風紀会の代表者が中々姿を現さなかったため、各会の代表者五名が揃ったのは会議開始五分前だった。
司会となる生徒会からは、顧問の月。外務会からは会長秘書官の一人だというレッドという三年生の男子学生。夏彦が驚いたのは風紀会から会長が現れたことだ。
司会となる生徒会から月という大物が来るのはまだ分かるが、まさか風紀会から会長という大物中の大物が出席するとは思ってもみなかった。
それは夏彦以外の出席者も同じだったようで、会議開始五分前に風紀会会長の瑠璃が「遅れて失礼」と目を閉じたまま悠然と入ってきた時には会議室はざわついた。
夏彦は瑠璃と対面するのは初めてだったが、噂は耳にしていた。フリル付きの制服を着た、決して目を開けることのない少女。儚い印象の三年生。
その瑠璃が会議の席につくのを目にして、夏彦は今回の会議が荒れる予感をますます強めた。
こうしたアクシデントがありながらも、月の司会でとうとう会議は始まった。
「それでは、出席者の方々も揃いましたので、これより会議を始めようと思いますわ」
相変わらずの和装の月の挨拶と共に、各々に資料が配られる。
「これが今回の空きがでた役職の一覧ですわ」
「んー……かなり多いな」
外務会に所属しているレッドが呟く。レッドという男は、眼鏡に髪が七三分けと、今時逆に珍しいくらいのオーソドックスな優等生スタイルの男だが、眼鏡の奥の目は爬虫類じみており、呟きながらも油断なく素早く資料と各会の代表者の顔色を窺っている。
「大掃除の結果ということ、かな」
彩音が資料をひらひらと揺らす。
「その通りですわ。例年に比べて、今年は一気に役員が消えてしまいましたの。これまでにない大選挙になると予想していますわ」
「役職なしは必死になるでしょう。今回の選挙は、いつもよりも一層不正を警戒しなければならない、かな」
彩音が不敵な笑みで言う。
「皆さんの仰るとおりですわ。だからこそ、今回の選挙管理委員会は万全を期さなければなりませんわ。そこで、大前提として、まず行政会、司法会、風紀会、外務会から出す委員数は同一にしましょう。もちろん、皆さんの会を疑っているわけではありませんけども、委員数を同一にすることによって選挙管理委員会にいずれかの会の意向が反映される万が一の可能性も潰すことは必要ですわ。これは、皆様賛成していけだけますわね?」
さっそく来たな。
月からのあからさまさに、隠れて少し夏彦が苦笑していると、
「それはどうかな」
と、彩音が微笑と共に言う。
「最初に各会から出す委員数だけを決めて、それありきで委員を選ぶというのは危険でしょう? もし人材不足の会があったら、その会は無理矢理人数を合わせるために資質のない人間を委員として出さないといけなくなります。そちらの方が危険かな。あっ、もちろん、少なくともうちの会に関しては人材不足ということはありませんけど」
「うちの会も人材については足りていますが、行政会さんの意見には賛成ですね。各会の委員の人数から決めるなんて本末転倒でしょう。まずは各会の候補者のリストを見て、どの会にどれほど相応しい人間がいるかを確認するべきです。ねぇ、司法会さん」
言って、ちろり、とレッドは夏彦に目をやってくる。
ここで不用意なことを発言すればつつく気が見てとれる。
とはいえ、あまりにも当たり障りのないことを言ったり人の言葉をなぞるだけでは舐められる。
難しいところだな、と思いながら夏彦は言う。
「数ありき、というのは確かにおかしいとは思いますけど、月先生の主張することも分かります。各会の委員数に一定数以上の差ができないようにする、みたいな縛りは必要でしょうね」
「ふん、煮え切らないな……」
続けて何か文句を言おうとしたレッドを、
「少し失礼」
涼やかな声で、瑠璃が止める。
「……何ですか、風紀会さん」
「全員の意見はどれも急進的。選挙管理委員会の委員構成や掟については、去年のものを基本として細部を改善するのが妥当」
「あらあら」
月は細い首を傾げる。
「去年は風紀会の委員数が一番多かったからと言って、そんな話が通ると思ってらっしゃるのかしら?」
「心外。ただ、どうすれば最も公正明大な委員会となるかの指針を示しただけで、他意は皆無」
「いやいや、風紀会さんの言うこともごもっともですね。じゃあ、去年の形式を流用するとして、しかし改善しなければならない点は沢山ありますね。たとえば、司法会の委員数なんかも」
レッドの言葉に、ついに来たかと夏彦は体を固くする。
「そうね。司法会は会長と副会長が外の組織の内通者だったわけだから、今回の選挙では必要最低限数の選挙管理委員を出す、というのが妥当かな」
彩音はショートボブを軽やかに揺らす。
「一考の価値あり」
瑠璃も言葉少なに同意する。
どうやら味方はいない、というところか。
夏彦は反撃の文面を考える。
こんな序盤でへこまされていたら話にならない。
だが、夏彦が反論する前に、
「私はその意見には反対ですわ。確かに前会長、副会長が内通者だというのは大問題ですわ。けれど、司法会はその前会長、副会長を初めとする内通者全てを、最も苛烈な方法によって処分しましたわ。そのことは、皆様もご存知でしょう? むしろ、ある意味で今一番信頼できるのは司法会かもしれませんわ。生半可な覚悟では、不正しようという気にならないでしょうから」
月の援護射撃。
なるほど、生徒会としては四つの会が同数ずつの委員を出して牽制し合うの理想であるし、それに。
他の人間に気づかれないように、月は夏彦にウインクをしてくる。
生徒会は夏彦に個人的にいくつか借りがある。それをここで返すつもりらしい。
「それはどうかな。そもそも司法会が今回の選挙に真剣かどうかも怪しいように思いますけど」
手を変え品を変え、彩音は司法会への攻撃をやめない。
「何しろ、役職者になったばかりの一年生をこの会議に出席させるんですから。普通は、監査課課長の胡蝶先生が出席するのが筋じゃないかな」
「行政会さんに賛成ですね。代表者として大きな会議に出席したことのない人間を出席させるなんて。この会議を、新しい役職者に経験を積ませる場程度にしか考えてないんじゃないですか?」
じっとりとした目をしてレッドが便乗する。
しらじらしいな、と夏彦はうんざりする。
俺をこの会議に出したのは、どうせこいつらのうちの誰かが裏から手を回したからだろうに。
「言うのは一度、次はなし」
唐突に、瑠璃が閉じている目で睨むかのように、顔をレッドに向ける。
「え?」
戸惑うレッドに向かって、病的なまでに細く白い腕が伸びる。骨と皮だけのような指が、レッドの鼻先に突きつけられる。
「会議を限定能力で誘導。効果的で合理的だけど、私には無意味」
瑠璃のその言葉に、彩音と月の目つきも鋭くなる。
一方の夏彦は感心している。
なるほど、考えてみれば精神に影響を与える限定能力を利用するのに、会議ほど相応しい場もないな。しかし、『最良選択』に引っかからなかったということは、かなり微々たる影響だったんだろう。まあ、あからさまに限定能力を使ったら百戦錬磨の役職者たちにばれてしまうだろうし。
しかし見事にカウンターパンチを食らったな、と夏彦は少し小気味いい気分になる。
どうも瑠璃の限定能力は、限定能力による精神能力を感知できるらしい。中々面白い展開だ。これで、他の奴らの矛先が俺からレッドに向けばいいけど。
「やめてくださいよ、風紀会さん。いくら会議を自分に有利に進めたいからって、言いがかりは」
だが夏彦の期待に反して、レッドは全く動じず、逆に瑠璃を攻撃する。
「言いがかりとは、心外」
「じゃあ、証拠がありますか? ちょうど司法会さんもいることだし、この場で裁判を始めてもいいですよ」
挑発的なレッドの言葉に、瑠璃はす、と腕を引いて黙る。
ここで行くわけにはいかないよなあ、と横から見ていて夏彦は思う。
証拠なんてないだろうし、もしレッドが限定能力を使用したと考えた根拠を説明することになれば、それはすなわち瑠璃自身の限定能力を明かすことに他ならない。風紀会の会長ともあろう人間が、こんな場で限定能力を明かすわけがない。
つまり、今は前哨戦。虎視眈々とチャンスを窺う獣たちが、致命傷にならないように噛み合ってじゃれ合っている状態なわけだ。
夏彦は胃がきりきりと痛むのを感じる。
全く、こんな獣たちの間に放り込まれて、いい迷惑だ。
「あらあら。さっそく揉め事ですか。やはり、会の間で無用の諍いを起こさないためにも、委員数は平等にした方がいいようですわね」
この機を逃さじ、と月が切り込むが、
「月先生。そういう火事場泥棒みたいなマネはしないでもらいたいかな」
舌鋒鋭く、彩音が言い放つ。
「とりあえず――」
収集をつけるべく、夏彦は意を決して口を開く。
「まず、それぞれの会の委員候補者のリストを確認しましょう。それぞれの委員候補者の内容を確認せずに委員数だのどの会が相応しくないだの言うのは本末転倒ですよ」
無難な夏彦の提案に、
「確かにそうですわね」
と月は同意し、他の人間もそれぞれ資料の確認に移る。目が閉じられている瑠璃は、資料の内容を文面を指でなぞることで読み取っている。あれで読みとれるのも限定能力なのかもしれない。
よし、と夏彦は内心拳を握る。
これで自分が会議をリードする形になった。獣たちが会議の筋を忘れて夢中でじゃれ合っていたのが幸いしたな。
だが、やはり相手は海千山千のくせ者ぞろいだった。
「しかし、ここから資料を見て内容に応じて会議、となると逆に練られていない会議になるかな。まず、今日のところはそれぞれの意見とこの資料を持ち帰って、一週間後にでも練り直した主張とそれに対応する資料を持ち寄って第二回会議というのはどうですか?」
彩音は、会議の流れが夏彦中心になりそうだと見てとった途端に、会議の打ち切りを提案してくる。
そうくるか、と夏彦は舌打ちしたいのをこらえる。
「そうだな。行政会さんの言う通りだ」
レッドが頷く。
「結構」
瑠璃も同意sるう。
これで、大勢は決した。五人のうちの三人が今回の会議の終了を求めている。
「皆様のご意見ももっともですわ。それでは、次回の会議の開催ですが――」
結局、月によって一週間後の続きの会議が提案され、それを四人が呑むことで会議は終了する。
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