夏彦は思わず駆け足で虎を追いながら、
「おい、どこに行く気だ?」
「え? もう、帰ろうかと思って」
わざわざ訊くことか、とばかりに虎はきょとんとする。
「この始末、どうするんだよ」
「この始末って、死体のことか? 俺がどうにかしないと駄目か? 死体処理のノウハウなんてねえぞ」
そう言ってから、工場出口付近で虎は足を止める。
「ああ、そんな怖い顔すんなよ。冗談だ。このまま帰ったら、すぐに風紀会から寮に執行人が来ちまうもんな。血の匂いがひどいから、外の風にあたりたいだけだ」
虎は振り返って、にやりと笑う。
「どこまで話したっけ……? ああ、あれだな、お前が動いてるのに気づいて、大倉さんに妨害させて、けどお前は止まらなかったな。行政会で仕事までして。そこに今回の話が飛び込んできて、まあ俺はギャンブルにのることにしたけど、保険として大倉さんを連れてきた。お前が来る可能性があるつったら、喜んで用心棒役引き受けてくれたぜ」
親切丁寧に説明してくる虎。
その虎を見て、夏彦は話を信じるべきじゃあない、と自分に言い聞かせる。
こいつがトリックを探偵に暴かれた真犯人の如く、ぺらぺらと喋るのが怪しい。こいつは、そんなに話してどんなメリットがある?
考えられるのは、ミスリーディング。こいつが話に嘘を混ぜて、こちらの考えを妙な方向に捻じ曲げようとしている。
『虚言八百』が虎の限定能力。嘘をこちらに信じさせる能力のはずだ。
どちらにしろ虎が喋り続ける限りは喋らせるだけだ、と夏彦は内心結論付ける。
向こうが喋ることによってどんなメリットがあるのかは知らない。けれど、こっちには時間が経つことによるメリットが確実に存在する。律子さんと秋山さん、そして保健担当。つまりこの場に、応援が来る。
「……そこまでの話は分かった」
だが、と夏彦は辺りの死体を見回して、首を捻る。
「こいつらを殺したのは、大倉か?」
尋ねながら、夏彦の直感は「違う」と答えている。
大倉と直前まで殺し合った身としては、これらの死体を大倉が作り出したというのは感覚的にしっくりと来なかった。殺し方が雑多な気がする。あいつがやるのは、ただ殴って蹴って殺すだけだ。こんなに多種多様な死に方をするとは思えない。
「ああ、違う、違う。そいつらこの廃工場に呼んで、連中と相談してたら、不穏な空気になってよ。まあ、俺を消そうかどうしようかってとこなんだけど、どうも意見が分かれてるみたいでよ、俺を消す派と、穏便に済ます派だな。で、ばーん!」
両手を広げて、虎は爆発するゼスチャーをする。
「殺し合いだ。生き残る為に寄り集まっていたのに、残念だな。生き残りはなし」
「そして、お前の脅迫と内通者との協力の証人は全員死んだっていうのか? お前にとって、都合が良すぎるな」
言いながら、夏彦はじりじりと虎への距離を詰める。
一足で懐には飛び込めるが、そのままではお互いの攻撃は届かない。そんな間合いだ。
虎の戦闘能力は未知数。まだダメージのある俺が勝てるかどうかは不明。だからこそ、できれば先を取りたい。そのためには、相手が隙を見せれば、すぐに仕掛けられる距離でないと。
夏彦はそう思い、また一歩踏み込む。
「はっ! 都合がいいとはな、恐れ入ったぜ。俺がそんなに楽天家だとでも思ってんのか? こいつらが死んだところで、本格的に俺との繋がりを調べられりゃあ証拠のひとつやふたつ出てくるだろ。俺とこいつらの繋がりを確信してる奴さえいれば、な」
虎の眼光が、ひやりとした冷気を帯びてくる。
隙を窺っているのは向こうも同じだった。今、夏彦が虎から気を逸らせば、その瞬間に虎は襲ってくるだろう。
「学園長とか、か?」
言いながら、夏彦はゆっくりと重心を沈めて、構える。
「いやいや、学園長は俺を疑ってはいるけど、確固たる証拠はないし、それに行政会なら俺も結構頭抑えておけるしな。多分、着地点としては、いわゆる大人の付き合いだな。向こうは疑わしきは罰せずってしてくれて、こっちはもうこれ以上向こうの頭を痛くするようなことをしない。まあ、逆に学園長のためにただ働きをひとつかふたつしてやってもいい。そういう暗黙の了解ってやつだ」
「つまり、何が言いたい?」
血と死の臭いが充満した工場内に、ひりひりとするような緊迫感が漂い始める。一秒後にでもお互いが攻撃をしかけてもおかしくない。
「実際、こういう場面を見てしまってるお前さえいなけりゃ、俺もこの窮地を切り抜けられる可能性があるってことだ」
虎と夏彦の視線が絡む。
お互いの腹の底の読み合い。お互いがお互いに怯え、そして今にも爆発しそうな感情を瞳の奥に溜めている。
妙な話だな、と夏彦は思う。
ここで俺を始末することを仄めかさなくてもいいのに。『虚言八百』で俺は安全だと嘘をつけばいい。それを信じ込ませて、騙まし討ちをした方が楽だろうに。
「俺が、誰かにこのことを伝えてるとは思わないのか? あるいは、俺が死んだらメモか何かが公開されるとか、な」
夏彦はなるべく話を引き伸ばそうと牽制してみる。
「そりゃあ大変だ。どうにかしてお前からそれを聞き出さないとな。それこそ、拷問するのも厭わずに、よ」
不穏な言葉を吐く虎。
だが夏彦は、その言葉よりも、虎の態度自体に何か不吉なものを感じる。緊迫した雰囲気の中でも、虎はどこか余裕がある。
まずいな、まずい感じだ。
嫌な予感がする夏彦は、その余裕を打ち砕こうと口火を切る。
「すぐそこに、秋山さんと律子さんがいる。どうも、お前の用心棒があちこちで暴れてた件らしいな」
「何!?」
目論見どおり、虎の余裕が消えて驚きが浮かび上がってくる。
「……そうか、大倉さん、他でも色々とバイトしてるっつってたな。やれやれ、そっちで風紀会がここまで嗅ぎつけたのかよ。予想外だな」
だがすぐに虎の顔は平静なものに戻る。目だけが炎のように燃えている。
「お前一人で大倉さんを倒したのかと思って多少驚いたけど、それで納得だ。敵は三人いたわけだな? だが、この場にあの二人がいないってことは、歩ける状態じゃあねぇってことだな?」
「少し、消耗していたからな。だが、そろそろ回復してきてこっちの様子を見に来る」
実際には少し消耗どころではなく、完全に気を失っているのだが。
夏彦は嘘をついて虎を追い詰める。
「あーあ、おかしいと思ったぜ」
虎は平静を崩さず、一歩後ろにひくと、大袈裟にため息を吐く。
「俺の時間稼ぎにどうしてこんな引っかかってくれるのかと思ったら、そっちも時間稼げば味方が来るわけか」
も? そっちも……って、どういうことだ?
ミスリーディングかもしれないと疑いつつも、夏彦は虎の背後の出入り口に油断なく目をやる。
だが、誰かが入ってくる気配はない。
「こいつもギャンブルだったわけだな、あぶねぇあぶねぇ。けど、この賭けは俺の勝ちだぜ」
なんだ、どういう意味だ?
夏彦は混乱しつつ、一方で凄まじく嫌な予感がしてくる。『最良選択』が危険だと喚き続けている。
応援を呼びたい。
そう思うが、今、携帯電話を取り出してそちらに意識をやれば虎が動くことも分かっている。
「そういや、お前、大倉さんと戦ったんだよな? どうだった?」
「さあな」
こちらのダメージを聞き出そうとでもしているのか、と夏彦は警戒して曖昧に答える。
「ほら、うちの用心棒の攻撃って、何か妙じゃないか? 威力はともかく、単純なのに避けられなかったりしなかったか?」
そうだ。大倉の攻撃は、何の工夫もないものなのにかわせなかった。
そう思いながら、夏彦は黙って油断なく虎の様子を窺う。
「俺も最初びっくりしたんだけどよ、あれ、タネは簡単なんだぜ。普通の人間の殴り方じゃねえからだよ。ほら、攻撃避ける時って、見て避けるだけじゃなくて経験則による予測とかそこらへんもあるだろ? 普通の殴り方が頭にインプットされてる俺たちは、そこでバグを起こして避けられないわけだ」
夏彦は思い当たる。
全身の力を、全て攻撃に使うような、決して常人がしない殴り方。だからこその威力、速度、そして避けきれない、読めないのもそこから来ていたのか。いや、信じるな。『虚言八百』による嘘かもしれない。
まずい。
夏彦は嫌な予感がどんどんと強くなっているのを感じる。
つい、話を聞いてしまっていた。これ以上、虎に時間稼ぎさせるのはまずい。まずいと、勘で分かっている。向こうは油断は見せていないが、玉砕覚悟でこちらから仕掛けるしかない。
夏彦は重心を前にかける。
「殴る方の腕が壊れるような殴り方するんだよ、あの人。全身全霊をかけて、全力でな。どうしてそんな殴り方かっつーと、限定能力が関係ある。大倉さんの限定能力は『人間強度』だ」
夏彦の動きを止めるように、虎が言い放つ。
限定能力の話が出たために、夏彦は思わず動きを止める。
反射的に、続きが知りたいと思ってしまった。
「能力内容は、自分の身体の頑強さと再生能力の強化。多分、昔から無茶ばかりやってきたからそんな能力になったんだろうな。常人ならぶっ壊れるような身体の動かし方をしても、それを耐え切るし多少ガタがきても自然回復する。だから、力の限り無茶な殴り方、蹴り方をする。それがあの避けられない攻撃の秘密だ」
もう、これ以上時間稼ぎさせてはいけない。
夏彦が飛びかかろうとした、その瞬間。
「ほら、時間稼ぎは終わりだ。もう動けるみたいだぜ」
虎の言葉と共に、夏彦の背筋を冷たい百足に這いずり回られたような感覚がはしる。
「っ!?」
咄嗟に振り返った夏彦の目に、全身が捩れたまま、それでも立ち上がって夏彦に向かって腕を振るおうとしている大倉の姿が映る。
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