サバキの頭のよさ、スマートさを如実に表している。
「で、俺に何してほしーわけ? 俺、今は平社員だし新入生だから、大したことできないかなーっておもうんだけどさー」
「そうだな」
何をしてもらうか、少し夏彦は考える。
大体、こいつの言うようにほとんど同じ立場の力のない新入生なわけだ。何ができるだろうか? 一人では何もできないんじゃないか?
そこで思いつく。そうだ、サバキが人と協力し易いことであればいい。誰もが疑問に思うことを調べてもらうなら、まだやりようはあるはずだ。
「調べて欲しいことがあるんだ。今回の件、いくらなんでもつぐみちゃんが拘束されたのとか、俺や虎が疑われてるの、いくらなんでも乱暴だろ?」
「ああーそうねー。おかしいって意見は結構出てるみたいねー」
「どうも、公安会が動くのをびびってるって話なんだけど」
「えー? よく知らないけど、これくらいで公安会って動くものなの? それにびびってるっていうのもよく分かんないなー。そんなに風紀会って後ろ暗いわけ?」
「そうなんだよ。で、それをちょっと調査して欲しいんだ。他にも変だなって思ってる奴ら沢山いるんだろ?」
「まーね。おっけー、やってみるよ。貸し一つだからなー」
そうして電話は終わった。
電話が終わるタイミングで、先を歩いていた律子は立ち止まっている。
「この教室」
短く言って、律子はドアの前に立つ。。
目は鋭くドアの中を窺っている。
「よし、いきますか」
気合を入れなおすと、夏彦と律子は現場となった教室に入る。
教室は、既に何もない普通の教室だった。
あの事件の痕跡は何も残っていない。血の跡もなければ、机も乱れていない。直していたから当たり前だが。
来てみたのはいいが、果たしてここで何か見つかるか?
「じゃあ、調べてみますか」
一応教室をうろうろするが、別に何もない。
無駄だったか、と思いながら、一応あの事件があった時の黒木の立ち位置に移動して、夏彦は教室を見回してみる。だが、何もひらめきは産まれない。
そうだ、こんな時こそ勘でいくか。
夏彦は『最良選択』を起動させる。
そして、その上で周囲を見回す。
勘を頼りにするだけじゃあ駄目だ。精一杯、この足りない頭で考えないと。
夏彦は、あの時のことを思い出す。
あの時、黒木はここに立っていた。そして、ここから前を向いていた月先生を刺して――
「ん?」
何か違和感がある。勘だ。
だが、何だろう? 何が気にかかる?
ここに立って、後ろから月の喉を刺した。
どういうタイミングでだ? もちろん、全員の気が緩むタイミングを見計らってだ。それに、仲間である秀雄とアイコンタクトでも何でも、これから事を起こすと合図しなければならない。だからこそ、皆が月先生が刺されのと同時に秀雄が秋山さんを燃やしたんだろう。
合図しないでも状況が変わった瞬間に行動できるような奴だったら別だけど、秀雄ってそんなタイプには見えないというか、ぶっちゃけそこまで有能な奴には見えなかった。
とすると、と夏彦は考えを進める。
目か何かで合図してから、黒木は月先生を刺した。
……ん?
合図してから刺した。多分、合図して即刺したはずだ。時間差があったら合図の意味がない。合図とほとんど同時に刺したくらいだろう。
「……律子さん」
「うぇえ!? なっ、何?」
さっきまでクールな様子で教室を歩いていた律子は飛び上がって驚いている。
「不意打ちで刃物で人を刺すのって、難しいですか?」
刃物ということで、夏彦は日本刀使いの律子の意見を訊いてみる。
「えっ、ええ? そ、それは、ううっ、訓練なんてしないでも、不意打ちなら簡単だと、思う、けど」
「他のことに気をとられていても? 例えば、ほとんど同時に誰かに合図をしていないといけなかったりとか」
「う、ううん……でも、相手気づいてないなら、刃物を突き刺すのは他に意識があっても、できる、かなあ……?」
「ちなみに、突き刺すってどこを?」
「えっ、どこって……胴体……お腹とか……背中とか」
「首はどうです?」
「首!?」
その驚き具合から、律子は月が首を刺されたことはしらないらしいと夏彦は確信する。月は怪我すらしていなかった。自分は攻撃を受けていない、とでも風紀会に報告したのかもしれない。
「く、首って……大体、人を刺す時、首ってあんまり狙わないと思うん……だけど。そ……それも、不意打ちでしょ? 首を掻き切る……とかなら分かるけど……刺すって、ううっ。おまけに、何かしながら狙うなんて、無理だと思う」
「しかも後ろから」
「後ろから、首? い、いや、あんまり聞いたことないし、変だと思う。そんな気がする」
やはり、律子さんから見ても首を狙って刺すのは不自然か。特に、意識が他に行っている状態では。
夏彦は考え込む。
どう考えればいい? 適当にやった? いや、あいつは秀才タイプだって言われているし、あの一連の流れは計画されたものだ。適当にするはずがない。
一撃で確実に殺せるように? それなら後ろから胸のある辺りを突き刺せばいい。それだって致命傷だ。むしろ、合図をしながら首を突き刺す方が失敗して殺せない確率が高いだろう。
そもそも、月先生を殺すのが目的じゃないだろう。だって、あの場に月先生が来るかどうかなんて――
「あっ」
そこで、夏彦は別のことにはっと気づく。
「律子さん!」
「ひぃ! ど、どしたの?」
「例の黒木って男のトレーナーというか教育担当が月先生だったってことでいいんですか?」
「え、う、うん。そうだよ?」
となると、そっちもアリだな。
そこからでも調べられる。
しかし今はこっちだ、と夏彦は切り替える。
首の問題だ。どう考えても首を狙う合理的な理由は見つからない。
黒木が首にこだわりを持っていた、という妙な理由でもない限り――
それだ。
頭で理解するよりも早く、夏彦はそれが正解だと思った。同時に、今までの黒木の人となりについての証言が浮かんできて、勝手に頭の中で結びついていく。
そして頭に浮かぶのは、あの時、首から突き出した刀身が震えていた映像。
少ししてから、ようやく夏彦はそれがどういう意味なのかを理解する。
そういうこと、か。
けど、これは憶測だ。根拠にも乏しい、勘で作った物語だ。
それに、そう考えると新しい疑問が湧いてくる。
いつ、どこで?
いや、それは決まっている。しかし、じゃあどうやって?
「な、夏彦……君?」
考え込んでいる夏彦に、おどおどと律子が近寄ってくる。
「え――ああ、どうしたんですか?」
「あ、その、電話、鳴ってる?」
「え――あっ」
携帯電話が着信音を鳴らしているのに、考えに没頭しすぎて全く気がつかなかった。
慌てて電話に出る。
「もしもーし、サバキです」
「ああ、サバキ、ひょっとして、もう何か分かったのか? 早いな」
さっき協力を頼んだばかりなのに。
「いやー、それがさー、調べようと思ったことのひとつが、凄い簡単に解けちゃったからさー。どうして公安会が動くかってやつ。実は、俺のクラスメイトが外務会にいるんだけど」
サバキはエリートクラスだ。クラスメイトがどこの会にいても不思議はない。
ということは、俺は本当にうってつけの人物に協力を依頼したわけだな。
夏彦は自分のことながら感心する。
「そいつに訊いたらさー、どーも、外務会が公安会に警告してたみたいなんだよねー。今回の新入生が起こす事件には気をつけろーみたいなことをさ。詳しいことは分からないけど」
――繋がった。
夏彦は、自分がある程度事件に迫ったことを確信する。
「そうか、なるほど」
「ま、引き続き調べてみて何か分かったら連絡するよー」
「ああ、サバキ、悪いんだけどもうひとつ、こっち優先で調べてもらっていいか?」
「え、何?」
そうして夏彦はあることを調べてもらうようにサバキに頼み、礼を言って電話を切る。
「――さて、律子さん、外務会の人と連絡取れますか?」
「えっえっえっ、が、が、外務会?」
不安そうに電話が終わるのを待っていた律子は、予想外の言葉に混乱する。
「ええ。なるべく立場が上の人かつ、信用できる人、いけます?」
「あっ、あっ、あ……い、いるけど……」
「じゃあ、俺が会いたがってるって連絡してくれませんか? そうですね――」
そこでいったん、夏彦は言葉を切り。
「――黒木のことで話がある、とでもしてください」
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