ふと気がつくと、もうアイリスたち四人の姿がなかった。
あれ、と夏彦が見回すと、つぐみが憂鬱な顔をして寄ってくる。
「電話、どこからだった?」
「ああ」
手早く、簡潔に夏彦はつぐみに電話の内容をまとめて伝える。
「ふぅ」
聞き終わったつぐみは、疲れた息をもらす。
「どうしよ、話盛り上がっちゃって、もうすぐ休憩終わるよ」
「え? ああ、だからもう皆いないのか」
どうやらアイリスたちは選手控え室の方に向かったらしい、と夏彦は気づいて時計を確認する。
確かに、あと十分程度で本戦が開始する。
「結局、本戦まで何もできなかったな……」
ぎりり、と。
夏彦は自分が歯軋りをしていることに、その音を聞いて気づいた。
どうも、意識している以上に、自分の無力さに参っているようだ。
「一応、手を打ったのは打ったわ。でも、どうかしらね」
つぐみの憂鬱な表情は変わらない。
それにしても、手を打ったって何のことだ?
疑問に思う夏彦の頭に、いやにしつこく約束を取り付けようとしていたつぐみの姿が蘇る。
「ああ、あれか――あれが、お前の限定能力か? いや、いい、答えなくて。悪いな、疑問に思ったら口に出るタイプなんだ」
慌てて言い訳する。ここでつぐみといざこざを起こす気なんて夏彦にはまったくない。
「ノーコメント、と言いたいところだけど、あれだけあからさまにしておいて隠すのも変よね。生徒会長のとこでも同じようなことしちゃったし。ご想像の通りよ、詳しいことは秘密だけど」
「そうか――」
それで、夏彦にもつぐみの憂鬱の理由が分かる。
「よりによって、手を打てた相手がアイリスとタッカーだもんな。打った手が、無駄になることを祈るしかないわけだ」
あの二人が犯人だなんて、疑うのすらつぐみには苦痛なのかもしれない。
ふと、夏彦はそう思う。
「でもね、あたしも伊達や酔狂であの二人に手を打ったわけじゃなくて--ねえ、夏彦君、タッカー君、ちょっと様子がおかしくなかった?」
「ああ、正確には、大会が始まる前からおかしかった。だけど……」
けど俺にはタッカーが犯人側だっていう気は全くしないんだ。
そう言おうとして、それではあまりにも根拠がないので夏彦は途中で口を閉じる。
いや、実際には根拠はある。勘だ。限定能力で強化された勘。だが、それを軽々しく説明するわけにもいかない。
お互い、限定能力をそうそう簡単に語るわけにはいかない。
「……俺には、タッカーが料理で不正するような奴にはどうしても思えないんだ」
結局、夏彦はそう言った。そして、ある意味ではそれこそが夏彦の感じていることそのままでもあるのだ。
「言いたいことは分かるけどね、あたしも、さっき楽しそうに思い出の料理話してるタッカー君とアイリスを見てたら、馬鹿みたいな心配してるなーと思ったもの」
「ああ……」
それには、夏彦も全く同感だ。
「でも、あたしはやることを、できることを、やるべきことをするだけよ」
自分には負い目はない、とばかりにつぐみは背筋を伸ばして堂々と言う。
「自己嫌悪が酷そうだな」
「何のこと?」
意地を張るようにつぐみは平気な顔した。
自分が必要だと思ってしたことをもって、自己嫌悪しているなど、決してつぐみは認めないのだろう。
それでも、つぐみの表情が夏彦には痛々しく見える。その表情が、何よりも雄弁に語っていた。
「どうしたもんかな……」
呟き、こんな時に他の奴ならどうするだろうかと夏彦は思い浮かべる。
今、ここにいない連中だったら、俺の立場だったらどうするだろうか。
サバキだったら、こんなことで悩んだりしなそうだ。人脈を活用して、駄目ならきっぱりと諦めそうだ。
ライドウ先生は、こういうのはうまくやりそうだな。まあ、今となっては副会長だから、純粋に力で解決できるのかもしれない。少なくとも、俺がやったみたいな綱渡りで責任負うようなことにはならない。
胡蝶先生は、そもそも俺の立場になる気がしない。面倒ごとがあったら、前もって潰しておくタイプだ。俺に釘を刺したように。
虎は--
「そういえば、虎がいないな」
「そうね。確かに、同じ料理研究部なんだから、見に来てくれてもいいのにね--というより、来てるんじゃない? あたしたちが見つけてないだけで」
「そうかもな。けど、本戦出場するアイリスたちに声もかけてないみたいだし、薄情だな」
「誰が薄情だ失礼な。俺は、集中したいだろうと思って遠くから見守ってただけだぜ」
声に驚く夏彦とつぐみが振り返ると、後ろに虎がにやけて立っていた。
「よお、お二方。俺がいなくて寂しそうだったから、声かけてやったぜ」
くるくると、金色の髪を指でいじりながら虎は笑う。
「虎か……今までどこにいたんだよ?」
「ん? 俺なら観客席で普通に見てたぜ。しかし夏彦とつぐみちゃんは目立つなー、ちょろちょろと妙な動きばっかしてるから。教員室に行ってただろ」
「ああ……」
肯定しつつ、夏彦はつぐみと視線を交わす。
どこまで虎に話すべきか。なるようになるか、別にばれても虎ならそこまで大事にはならないだろうし。
一瞬のうちに、アイコンタクトでそう決める。
「あたしたちはいいとして、応援してあげないの、あの四人に?」
つぐみの問いかけに虎は、
「だから言ってるじゃねーか、俺は気を散らせないためにあえて遠くから応援してたんだぜ。会いたい気持ちをぐっとこらえてだな……ん、ああ、おい、見ろよ、対戦表の発表だぜ……あらら」
苦笑する虎の視線を辿ると、夏彦の目にも会場に張り出された対戦表が映った。甲グループと乙グループに分かれている対戦票を見て、虎の苦笑の意味が分かる。
「あーあ、同じグループか」
甲グループにアイリス、タッカーペアと律子、秋山ペアの両方の名前があった。決勝進出をかけて、あの二組が争うことになってしまったようだ。
司会の呼びかけが始まり、とうとう本戦開始ということで会場に再び観客が集まり始める。
「さあ、ではまずは甲グループの選手の発表です。第一料理研究部のエースが昨年に続いて出場です。君島、リボンペア!」
選手紹介が始まり、視界の呼びかけと共に選手は一歩前に進み出て、軽く頭を下げる。君島・リボンペアは去年出場している経験が活きているのか、緊張した様子を見せずリラックスしているようだった。
「続いて、第三料理研究部に所属、アイリス・タッカーペア。両者とも一年生のコンビですね。それで本戦まで進むとは中々の逸材です」
アイリスとタッカーが前に出て礼をする。あの二人も緊張している様子はないが、これはあまりにもマイペースなためだろう。
夏彦の目には二人ともこの晴れの舞台でぼんやりしすぎているようにすら見える。
「続いては……なんと、こちらも第三料理研究部所属です! 去年まで名前を聞いたことすらなかった第三料理研究部、今大会の台風の目となるのでしょうか。律子・秋山ペア!」
これまでの二組とは対照的に、この二人はがちがちに緊張していた。律子は手と足が一緒に動いているし、秋山は笑顔が鬼の面のようにひきつっている。
「さて最後は料理とは関係ないサッカー部と帰宅部のペア、上杉・小豆ペア。あくまで趣味の料理でここまで進んできたこの二人が、果たしてどんな料理を見せてくれるのでしょうか!?」
司会のハイテンションとは裏腹に、名前を呼ばれた二人は戸惑いながら前に出て礼をした。
どうも、自分たちがここまで進むとは思わずに大会に参加したら、あれよあれよという間に本戦まで出場してしまったという感じだろうか。
「さて、それでは本戦、甲グループの課題を発表します。課題は、『肉じゃが』です! ただし、普通の肉じゃがではなく創作肉じゃが。見たこともないような肉じゃがをお願いします」
テーマの発表とともに観客が一斉に拍手する。
「それじゃ、四人の活躍を見守るとしましょう」
そうつぐみが言うが、夏彦には活躍を見守るというよりも監視をするという意味合いが強く感じられた。
つぐみがさっき限定能力で何かしら仕掛けたことは分かっている。その仕掛けが発動するかどうかを見張るのだ、とつぐみは言外にほのめかしている。
そして、それに苦しんでいる。少なくとも夏彦にはそう見える。
つぐみはどこか、苦しげな顔をしている。
後で責任を被ることになろうとも、知り合いから犯人が出て欲しくない。それが、夏彦とつぐみの正直なところだ。
「なあ、おい、夏彦よ」
そんな二人の気持ちを知らずに、唇をめくりあげるように笑いを作って虎がそっと語りかけてくる。夏彦にだけ聞こえるように。
「……何だよ?」
「二択だぜ。どっちがいい? 汚れ役か、慰め役か」
「――は?」
意味が分からず、夏彦は虎を見る。
虎は面白そうな目をして、こちらの目を観察するように覗き込んでいた。
「アンケートだ。つぐみとお前がどっちかの役をしなきゃならないとしてよ、どっちがいい? どっちが慰め役で、どっちが汚れ役だ?」
意味は、全く分からないが。
「そりゃあ……汚れ役かな」
「ほう、そりゃまたどうして」
「どうしてって……」
困って、夏彦は会場に視線が釘付けになっているつぐみを見る。
「……真面目なつぐみちゃんを汚れ役にするのは無理だろ」
この優等生に。
友人を疑うだけで、ここまで苦しむ奴に、汚れ役ができるとは思えない。
「もっとも、真面目だからこそ、もしつぐみちゃんに選ばせたら一番つらい汚れ役を選ぶと思うけどな」
というよりも、今現に汚れ役をしている。友人に罠を仕掛けるという汚れ役を。
似合っていないのに。
「なるほどな、ははっ、そりゃそうだ。違いない」
手を叩きながら、虎は口の端を更に吊り上げていく。
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