沈黙。老人の呼吸音だけが響く部屋。
しばらくしてようやく、虎が声を上げる。
「だとしたら、これほど舐められた話もねえな。むかつくぜ」
ぱしん、と手のひらに拳を打ちつけて、
「今もその実験を継続している連中はどこにいるんだよ、ひいじいちゃん。ぶっ殺してやる」
「まったく、本当に相変わらず凶暴なガキだ」
老人は苦笑する。
「私はそこまで知らない。だが、おそらくは、それは伯爵だろう。もちろん、今は伯爵などと名乗ってはいないだろうが」
「は? だって伯爵って……何歳だよ?」
戸惑う虎に、
「伯爵がいるとしたら、この街、いや、学園の中。そう考えているんですね」
横で、夏彦はそう確認する。
「聡いな。そうだ、私は……そう考えている。ある程度離れると限定能力が発動できないという、初期の実験結果。そして、この街から出れば限定能力は発動できないという現在の状況を素直に考えれば、そう、そう考えられる」
老人はそう言ってから虎に顔を向けて、
「本当に万能に近い能力を持っているのなら、その力で不老不死を実現していても、おかしくない。だろう?」
そう言う老人の顔から夏彦は羨望を読み取り、どうしてずっと実験体としての成功を老人が狙い続けていたのか、その理由がやっと分かる。
「……さあ、話は、これで、終わりだ」
元々力のなかった老人の声は、ふうっとか細くなる。
ここまで喋るのにあまりにも力を使ったのか、老人の全身から一気に生気が抜ける。元々の枯れ木だったような印象から、藁のようになっている。
「実験だろうがなんだろうが、やることは変わらないだろう。お前たちは……思うようにやるがいい」
はあ、と息を吐いてから、
「休ませてくれるか」
夏彦は頭を下げて部屋を出ていこうとする。虎もそれに続く。
「夏彦」
去り際に、老人が声をかけてくる。
「はい」
「実験は終わる」
「え?」
「怪物の話は、聞いただろう?」
夏彦の知っている怪物とは、風紀会が確保した怪物だけだ。
「あの、新入生なのに生徒を皆殺しにしたっていう、あれですか?」
「そうだ。その話を聞いた時に、思った……実験が終わると。私は、選ばれなかった」
「――その怪物こそが、成功例だと?」
だが、老人はゆっくりと目を閉じて、
「いや、あるいは――ああ……やはり、いい。戯言だ。忘れてくれ」
そして今度こそ、老人は全く反応しなくなる。
しばらく待っていたが、
「おい、さっさと行こうぜ」
虎に急かされて、夏彦は部屋を出ていく。
真っ白な廊下を歩きながら、
「どう思うよ、さっきの話」
虎が話しかけてくる。
「正直、老人の妄想がかなり混じってるっぽいよな」
「自分の曽祖父のことをそんな風に言うなよ」
「いや、だって全部その黒幕の実験だ、なんてよ。万能の力だとか不老不死だとか、いきなり話が無茶苦茶だろ」
「まあ、なあ。ただ、虎、俺が思うに、だ。この学園も街もヘンテコなんだ。今更、ヘンテコな話を聞いたからって非現実的だとか騒ぐのも違う気がするんだ」
「そりゃあ、わからんでもないけどよお……俺はシンプルに上を目指すだけがいいけどな」
「実際、そうしろって言われてただろう? 余計なことを考えずに、そうやって今まで通り頂点を目指すのでいいんだと思う」
「ふうん、それじゃあよ――」
二人で、エレベーターに乗り込みながら、そのタイミングで虎は、
「――あの話がもしもある程度本当だったとして、黒幕を探すっていうのは、全く興味ないのか、夏彦は」
「……ああ」
エレベーターの扉が閉まるまでの一瞬、黙った後で、そう返事をする。
「大体、見つけたところでどうするんだよ」
「俺たちを実験台にするんじゃねえってぶん殴ってやるんだよ」
「それから?」
「それで終わりだ」
「リスクやコストとリターンが全然釣り合ってないじゃん」
思わず夏彦が笑うと、エレベーターが下降を始める。
「じゃあ、お前、どうするんだよ?」
「とりあえず、最近色々あって外出たりとかで、授業出席とかしてないからなあ。まずは普通に学校生活を再開しつつ、会活動の方も頑張るよ。料理研究部も。それくらいだね」
「今まで通りか」
「うん、それでいいでしょ。ぶっちゃけ、このメモもさっきの御前との会話も、出世に使えるかと思ってやってきたけど――どうもそういいう情報でもなかったしね」
夏彦は伸びをする。
「ああ、骨折り損だったな」
「ほとんどな妄想だったしな」
虎が同調して、エレベーターが一階に到着する。
「それじゃあな」
「ああ、虎、また明日」
そして、病院のロビーで夏彦と虎は別れる。
そうして、夏彦は姿を消すことになる。
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