超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

記憶の呼び声2

公開日時: 2020年12月30日(水) 17:00
文字数:4,291

 夕暮れの道。


 不意に蘇った記憶の一片について思い返しながら、夏彦はぼんやりと歩く。


 だが、寮が近くなり、人通りが少なくなった曲がり道で、その足が止まる。


「ち。帰り道で、こんなのと会うことになるとは」


 夏彦はぼやく。


 その目の前に長い影を引きずるようにして立つのは、フードで顔を隠した体格のいい男。


 だが、顔を隠していても夏彦には誰なのか見当がついた。勘に頼るまでもなく。


「大倉」


 呟くような夏彦の声は、しかし、


「ふん」


 確実に大倉に届いたようだ。


 鼻を鳴らした大倉は、こきこきと首を鳴らして、


「夏彦。とんだ様に成り果てたな。お前を潰す大義名分がなくなっちまった。レインさんにも、もうお前に構うなって念を押されたしよ」


「じゃあ、今日は挨拶しに来ただけ?」


「まさか」


 引きつるような笑みを浮かべて、大倉は一歩踏み出す。


「俺が、大義名分がなきゃ暴れられない男だと思ってるのか」


「だよね」


 そして、唐突に路上の決闘が始まる。


 大倉の攻撃は、代わり映えのしない、単純なものだ。


 全力で踏み込んで、全力で殴りつける。

 ただ、それだけ。

 だが、その速度、威力ともに恐ろしい。


 更に、限定能力『人間強度アンブレイカブル』があるがゆえに、その攻撃は人間が無意識に身体の負担を避けるためにセーブしている領域を超えた、無茶な軌道を描く。


 だからこそ、これまでの対人の経験を集約しての『最良選択サバイバルガイド』では、この攻撃に対処できなかった。


 けれど、それはかつての話だ。


「相変わらずだ」


 夏彦はその攻撃を避ける。


 一度、この攻撃は経験している。それなら、対処できる。


 普通なら死亡、良くて再起不能のあの状態から考えたらありえない攻撃だった。大倉の攻撃は、かつてのものと遜色ない。


 そう、ほとんど同じレベルだ。


 だったら、『最良選択』を持つ夏彦が、一度勝った夏彦が、対応できないはずがない。


「ちってめぇ」


 相変わらずの無茶な動きで、身体を軋ませながら大倉は攻撃の軌道を途中で変化させる。関節があげる悲鳴が夏彦の耳にも届く。


 だが落ち着いて、夏彦は無言で、その攻撃を横から力をかけるようにして払う。


「ぬっ」


 いなされた大倉は、身体のバランスを崩してよろめく。

 普通なら、反撃のチャンス。


「があっ」


 だが、大倉はその姿勢からも、その桁外れの筋力と身体の酷使によって無理矢理に追撃する。崩れた姿勢からの蹴り。


 その攻撃すらも読みきっていた夏彦は、その場を跳躍して攻撃をかわす。


 そして、今度こそ隙だらけの大倉に攻撃しようとして、


「――っ」


 逆にその場から飛び退く。


「は、いい勘してやがる、相変わらず」


 奇妙に嬉しそうな顔をして、大倉は姿勢を正して夏彦に向き直る。


「今の姿勢から、更に攻撃があるのか……どうも、前と同じってわけにはいかないみたいだな」


「くく、俺だって、一応、成長っての、してるんだぜ? それに、工夫だってする」


 ポケットに手を突っ込んだ大倉が取り出したのは、一メートル程度の長さの鉄の鎖だ。


「武器まで使うか」


 まずいかな、と夏彦はこの場から逃げ出すことも選択肢に入れる。


「別に俺は素手やらタイマンやらにこだわりがあるわけじゃねえからな」


 大倉が風切り音を鳴らしながら、鎖を振り回す。


「そこまでです。うちの教え子に、それ以上の狼藉は御免こうりますよ」


「あん?」


「あっ」


 予想外の声に、大倉と夏彦は同時に声の主を向く。


 細身のスーツに身を包み、どこか寂しそうな顔で、くるくると長い前髪を指に巻いているのは、ライドウだった。


「ライドウ、てめぇ、どういうつもりだ? もう、こいつとお前とは」


「司法会の課長補佐ではなくなっても、それとは関係なく僕は教師で彼は教え子ですよ。大体、誰であろうと目の前で暴力が振るわれようとしてるなら、止めないわけにはいかないでしょう?」


 睨み殺すような大倉の視線を受けて、ライドウは涼しく返す。


「ふん」


 ふっと力を抜き、大倉は戦闘態勢を解く。意外にも、あっさりと。


「分かったよ、分かった」


 そして夏彦に背を向け、ライドウの横を通り過ぎて去ろうとする。


 ライドウとすれ違った、その瞬間。


「らぁっ」


 突如として大倉は、凄まじいスピードで手に持っていた鎖を振り回し、無防備なライドウに叩きつけようとする。


 距離とタイミング的に、かわすことは不可能。かといって、受ければ防御が通用せず、防いだ部分が壊されるような攻撃。


「……『太陽把握ヒートガントレット』」


 それを、眉一つ動かさず、ライドウは左の掌で受けるようにする。限定能力の名であろうものを呟きながら。


 どう考えても、受けた掌が砕かれる。


 だが、そうはならず、逆に鎖の掌に接触した部分が、閃光とともに消滅する。


「――ふん」


 その異様な事態にも、大して騒ぐこともなく。

 軽く眉をあげて、大倉は短くなった鎖を投げ捨てて、


「じゃあ、帰るぜ」


 今度こそ、ライドウにも背を向けて去っていく。振り返ることもなしに。


「やれやれ」


 一方のライドウもその背中に追撃することなく、困ったような顔をして大倉を見送る。


「話には聞いていましたが、とんでもない奴ですね」


「助かりました」


 夏彦が礼を言うと、ライドウはくすぐったそうな顔をする。


「ま、いいですよ。餞別です」


「そうですね。俺はもう、司法会には顔を出せませんから」


「え? ああ、そっちじゃないですよ」


 ライドウは苦笑して両手をポケットに突っ込んで、


「少し、歩きませんか。君の家の前まで」


「ええ」


 断る理由もないので、夏彦はライドウと並んで歩く。


「俺の家……っていうか寮、知ってるんですね」


「そりゃそうですよ。最初の担任、僕だったでしょ。僕が手配したんですから」


「ああ、そっか」


 夕暮れの家路を歩きながら、他愛もない話をする。


「実は、地下にもぐろうと思っているんです」


 不意に、ライドウが切り出す。


「え?」


「簡単に言うと、逃げ出そうと思いましてね」


「どうして?」


 意外すぎる言葉に、夏彦は呆然と聞き返す。


「きな臭い感じなんですよ、学園全体が。いつ、闇に引き込まれて殺されてもおかしくない気配がします。今までだってそうだったんですけど、どんどんとその気配が強くなってきている。今の僕には、もう、その危険を冒して、万難を排除してまで上に行こうって意志がないんですよ」


「……あのメモのことですか?」


「どうですかね」


 ライドウは寂しそうに笑って肩をすぼめる。


「確かに、上に行こうとしてた原動力は、自分の力を証明することで、自分のかつて属していた集団の力を証明するため、だった気がします。仲間が凄かったことを証明するために、自分が凄くなろうとした。こう言うと、馬鹿げてますがね」


「そうですか? よく分かりますよ、よく」


 ノブリス学園の存亡の危機だという話を聞いた夏彦には、その気持ちが理解できる。

 もしも、学園が本当に消えてしまったら、おそらく夏彦は必死で外の世界で自分の優秀さを証明しようとするだろう。

 そして、学園にはその自分よりも更に優秀な人間が何人もいたと世の中に訴えるかもしれない。

 何故なら、何も知らない連中に、ノブリス学園なんて大したことないと思われるのは、我慢がならないだろうからだ。


「だから、自分の同志達が死んだのも、あの集団が壊れたのも、その優秀さゆえだと思っていました。いや、信じていたかったんですね、あれは、優秀すぎたからだと。彼らの破滅が、逆に彼らの優秀さを担保していると」


「その気が、なくなりましたか?」


 自分がそれに関わっていたということもあって、夏彦は少々気まずい顔をして、そう訊く。


「まあ、いい機会です。子どもみたいな幻想をずっと追い続けるわけにもいかないでしょう」


 そして、ライドウは足を止めて夏彦に向き直る。


「胡蝶も同じような心境らしくて。しばらく僕達は地下に潜って、巻き込まれないようにしますよ。情けないことですが、それでも、生き延びて、見てみたいんです」


「何を?」


「学園の秘密、ですよ。僕達のかつての同志が、掴んでいたと僕が信じていた幻想の、本物です。学園が壊れてしまうような瀬戸際なら、それが見えるかもしれない」


 そして、夏彦を見ているくせに、遠くを見る目をした。


「夏彦君、約束してくれますか?」


「約束?」


「もしも、君が学園の秘密の一端を知ったら、そして生き延びたら、きっと僕と胡蝶に、いつか教えてくれますか?」


 どうしよう、今自分の知っていることを全てぶちまけようか?

 一瞬悩んだが、


「はあ、何言ってるんですか? 俺、今、多分一番、学園の秘密とやらに遠いですよ。会すらクビになってるわけですから」


 そう誤魔化す。


「いや、僕はそう思いません。君なら、あるいは――」


 立ちくらみ。





 暗い部屋にいた。


 逆光で顔の見えない地味なスーツの男。


 映画を見るようにその光景を意識が眺めている状況。


「いいだろう、知りたいなら教えてやる。どこから話せばいい?」


「どこから……」


 そう言われて、夏彦は困惑する。


 全てを知っているかのような態度の男、だが、その男に一体何をどこから訊けばいいのか。


「何でも訊いていいとなれば、逆に質問しにくいか。では、こちらから話そう。神の話だ」


「神?」


 夏彦は聞き間違えたのかと自分の耳を疑う。


「そう、神だ。天におわす神の話だ」


「随分、スケールの大きな話だな」


 揶揄するように夏彦は言う。


「そうか? 日本人は神の話をしなさすぎると思うがな。自らの存在の意味を問う際に、避けては通れない話だ。いいか、神の定義だ。それはこの世界を造ったものだ。そして、今も管理しているものだ。いや、ものたち、だ」


「複数形だな」


「そうだ。世界を創造し維持するのは非常に難しい。単一では無理だ。複数で行っている。とはいえ、一人一人ーーああ、神だから一柱一柱か、それが凄まじい力を持っている。当然だな」


 突拍子もない話を、男は淡々と続ける。


「おい、俺はいつまで、あんたの妄想話に付き合わなきゃいけない?」


 夏彦の声は呆れを含んでいる。


「いいから聞け。その神々は、一体どうやってそこまでの凄まじい力を持ったと思う?」


「さあ?」


「少しは考えろ。当然の答えだ。努力だ。才能でそこまでの力を持ったわけじゃあない。努力だ。誰もがする努力だ。ただ、その努力の質、そして何よりも量が普通とは違う。奴らは不老不死だからな。気が遠くなるような時間を、努力し続けてその力を手に入れたのだ」


「何だ、随分、地道な神様もいたもんだ」


 もう、夏彦は揶揄する調子を隠そうともしない。


「そうだな。そして、いいか。今この時も、神は己の力を高め続けている。僅かずつとはいえ、だ」


「じゃあ、誰も追いつけないな」


「そうだ。それが問題だ」





「あれ?」


 立ちくらみと、過去の会話のフラッシュバック。


 我に返った時には、もうライドウの姿はない。

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