超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

逸れていく方針2

公開日時: 2020年12月14日(月) 16:00
文字数:4,875

 司法会の監査課課長補佐室に戻って自分の机についた夏彦は、溜まっていた書類を猛烈な勢いでチェックしていく。


 書類はほとんど選挙関係のもので、サバキを初めとした選挙管理委員がよくやってくれているおかげで、夏彦としてもスムーズに書類に判を押していけた。


「いい調子ねえー」


 リズムよく判を押している夏彦に、ふらふらと近寄ってくる女が眠そうな声を出す。


「課長、お疲れ様です」


「うん、夏彦君、お疲れぇ」


 胡蝶は半分閉じられた目で、書類をめくる夏彦の手を見るともなしに見る。


「眠そうですね」


「うん、最近、色々あってさあ。選挙の方を夏彦君に任せる代わりに、ぜえんぶ私がそれをやる破目になって。まあ、もうすぐ終わりそうだけど」


 そこまで言われれば、夏彦にも胡蝶が何のことを言っているのか見当がつく。


「外務会のこと、ですか?」


 少し小声で確かめると、


「知ってたんだ、まあ、夏彦君なら知っててもおかしくないわよね。けど、知ってることを不用意に私に言っちゃっていいの?」


「今回の件では、俺と胡蝶課長、ライドウ副会長は運命共同体みたいなものでしょう」


 冗談めかして半笑いで夏彦は言う。


「そうね、確かに。会に逆らってでも真相を知りたいという意味では、貴重な同志ね」


 だが、胡蝶の表情も声も、真剣なものに変わる。


「ねえ、夏彦君」


「はい」


「後で、ちょっと時間ある?」


「まあ、少しなら」


 放課後には料理研究部に顔を出して、つぐみと律子、秋山たち風紀会組に話を聞くつもりだった。


「そんなに時間はとらせないわ。ライドウ副会長から、相談があるの」


「なるほど」


 書類をめくる手を止めずに、夏彦はこれ以上方針がぶれるような相談でないことを祈る。


 それから十五分程度経って、事務作業が一段落したところで夏彦は副会長室に向かう。


 ノックをすると、


「どうぞ」


 とライドウの声が返ってくる。


 部屋に入ると、机について何やら疲れたように目を押さえているライドウとその横に立つ胡蝶の姿があった。


「どうも、副会長」


「呼び出してすいませんね、忙しいのに」


「いえいえ、それで、相談とは?」


 社交辞令的な挨拶をさっさと済ませて本題に切り込む夏彦に、ライドウは苦笑しながら首を回す。


「君も知っているようですが、外務会の副会長が殺害されました」


「そうらしいですね」


「明らかに例の事件、例のテキストに関係していたと思われる副会長がこのタイミングで、です。関係ないとは思えない」


「同感です」


「その事件についてうちからは胡蝶に出てもらっていました。そして、風紀会では――」


「会長の瑠璃が動いた、でしょう?」


 先読みした夏彦の答えにライドウは顔をしかめ、胡蝶は眠そうだった目を丸くする。


「まったく、どこまで君の耳は早いのやら」


 呆れたようなライドウに、


「それで、どうしたんですか?」


「ええ、その捜査についての監査ですが、胡蝶だけではなく君にもお願いしようと思ってます」


「ええっ」


 隠すことなく夏彦はうんざりした顔をする。


「ただでさえ選挙中なんですよ? 過労死しちゃいますよ。大体、よく知らないですけど例の瑠璃さんが捜査に出たらすぐ解決するんじゃないですか?」


 少なくとも、夏彦はそう聞いている。


「その通り。今まで、瑠璃が捜査して解決しなかった事件はない。だからこそ、困っているんですよ」


 多少疲れを顔に滲ませたライドウは、自分の髪をくしゃくしゃをかきあげる。


「ついさっき、風紀会から捜査の打ち切りを知らされてね」


「は?」


 何だ、それは?

 夏彦は自分の耳を疑う。


「いやいや、ありえないでしょう。今回の件、色々裏があるのは分かってます。でも、どんな裏があろうとも、外務会副会長が殺されたなんて事件の捜査をこんなすぐに打ち切ったら風紀会の信用がた落ちじゃないですか。最悪、解決することができなくても表面上は捜査を続けるでしょ」


「だからこそ、僕たちも困惑しているんです」


 ライドウは疲労と困惑をもう隠しもしていない。


「一体、何がどうなっているのか……そもそも、風紀会長の瑠璃の捜査能力は、風紀会の威信そのものなんです。確実にどんな事件も解決してきた彼女は、ほとんど伝説化しています。その伝説を汚すわけがない。今回の事件の捜査に瑠璃が出てきたこと自体、どんな裏があろうともこの事件を解決するという風紀会の意思表示でもあったはずです」


「ところが、ってことですか」


「あたしも色々と手を尽くしたけど、一人じゃあやっぱり限界があるわあ」


 頭を揺らしながら胡蝶が口を開く。


「この不可解な流れから考えても、殺人事件、その前の襲撃事件、そしてあのテキスト、殺し屋の雨陰太郎――この裏にはどうも想像している以上の闇があるって思っておいた方がいいでしょ。で、その闇に立ち向かう物好きは、あたしとライドウ、それから――」


「俺、ってことですね」


「あたしの知る限りではね」


 ふむ、と夏彦は考え込む。

 これは、どう考えればいい?

 整理するか。まず、自分に雨陰太郎について調べて欲しいと頼んできたレイン。

 レインは公安会に所属していると同時に、風紀会の副会長でもある。

 素直に受け取れば、公安会と風紀会は雨陰太郎についての情報を持っていない。そしてその情報が欲しい。だから、間接的とはいえ雨陰太郎に興味を持っていて動かし易い駒として自分に目をつけた。

 生徒会と司法会はどうだ? コーカの言葉を信じるなら、生徒会長は少なくとも今回の事件について特に情報を持っているようではなかった。司法会の副会長であるライドウもそうだ。むしろ知りたがっているくらいだ。


 そう考えると、まだ出てきていない行政会と外務会以外の会は、少なくとも会全体としては情報を持っていないと考えられる。外務会の情報封鎖に協力した公安会にしても、レインによると元々存在していた命令に従っただけらしいし。


 ところが、外務会を事実上動かしていたクロイツが死んだ。自殺願望があったんじゃなければ、クロイツにとっても意に沿わないことだったろう。


 となると、個人あるいは派閥レベルはさておき、会として今のこの状況、そして情報をコントロールしている可能性があるのは、行政会か。


 もちろん、レインが嘘をついていたり、あるいはクロイツの死が会内部のいざこざで死んだとか、色々とその他の可能性は無数に存在する。けれど、それをいちいち検討していたらきりがない。


 何よりも、小さな規模で今回の一連の事件が起こっているというのは、瑠璃が捜査を打ち切るという異常事態とうまく合わない気がする。


 風紀会が自らの看板に泥を塗るしかないような、そんな異常事態を引き起こすのは、やはり。


「一番怪しいのは、やっぱり行政会かな」


 考えているうちに、夏彦は知らず知らずに呟いてしまっている。


「行政会?」


 聞きとめたライドウが聞き返す。


「ああ、いえ、何か知ってるとしたら行政会かと思ったんですけど……俺の持っているパイプは虎くらいですしね。その虎も、この件については今のところ情報を持っているようには――」


「パイプ、もう一人いるじゃないですか」


 何でもないことのように目を少し丸くてライドウは言う。


「君の師匠が」


「師匠って……あ」


 忙しくて、稽古していないからすっかり頭からあの人の存在が抜け落ちていた。

 夏彦は筋骨隆々とした老人の姿を思い浮かべる。

 学園長のデミトリだ。学園長である以上、虎とは得られる会内の情報量が段違いのはず。


「ふむ……会長や他の会には僕から言っておきますから、君は例の事件の捜査の監査として、まずは学園長にコンタクトを取ってもらえますか?」


「ええ、分かりました」


 襲撃事件についての真相を探りたい。その方針はどんどんと逸れている。

 だが、それぞれの事柄が微妙に繋がっているように見えるし、他の道がない。

 結局、俺にはそこの道を行くしかない。襲撃事件を調べる、という目的を見失わないよう、心に刻みつつ、だ。

 内心で、夏彦はそう結論付ける。


「ならさっそく――」


 と夏彦が携帯電話を手に、学園長に連絡を取ろうとしたところで、携帯電話が鳴り出す。


「ん?」


「は?」


「うん?」


 ライドウ、夏彦、胡蝶は動きを止めて互いの顔を見合わせる。


 着信は、律子からだった。


「もしもし?」


 一体何のようだろうか、と夏彦はおそるおそる電話に出る。


「あっ、その……なっ、夏彦、君?」


 自信なさげな律子の声が確認してくる。


「まあ、夏彦の携帯ですので、夏彦です」


「あっ、あの、律子です、ひっ、久しぶり、えへへ」


「いや、そんな久しぶりでも……」


「あっ、あのっ」


 夏彦の言葉を遮って律子の声が大きくなる。


「お願い、が、あるん、だけど……」


「お願い?」


「ふっ、風紀会の、会議に、ちょっと、参加してくれない? 明日、あるんだ。急な話で、悪いんだけど」


「はい?」


 一瞬首を傾げたが、夏彦はすぐに思い当たる。


「ああ、今聞きましたよ、例の捜査の監査についてですか?」


 多分、俺よりも早く向こうに俺が監査の担当になったことが伝わったのだろう。

 夏彦はそう納得する。


 だが、


「え? な、何?」


 返ってきたのは律子の困惑した声だ。


「あれ、違うんですか?」


「そ、そうじゃなくて、う、うちの会長が、な、夏彦君に是非会いたいって?」


「えっ、瑠璃会長が?」


 何だ、どうなっている?

 混乱と同時に、夏彦は思わず舌打ちしたくなる。

 どうせまた厄介ごとを頼まれるに決まってる。また、方針が逸れてしまう。これ以上、何も解決する前にたらい回しされてたまるか。


 夏彦は手を口に当てて考える。

 どうすればいい? ここで、急激に話を進めてさっさと真実を明らかにするには。


「――それ、極秘でってことですか?」


「え、う、ううん。違うよ、外部の人の意見を聞く会が明日あるんだけど、そ、それに夏彦君が参加してくれないかなーって、か、会長が言ってて」


 なるほど、その会議を口実にして、俺と接触を持つわけだな。

 だからこそ、正式に向こうから参加を要請するんじゃなくて、律子さん経由で、あくまでも俺から参加するようにしたいわけか。

 ならば、と夏彦は決心する。


「その会議って、基本的に参加自由なんですか?」


「ま、まあ。本当に、懇親会みたいなものだから」


「分かりました、明日ですね」


 了承して、夏彦は携帯電話を切る。


 そして、ふう、と息を吐く。覚悟を決める。


「仕事に関係した電話ですか?」


 ライドウが切り出してきたので、


「ええ。で、風紀会長の瑠璃と明日話ができそうなんですけど」


「えええ?」


 素っ頓狂な声をあげて驚いたのは胡蝶だ。


「い、いきなりいぃ?」


「それで、胡蝶課長」


「はい?」


「明日、一緒に会いに行きませんか、瑠璃会長に。課長も監査担当でしょう?」


「ええ? いいのぉ、あたし一緒に行っても」


 半信半疑の胡蝶に、


「大丈夫でしょ、多分」


 と言いつつ、夏彦は携帯電話を操作する。


「何をしているんです?」


 ライドウに訊かれたので、


「いえ、明日一緒に瑠璃と会わないか誘ってみようかと」


「何だって? 誰を?」


 意外な言葉にライドウの声が上擦る。


「学園長と生徒会長ですよ。本当は、外務会の人間も誘ってやりたかったんですけど、ツテがないもんで。無理矢理に話を進めるには、関係者を一気に集めて議論させるのが手っ取りばやいでしょう」


 夏彦が言うと、ライドウと胡蝶は呆然とした顔をして動きを停止する。

 あまりにも想定外の提案だったのだろう。


 だが、夏彦としてはそこまで乱暴な手だとは思っていなかったし、意外と成立すると考えていた。

 勘だが、今回の件、少なくとも夏彦が会ったどの関係者も情報が足りず、右往左往している気がする。誰もが、内心こういうお互いの腹を探り合う機会を欲していたんじゃないだろうか。

 風紀会の会議ということはレインの奴も来るだろう。

 そして、もし行政会がこの件に深く関わっているなら、他の会がこの件で議論をする場には顔を出しておきたいはずだ。学園長も、少なくとも参加が論外とはならないだろう。

 乱暴な手ではあるが、しかし。


「心配せずとも、勝算はなきにしもあらずですよ。勘ですけど」


 そう言って夏彦は不敵に笑う。

 もちろん、虚勢だ。怯えていないフリばかりうまくなるな、とため息をつきたくなる。

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