超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

夜の病院における決戦1

公開日時: 2020年9月25日(金) 00:32
文字数:3,780

 泣きじゃくる律子を全員でなだめ、とりあえず頬に傷があるので別の部屋で治療してもらう。

 そうして、律子が戻ってくる前に、月、虎、秋山、そしてつぐみは病室を出て行く。


「邪魔しちゃ悪いだろ」


 にやにやと笑って出て行くのは虎だ。


「あたしの律子さんだったのにー」


 ふざけ半分で泣きまねをした後、


「でも、律子さんのこと、よろしくね。あたしは、後でたっぷり甘えさせてもらうから」


 と言って病室を去るのはつぐみ。


「甘酸っぱいっすねぇ」


「まったく、目に毒ですわ」


 と会話しつつ出て行ったのは月と秋山だ。


 特に、月はこれからも色々と後始末で忙しいらしく、「本当なもっとだらだらしたのですけれど」と無念そうに出て行く。


 そうして、病室に夏彦一人になってから。

 窓から赤い西日が差すようになってから、遠慮がちにノックの音が聞こえる。


「どうぞ」


 上半身だけを起こして夏彦が返事をすると、ドアが開いて、顔を真っ赤にした律子がおどおどとしながら病室に入って来た。頬に大きなガーゼを当ててある。


「ど、どうも……さっきは、その、ごめんなさい」


 律子が頭が地面につきそうなぐらいに頭を下げるので、夏彦は慌てる。


「ああ、いや、大丈夫ですよ、あれくらい……律子さんこそ、顔に傷、あったみたいですけど、大丈夫ですか?」


「え? う、うん……それに、怪我だったら、な、夏彦君の方が……」


「いやいや、女の子の顔の傷とは比較にならないでしょ」


「お、女の子……うぅ……」


 赤かった顔を更に赤くしながら、律子はベッドまで近寄ってくる。


 そうして、無言。

 しばらく経っても何も話さないので、夏彦は仕方なく、今まで起こったこと、どうして自分が怪我をして病院にいるのか、そして病院で聞いたこれまでの事件の真実を、ゆっくりと時間をかけて話していく。


 夏彦の長い話を聞いているうちに落ち着いたらしく、律子は最後の方では相槌も打つようになっていく。


 そうして、今度は律子の方から、ぽつりぽつりと夏彦と別れた後に何があったのかを話し始める。


「――ああ、久々津って奴と戦ったんですか」


 話を聞き終わった夏彦の第一声はそれになった。


 さっき月との話にも出ていた男だ。あの、舞子と一緒に歩いていた男。


「にしてもとんでもない奴ですね、律子さんの頬に傷をつけるなんて」


 夏彦が言うと、また律子は顔を真っ赤にする。


「……う、で、でも、ごめんなさい、逃がしちゃって……」


「あー別に大丈夫じゃないですか? さっきも言ったように、もう事件は終わったんです。多分、どの会もその久々津って奴を追ってますよ。多分、すぐに捕まりますって」


「うん……」


 少し黙ってから、律子は泣きそうに顔を歪める。


「……でも、彼は……絶対に、逃がしちゃいけない人だったのに……理不尽で過剰な暴力を振るう、そんな人だったのに」


「よく分からないけど、律子さんって、そういう人を倒すのが目的なんですね。やっぱり、正義の味方みたいなことですか?」


「――え?」


 夏彦としては何気ない質問のつもりだったが、律子は呆然とした顔をして、固まる。


「私の、目的?」


「はい、目的」


「……考えたことも、なかった」


 遠い目をして、律子はベッドに軽く腰掛ける。


「――でも、うん……理不尽で、過剰な暴力を振るう人……そんな人を倒す……ううん、違う……理不尽で過剰な暴力を――振るわれる人をなくす、それが、目的かも」


「振るわれる人をなくす、ね」


 だろうな、と夏彦は思う。

 多分、そうだろうと思っていた。何故なら――


「……あの、夏彦君」


 夏彦の考察は律子の真剣な声で中断させられる。


 律子は珍しく、真剣な鋭ささえ感じる顔で、夏彦に語りかけてくる。


「私、時々思うの。実は、自分が一番、理不尽で、過剰な暴力を振るってるんじゃないかって。そういう暴力を振るわれる人を助けるためって大義名分のもとに、刀を振るって――」


「そんなことはないですよ」


 まだ続く律子の言葉を遮ってまで、きっぱりと夏彦は断言する。


「律子さんのは、違います」


「どうして――」


「どうしてもですよ」


 強引に言い切って、夏彦はふらり、と体を揺らす。いや、勝手に揺れる。


「あっ……だ、大丈夫!?」


「す、すいません、ちょっと、疲れたんですかね。まあ、生まれて初めて殺されそうになったんで、やっぱり疲れてたんでしょうね」


 やはり完全回復とはいかなかったようで、夏彦は疲れとちょっとした目眩を感じる。


 心配そうに律子が夏彦を覗き込む。かなり顔が近い。


 が、そのことに羞恥を感じたり恥ずかしがったりするよりも先に、夏彦の目眩は酷くなる。


「ちょっと……寝ます……」


 ようやくそれだけ言うと、ほぼ同時に上半身を倒して意識が薄れていく。

 近くに律子さんがいると、何だか安心できるな。

 そんなことを思い、心配そうに顔をもう少しで触れるレベルまで近づけてきている律子の顔を見ながら、夏彦は意識を失う。


「おやすみなさい」


 と、最後に律子の声が聞こえる。





「……ん」


 夏彦は目を覚ました。辺りは暗い。どうやら消灯時間を過ぎたようだ。


 なんだ、足が重い……。

 不思議に思い夏彦が体を起こすと、とんでもないものが目に入る。


「うわっ」


 腰掛けていた位置にそのままベッドを横に使うようにして律子が寝ている。足をベッドからはみ出させて、頭はちょうど夏彦のひざあたりを枕代わりにしている。


「看護師さんとか帰らせなかったのかよ……」


 呟いて、夏彦は律子の寝顔を見る。


 あどけない顔だった。普段の冷たく鋭い顔とも、会話する時の動揺した顔でもない。

 だからか、余計に傷の上から貼られたガーゼが痛々しく感じられる。


 何となく、夏彦はガーゼを指の背でなでる。

 この人にとっては、寝てる時が一番平穏なのかもな。

 夏彦は思う。


「――!?」


 唐突に、嫌な予感がした。限定能力を使用せずとも感じる、嫌な予感。

 『最良選択サバイバルガイド』を使用する。嫌な予感は、より明確になる。もはや、予感というよりも、予想だ。これから嫌なことが起こるという予想、あるいは予測。


「……律子さん」


 夏彦は、律子を起こさないようにゆっくりと足を引き抜く。


「んっ――」


 少しだけ、律子は嫌がる顔をしたが、すぐに元のあどけない表情に戻る。


「いっ……てて……」


 夏彦が体を本格的に動かすと、それだけで体中がずきずきと痛む。おまけにずっと寝ていたからか、背中のあたりからばきばきと音がする。

 それを耐えながら、ゆっくりと姿勢を変えて、ベッドから降りる。スリッパを履いて、音をたてないように、律子を起こさないように注意しながら、病室を出て行く。


「いててて……」


 歩くたびに体のどこかが痛む。小声で痛い痛いと呟きながら、夏彦は廊下を歩く。


 病院の廊下は非常灯以外の電灯は全て落とされ、薄暗い。奇妙なまでの静寂と、薄い闇。その中を、夏彦のスリッパの足音だけが、ぺたりぺたりと響く。


「――さて、と」


 階段近くの踊り場まで来ると、夏彦は壁にもたれて休む。

 大きく息を吸って、吐く。心を落ち着ける。


 もうすぐ、ここに来る。

 夏彦にはそれが分かる。『最良選択サバイバルガイド』がそう教えてくれている。


 夜の病院の、踊り場。非常灯の緑がかった光で淡く照らされている暗闇。音は何もしない。

 精神状態によっては恐ろしくて仕方がないホラーの舞台めいた場所で、ただひたすらに 夏彦は静かに呼吸して心を落ち着ける。


 かつん、かつん、と。

 階段を何者かが上がってくる足音がしてくる。


 夏彦は黙って、その足音を聞いている。


 耳に痛い静寂の中で、かつん、かつんと、足音は近づいてくる。


 やがて、その何者かが階段からゆっくりと姿を現す。


 男子学生だった。

 長い髪、美しい顔、その顔に付着した固まったどす黒い血、フレームなしの眼鏡、吊り上った目。

 そして、両手に握られている二本の刀。


「なんだ、てめぇ?」


 中性的な顔とは不釣合いな、唸るような声で男子学生は威嚇してくる。


「久々津信二だな」


 夏彦は言う。

 姿形が律子の話と一致しているが、実際には姿を見る前から、この男が現れることは何となく分かっていた。


「だから、なんだってんだよ、てめぇ!」


 久々津の持つ二本の刀の剣先が血で濡れているのを夏彦は見る。


「追っ手を斬ったのか? どっちにしろ、もうお前はおしまいだ。いくら追っ手を斬っても、もう追跡を振り切れない。学園全体がお前の敵なんだ」


「てめぇ、学園の――はっ、関係ねぇよ。俺はただ、斬りたい奴を斬るだけだ」


「やっぱり標的は律子さんか。どうやってこの病院に律子さんがいると――ああ、やっぱいいや」


 夏彦は身構える。


「後で取り押さえてから聞けばいい」


「くっ、くく……」


 久々津の口が裂けるように笑いを形づくる。


「馬鹿か、てめぇ。雑魚が……お前なんぞが相手になるかよ」


 目の前にいるのは、普通の体格の、全身包帯だらけの男。

 久々津は相手にする気すらなさそうだ。


 無造作に踏み出し、右の刀を横に振るう。久々津がやったのはそれだけだ。

 それでも、凄まじい速度の斬撃が、消灯後の薄暗い中では目で捉えることができないほどの斬撃が放たれる。


 それを、夏彦は、わずかに体を後ろに逸らしただけでかわす。

 どう動けばそうなるか、夏彦には分かっている。


「――何?」


 目の前の、包帯だらけの男がまさか今の一撃をかわすとは思ってもみなかったのだろう。

 久々津の吊り上った目が驚愕に見開かれる。


「終わりだ、久々津――お前には、負ける気がしない」


 夏彦はそう言ってから、小声で付け足す。


「――勘だけど」

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