つぐみの記憶の中では、風邪をひいた時や、調子が悪かった時に出てくるのはお粥。それからオムレツだ。
母親が、お粥ばかりでは栄養が足りないからと、そう言ってつくってくれたオムレツ。他に具の入っていない卵だけのオムレツ。見た目はしっかりと焼き上がっているように見えて、調子のよくないつぐみでも食べられるように、フォークを入れると中がとろとろで、ほとんど口に入れるだけで溶けていくような。
どうして卵だけであんなものがつくられるのか、本当に分からない。母親にレシピを教えてもらって、つきっきりで教えてもらっても、未だにあんなふうなオムレツをつくることができない。
だからつぐみにとって、オムレツは特別だった。母親の得意としている卵料理全般に思い入れがあるが、その中でもオムレツは別格。
一番、料理人の腕が出るのが卵料理――その中でもオムレツが一番。そう信じている。
「つくっている人の腕と、真心がそのまま出るから」
冗談のつもりか、笑いながらよく母親がオムレツについてそう言っていたのを覚えている。つぐみは、その言葉を心底信じてもいる。
そう、オムレツに限らず、料理は――人に何かを美味しく食べさせてあげようと思うことは、この世で最も崇高なことの一つのはずだ。滅多にない、絶対的な正義のはずだ。
だから、つぐみは今回の事件が、許せない。許すことができない。
料理を、利用するな。
「つぐみちゃん、どうした?」
横から夏彦に話しかけられて、つぐみははっと我に返る。
虎との話は終わったらしい。
「ああ、ごめん、ちょっとオムレツのこと考えていたの?」
「……オムレツ? 課題は肉じゃがだよ?」
「ああ、違う、違うの。ごめん、もう大丈夫」
慌てて言う。
「捜査、続けないとね」
「ああ、そうだけど……本当に、大丈夫、つぐみちゃん?」
大分、心配されてしまってつぐみは苦笑いする。
「大丈夫だって、もう」
「腹減ってるんじゃねえか? オムライスの話なんてよ」
横から虎がいらない口を挟んでくるのでつぐみは睨む。
「大丈夫だよ。さっきたこ焼き食べたし」
夏彦がいらないフォローをする。
「へぇー、いいな、たこ焼き。夏彦はどっちのタイプが好み? 俺、結構かりかりの方が好きなんだよ」
「虎とは逆だな。俺はあの、時々あるむにむにしたやつ。分かる?」
「ああ、分かる分かる」
超どうでもいい話をしている。
それを横で聞いていて思わずつぐみは気が抜ける。
それにしても、とつぐみは夏彦をちらりと見る。
この友人のことは、いまいちよく分からない。
指導したから分かる。つぐみが教えるまでは完全な料理の素人だし、料理自体に何かこだわりがある様子でもなかった。それなのに。
生徒会長に正面切って交渉している夏彦の姿を思い出して、つぐみはぶるりと震える。
一体、何が彼をあそこまでさせるのか。スリルジャンキー、というわけでもなさそうだし。
そう思いながら見ていたつぐみと、夏彦の目が合う。
「……オムレツ」
ふと、たこ焼き論争をやめた夏彦が呟く。
「え?」
「オムレツ、この件が終わったら食べたいな。つぐみ先生のオムレツを」
にや、と冗談めかして先生呼ばわりしてくる。
「悪いけど、私はオムレツをつくるにはまだまだ力不足だから」
「あらら、つぐみ先生でも?」
「まだ真心が足りないの。オムレツをつくるにはね」
リラックスして、いつもの料理教室の時の気持ちに戻ってくる。
これで、冷静に捜査ができそうだ。
「じゃあ、俺がつくってつぐみちゃんが食べるのは?」
そう夏彦が言うので、ちょっと本気で睨むと、
「おっと、調子出てきたね」
いつもどおりだ、と夏彦はうそぶく。
何だか夏彦の手のひらの上のような気がして少し面白くないが、それでも言うとおりにいい調子になってきたことをつぐみは自覚する。
ここからだ。
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